第107話
田舎へは父親の車で数時間の旅路だ。電車で行けないこともないのだが、なにぶん駅から遠いので、宿泊荷物を考えるとトータルで車の方が楽、という結論だった。乗り物酔いしやすい俺は、助手席に座り、窓の外をずっと見ていた。
いくつかのサービスエリアを通り過ぎ、県道に差し掛かった時、スマホが鳴った。
表示されていたのは、あのアプリの通知。
(志吹かな?)
現在、このアプリで鳴らしてくるのは、志吹か、あるいは面倒なCMどちらか。あまり積極的に活動していない俺には、例え出会い系アプリであっても出会いの連絡はなかなかこない訳だ。まぁ俺からもアプローチしないのだから当然を言えば当然なのだが。
(ん、誰だこれ?)
しかし開いた先で表示されたのは、志吹ではなかった。
『Saiさん 〇〇市にようこそ! 都会からのお客さん歓迎! よければ会いませんか? 案内しますよ♡』
アイコン名のHanabiというのは、きっと偽名だろう。だが何よりも――
(かわいい!)
明るめのショートボブが良く似合っている。チラ見えする細い首筋と鎖骨がとんでもなく綺麗だ。そして人懐っこい笑顔に、上目遣い。だけども親しみやすそうな感じが、いかにもモテそうな感じだ。こんなハイレベルな子が出会いを求めていて、あまつさえ俺に連絡をくれるなんて。いったい世間のイケメンたちは何をやっているのだろう?
そういえばこのアプリでは、付近検索機能がある。同じアプリを使っている人のGPS情報から、特に近い人をピックアップしてリスト化する機能だ。おそらくこの子はこれを見て送ってきたのだろう。
断る理由はない。だが、会う理由もない。アプリをやっている以上は無下にするのもよくないだろう。とはいえ、彼女の住む場所と俺の目的地が近いとは限らない。ここは淡い期待も込めつつ、無難な解答をしておくことにする。
『これから〇〇街の実家に向かいます。近いですか?』
すると、超速攻で返信がきた。
『うそ! めっちゃ近い! 運命感じちゃうかも♡』
そんな都合のいいことがあるのか!? と思わず出そうになった声を我慢する。
『タイミングみて連絡します』
『うん、絶対連絡してね☆ 待ってるから!』
最後の即レスを確認して、俺はスマホから目を離す。相手が積極的な子だと、こんなにも話がどんどん進んで行くことに驚いた。今時の女の子はみんなこうなのだろうか?
だが、そんなことよりも、だ。
「――うう、気持ちわる……」
車酔いが襲って来た。連絡を端的に終わらせたかったのはこれを回避したかったからだが、時すでに遅し。
「スマホなんか弄ってるからだろ。コンビニ寄ってくか?」
「いい……耐える」
そんなこんなで実家に到着した頃には気持ち悪さのピークに到達し、そんなやり取りがあったことなんてすっかり忘れてしまっていた。
◇
山間を抜けて開けた台地に面する村に、父親の実家はある。百姓の家系らしく、典型的な日本民家で、結構広い。小さい頃、いったいこれだけ部屋があって何に使うのか疑問だった。
到着すると、じいちゃん、ばあちゃんが出迎えてくれた。そして父親の兄にあたる伯父さん夫妻がいた。久しぶりと挨拶半ばに、俺はそうそうに休ませてもらった。
吐き気を押さえつつ仮眠し、そして起きるとすでに時刻は十九時になろうとしていた。真夏とはいえ、傾いだ日差しが頭痛に効く。スマートフォンを手に取れば、例のアプリからの通知が来ていた。
『今日は結局連絡ないのかな。寂しいな』
「んあぁー、やっちまった」
結果としてシカトしてしまったことに妙に罪悪感を覚えた。あの子は勇気を出してくれたかもしれないのに――。
そんなことを考えていたら、父親が戸をノックした。
「おお才賀、起きてたのか」
「ああ、今起きたとこ」
「どうだ、具合は」
「まぁなんとか。さっきよりは全然オッケーだよ」
俺はそう言って敷布団から立ち上がる。父親はその様子を一瞥してから、言った。
「じゃあすまんが、少し頼まれてくれるか」
「ん、何を?」
「お隣の橘さんところに行ってほしいんだよ」
「え? 橘さん? てかなんで?」
「荷物の受け取りだ。んまぁとにかく行けばわかる」
なんて雑な頼み方なんだろう。
「えええ、なんでよ。橘さんとか、知らないし」
「あ、何言ってんだ? お前昔よくお世話になってただろ。まぁーとにかく頼むよ、
俺は今手が離せないから」
そう言って父親は先に階段を降りていく。昔って、一体何年前のことを言っているんだろうか。全く納得できない流れだったが、父親を追いかけるように居間に降りてみれば、なるほど事情は分かった。
「あら才賀ちゃん、もういいの?」
おばあちゃんが寄ってくる。その背後では、伯父さん夫婦と俺の両親がバタバタと行き来し、そしてどでかい食卓には豪勢な料理が並んでいる。
「はい、なんとか。今日は飲みですか」
「ふふ、久しぶりだからって、主人がね」
久しぶりの再会で飲むのだろう。となれば、うちの両親が駆り出されるのは納得だ。忙しいというのは本当のことなのだろう。
「橘さんのところにはもう電話してあるから、悪いんだけど、行ってくれる?」
働かざるもの食うべからず。おばあちゃんにも頼まれちゃ、仕方ない。
「じゃあ、行ってきます」
玄関を出て、砂利道を進む。この後の流れを考えると、晩御飯をゆっくり食べて順番に風呂、そして寝るというコースが見えている。今日はもう自由時間はないだろうな。
そう予想して、ポケットからスマホを取り出して最初に立ち上げたのは、あのアプリだ。
『ごめん、あのあとバタバタしてしまって。この後もお隣さん家に行ったりしなくちゃいけなくて』
メッセージをそう送ると、これまた即レスがあった。
『そっか(汗) でもお隣さん? いまから』
食いつくところはそこか? 微妙に意図が伝わっていない感じがする。
『そう、家族の手伝いで。だからごめんね』
これで連絡が来なくなるなら、その程度だろう。申し訳なさにスマホをしまいかけたその時、またしても即レスがあった。
『うん、わかった。じゃあ、待ってるね♡』
「……伝わってないのかな」
とはいえ、こんなにかわいい子に再連絡を待ってもらっているなんて、悪い気はしない。やはり自分も男で、十分単純なのだと思う。
少なくともこの子は俺の家庭のことなんて知らないし、アイコンと顔だけで連絡を取ってくれたんだから、暗い気持ちになることもない。自分を少しでも好いてくれる人がいるということが、こんなにも自信につながるなんて、思いもしなかった。
そんな自信が後押ししたのか、普段ならもじもじする他人宅訪問だが、あっさりとインターフォンを押すことが出来た。
「ごめんくださーい」
すると、戸越しに、はーいと小さく声が聞こえた。女の人の声だ。同年代くらいかな、なんて考えているうちに、その戸が開いた。
そして俺は、そこに居る人の姿に、目を疑った。
「あ――」
そこにいたのは、甚平姿の女の子。驚いたのは、その顔だ。
「Hanabi――さん?」
ショートボブと人懐っこい笑顔が印象的な、あのアイコン通りの顔。
それは、あのアプリで今まで連絡を取っていた、Hanabiその人だった。
「――待ってたよ♡」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます