第108話

「だっははははは!」


 父親の大きな笑い声が、晩餐の席に響き渡る。父の爆笑に、みんなもつられてクスクスと笑っている。


「傑作だ。我が息子ながら恐るべき間抜けっぷりだな!」


 唯一面白くない俺は、あぐらをかいてふてくされていた。そこに、既にいろいろな惣菜がよそわれた取り皿が差し出される。差し出してきたのは、さっきの女の子。


「はい、才ちゃん」

「……おう」

「幼馴染の顔も名前も忘れた上に、たじろぐなんて! よりによってこんな美人なを」


 そう。出会い系でHibanaと名乗っていたこの隣にいる女の子。本名は、橘緋花たちばなひばなという。数年ぶりに再会した、幼馴染的なご近所さんだ。数年という時間は少女を女にする。見違えすぎて、俺はそれが誰だか分らなかったのだ。


「兄貴サイテー」

「う、うるせー」


 妹にジト目で軽蔑されても、否定に覇気がでないのはその為だ。


「もう、おじさんも、琴ちゃんも、あんまりいじめないであげてください。才ちゃん落ち込んじゃってるし。まぁからかったのはウチなんですけど」


 その発言で父は益々笑いこけている。緋花は俺に「ごめんネ」とウィンクし、割りばしを二つに割ってから手渡してくる。甲斐甲斐しいのは、謝罪の意図なのか、それともまだからかっているからなのだろうか。


「ちっ……何もあんなに笑う事ないじゃんか……」


 すでに高校生の繊細な自尊心はズタボロだった。


「まぁまぁ、さ、食べよ? 才ちゃん」


 そういって彼女は両手に箸を乗せ、頂きますと言った。その長いまつげに、思わず俺は目を逸らした。


 我が有坂家と隣の橘家の関係は深く、家族ぐるみの付き合いがある。今日の宴会もその一環だ。百姓の両家は互いに食材を持ち寄って腕を振るうのが習わしだ。それは俺が幼少の頃からずっとそうで、毎年のように帰省していた俺は、日中の親が忙しい時間に妹ともに預かったり預けられたりしていた。そういう意味では、橘緋花とはそれなりの時間を共に過ごした仲ではある。


「はい、これ好きでしょ? 入れとくね」

「ありがとう」


 だからこうして、好きな食べ物の好みも分かったりする。


「いっぱい食べてね」


 だが彼女はあまりにも見違えた。俺の知っている緋花とは、まったくの別人だ。こうして見惚れるだけの魅力が、今の彼女にはある。


 あと、なんだか家庭力が妙に向上したように見える。自分もちゃんと食べながら、食卓の状況によく気を配っていて、だれかが何かと取ろうとする前に手を差し出し取り皿によそったり、大皿の位置を変えたり、たまに俺の両親にお酌をしていたりする。かと思えば、いつの間にか俺のお皿にも追加の惣菜が乗っていたり、お茶のおかわりが注がれてあったりする。それでもせわしく見えないのが凄い。


「これ最後の一個だけど、いる?」

「ああ、じゃあ貰おうかな」

「はい、どーぞ」


 その様子を見ていた母親が、頬に手を当てて言った。


「緋花ちゃん、なんだかこうしてみてると、才賀のお嫁さんみたいに見えるわぁ」


 もちろんその一言に、俺はお茶を咽込んだ。


「ばっ……母さん! バカなことを――」

「もう才ちゃん、ダメだよ? お母さんにそんな言い方したら――あ、ついお義母さんいっちゃった♡」


 と緋花もノリノリである。


「あらぁ! もう緋花ちゃん! 今すぐにでも才賀をもらってやって!!」

「いいんですか? ウチなんかで……どうしよう、もう永久就職先決まっちゃった」


 などと母と緋花はともにキャーと言いながら顔を赤くしていて、おやじもまんざらではないみたいな顔をしている。ただ妹だけは、一周年記念ガチャを引いたら一枚もレアが出なかった、みたいな顔で俺を見ていた。





「ありがとね、送ってもらっちゃって」


 夜も深くなった頃、「緋花ちゃんを送っていきなさい」との父の名により、夜道を二人で歩き出した。


「まぁそういうのは男の仕事だからさ」

「おお、男らしー」


 夏の虫がさえずる砂利道を、草履のる音が響き渡る。街灯もない田舎道だが、目が慣れれば月明りだけでも十分明るい。星空の柔らかな輝きは、緋花の輪郭をやんわりと映し出している。


「でも、お前も意地悪だよなぁ。俺だって気づいていたなら教えてくれたらいいのに」

「なにぃ? 根にもってるんだぁ?」

「そーじゃないですけどー」


 緋花いわく、初めて俺のアイコンを見たときにそれが俺だと直感的に分かったそうだ。ただ他人の空似の可能性もあるから念のためとメッセージを送ってみたわけだが、俺の返信に〇〇市の実家とあったことで、それは確信に変わったそうだ。


「だってさー? 才ちゃん、全然気づいてくれないんだもん。それでイジワルしたくなっちゃって」

「いやいやいや、そんな、だって数年ぶりだぞ? 無茶言うなよ」

「ええ? でもウチは気づいたよ? 愛が足りませんなぁ」

「愛ってお前……」


 そう言って、俺は思わず視線を逸らした。なぜかと言えば、すぐ隣に並ぶ緋花を見ると、甚平の隙間からいろいろ見えそうな気がしてしまったからだ。少なくとも俺の知っている数年前の緋花には備わってなかったものだ。こういう所も女として成長したんだと思った。身長の割には意外と……


「――ねぇ」


 そんなことを考えていると緋花がしたり顔を寄せてきていた。


「今、エっローいことを考えてたなぁ?」

「ち、ちげぇよ!」

「ふーん? ……見たい?」


 彼女はそういって甚平の襟部分に手をかける。


「はぁ!? おま……え……ごくっ……」

「――なーんて! はーい、エロいこと考えてたのバレバレですぅー」


 緋花はそう言って笑いながら先に歩いていく。純情を弄ばれた俺が頭を掻きながらため息をつくと、緋花は半身で振り返って言った。


「まぁ、才ちゃんなら……あげてもいいけど」


 だがあまりにも声が小さく、聞き取れなかった。


「え、なんだって?」

「なぁんでもない!」


 そう言って今度は走り出してしまった。


「もう送り大丈夫だからー! また明日ねー!」


 緋花は踊るように走り、そして橘家の玄関の前で振り返り、手を振ってから家の中に消えていった。


「……一体なんだったんだ……。てか明日ってなんだ?」



 橘緋花たちばなひばな。俺の夏季限定の幼馴染。


 俺の平和な盆休みを脅かす、文字通り火花みたいな女の子だった。

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