第110話
「これだけあれば十分だね。ありがとう、才ちゃん」
一時間にも満たない釣り時間だったが、その間にも夏の太陽はじりじりと大地を焼いていく。朝方感じた爽やかさなどとうにどこかに行ってしまった。
ざっと十匹は釣っただろうか。有坂家と橘家両家に一匹ずつ魚が出せる計算だ。朝釣り上げたばかりの川魚を朝食で食べられるなんて、なんて贅沢なのだろう。
「結構重いな」
「ね。足元気を付けてね。滑ったりするから」
クーラーボックスについた取っ手をそれぞれ片方ずつ取り、坂を下っていく。特に体を鍛えていない俺にとってはなかなかの重労働だ。小柄な緋花には過酷だろうとふと横目で見るが、その足取りはしっかりしていた。さすがは山育ちだ、こういったことには慣れているのだろう。俺と走り回っただけのことはある。
だが、やはりその横顔には当時の面影はない。ボーイッシュな身なりをしていても、長いまつげはニュアンスがあるし、小顔を包むショートボブの毛先が綺麗な顎のラインや首筋を浮き彫りにしている。小柄で華奢なくせに、胸やお尻はしっかりとしている。どう見ても女の子だし、どう見ても綺麗だ。男が放っておくとは、思えない。
「――なぁ。何であのアプリやってんの?」
それが疑問だった。
「なんでって。普通に出会いたいじゃん」
彼女は特に表情を変えずに答えた。
「ここらへんだとさ、みんな顔知ってるし。同年代は当たり前、同じ学校も当たり前。みんな田舎の人って感じで、なんか嫌。付き合ったら情報筒抜けだし、お試しで付き合うとかそういうのできないじゃん。でも外から来た人なら話は別だよねって思って」
「お試しで付き合う? お試しとかあるのか?」
「あるでしょー。だって付き合ってみないと、相手のこととか、相性とかわからないじゃん。一度付き合ったら結婚しなくちゃダメ、ってことじゃないんだし、そういう意味じゃ、恋人なんて全部お試しでしょ」
緋花の恋愛観に衝撃を受ける。これがモテる女子の思考なのだろうか?
「奔放なんだな」
「あ、今ヒいたでしょ?」
「いやいや! ただ、すごいなって思って。俺はそういう風に考えられなかったからさ」
「お試しって話?」
「そう」
彼女の言っていることはわかる。だが感性として納得は難しい。多分そこに深い理由はなくて、俺が知らない世界だから単にビビっているだけなのだろう。
「まぁ、でもそれも嘘じゃないんだけど、どっちかって言うと問題はやっぱり田舎ってことでさぁ。誰と誰が付き合った、どこまで行った、乗り換えただなんだのって、過去の恋愛まで全部筒抜けなんだよ? 嫌じゃん、そんなの。友達の性事情を聞かされるだけでうんざりだって言うのに。まぁそういう話題好きな子多いけどね」
「性事情って……そんなあけすけに言うもんか?」
「言う言う。多分男の子の世界よりずっと凄いよ。試しに聞いてみる? 例えば二件先の」
「――いや、いい」
でも緋花のいうように、もっと気楽に関係を深められたならいいのにとも思う。なんでも無料お試し期間って魅力的だし、その先購入なんてよくあると思う。それに例えると下世話に感じてしまうところが、やっぱり俺には向いてないのかも知れない。
要するにチキンなのだ。俺は。
「はぁ」
溜息も出るもんだ。
「……ねぇ」
そんな俺を少し覗き込むようにして、緋花が言った。
「才ちゃんってさ、今、カノジョいないの?」
「今っていうか、ずっとだな。年齢=彼女いない歴の、童貞野郎だよ」
「童貞って自分で言う?」
自虐は半分自己養護だ。俺からすれば、高校二年で卒業しているやつの方がよほどだと思うのだが、世間の常識はどうなんだろう。
鏡介は彼女とそういうことするのかな……。
「そっか。カノジョ、いないんだ……」
「? 何か言ったか?」
「ううん、なんでもない」
そう言う緋花は今日一のゴキゲンスマイルなのは気のせいだろうか?
「それで、カノジョ欲しくてアプリ始めたんだ?」
「ん、まー、そうと言えばそうなんだけどさ」
あんまり進んで言う話ではないが、緋花には話しても良いと思った。
「最初はただの競い合いだったんだよ。その中で誰が一番最初に彼女できるか、みたいな。主催している人がいてさ、一番には特典があるっていうから」
「うわー。何それ、ガキっぽい」
「はは。それでやってみたんだけど、なかなか前向きになれなくて。ただ、違う一面を知れたことで、仲良くなった人はいるんだよね。クラスの人とかさ。このアプリで出会わなければ、ここまで深い関係になったりはしなかったんだろうなって」
そう言いながら、俺は二人の事を思い出していた。水谷志吹と高橋綺咲。このアプリがなければ、交わることもなかっただろう。
「むぅ。今、別の女のことを考えていましたな?」
「え、あ、いや」
「関心しませんなぁ。女の子はそういうのに敏感だよ? 初デートなら、原点されちゃうよ?」
「ば、ばか言うな。これはそういうのと違うだろ」
気がつけば、家のすぐそばまで来ていた。俺は恥ずかしさをごまかすように、一人でクーラーボックスを担ぎ、勝手口に向かった。
「……だから減点だって言ったんだよ、才ちゃん」
何か聞こえた気がして振り返れば、緋花が玄関に入っていくのが見えた。一緒に御飯食べるのか、と思うと、なんだかさっきの緋花の言葉が気になって、気持ちが落ち着かなかった。
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