第105話 Kisaki
どうやらあたしには、逃げグセがあるらしい。
志吹に指摘されたときも、気まずさに耐えかねて逃げ出してしまった。家のことといい、友達のことといい、あたしは堂々とやり過ごすタイプだと思っていたのに、その認識は改めないといけない。反省反省。
才賀と手を繋いだのは、正直、その場の勢いだ。もちろんあたしは才賀のことが好きだし、というか大好きだから、願ったり叶ったりではある。ただ少し早まったかも知れないとも思っている。実際、それを見られたから逃げ出す羽目になったのだから。
早まった理由は明確だ。衣央璃が才賀と腕を組もうとしていたことに気づき、あたしも舞い上がってしまったのだ。
才賀を振り向かせると決めたからには、遠慮はしていられない。とはいえ敵を作ったり本人に嫌われてしまっては本末転倒だ。あくまで本人に自然に好かれ、そして選んでもらう。これ以外に、あたし達が幸せになる道は残されていない。その点で言えば今回のお手て繋ぎは悪手だった。握手だけに。
失点は致し方ない。大切なのは、そのあとのフォローだ。あたしはこういうとき、勝手に帰るタイプの女が嫌いだから、せめて自分がそうならないようには気を付けている。逃げ出しておいてなんだけど。
そんな反省をしながら、すたすた歩く。こういうとき、いかにも目的を持っていますという雰囲気を演じることが、ナンパ撃退法の基本だ。迷いなく歩いている風を装いながら、適当に物色し、放った言葉を事実にするために適当に飲み物を買う。美味しいものがたくさん並んでいて、ここを才賀と二人で回れたら楽しいだろうなと思った。
そんなこんなで、先ほど離れた場所に戻る。才賀はどこにいるのか、と探してみれば、その男はカウンターの中にいた。
「何で才賀が受付してんの?」
才賀はさも当然と言った様子でカウンターの中に立っている。そして本来そこにいるべき志吹は、視界の隅で小さくなってうなだれていた。――パイプ椅子の上でよく膝を抱えられるな。
「ちょっと、いろいろあって」
「――いろいろ、ねぇ」
それは志吹の様子を見ればわかる。あたしは志吹にじっと顔を近づけてみるが、志吹は何も言わず、すぅっと視線を逸らしていく。
「志吹、才賀に何かされた?」
そう言うと、今度はみるみる紅潮していき、目が泳ぎ始めた。――これは何かされたな。
そしてそこまで来て、衣央璃の姿が見えないことに気づく。
「ってか、衣央璃は?」
「え? 二人は一緒じゃなかったのか?」
才賀の表情で、事情を理解する。衣央璃はおそらく、あたしを追いかけるとか言ってこの場を離れたのだろう。
「ああー……えっと、なんかはぐれちゃったみたいで。まぁ、待ってれば戻ってくるっしょ」
さすがにあんなことがあったなんて、言えるわけがない。とはいえ、衣央璃が戻っていないのだとすれば、原因は間違いなくそれだろう。
「ちょっと電話してみんね、心配だし」
そういってスマートフォンで呼び出す。まさか帰っちゃったとかないよな、と心配したとき、人混みの中で着信音が聞こえた。
「ああ、衣央璃、よかった――」
振り返り、衣央璃の姿を見つけたあたしは、衣央璃のその顔を見て、言葉を無くした。
「―――」
すぐに衣央璃の前に駆け寄り、背中に手を回して反対側を向かせた。
「これ、つかって」
取り出したハンカチをその頬に当てる。
「ほら、ちゃんとしないと。――泣いたこと、才賀にばれちゃうよ」
衣央璃は、これは泣いたな、という顔をしていた。目は腫れて、メイクが少し流れてしまっている。涙はもう止まっていたけれど、またいつ流れ出すかわからない。手も下したままで、動かそうとしない。
「あたし、やっちゃうよ? いい?」
衣央璃が傷ついているのは、誰から見ても明らかだった。そして、傷つけたのは、あたしだ。
「ごめんね、衣央璃」
彼女の柔らかな頬をぬぐい、ポーチから取り出した化粧道具で応急処置をしていく。せめて彼女のかわいい顔が台無しにならないように、せっかくのおめかしが無駄にならないように。
「ほら、直ったよ。もう泣いちゃだめだよ」
「……うん。綺咲ちゃん。ごめんね。ありがとう」
やっと出てきた彼女の声は、涙がからんで震えていた。どっちとも、こっちのセリフだよ。
「どーいたしまして」
あたしは無意識に綺咲の頭をぽんぽんしていた。これが保護欲というヤツなのだろうか。そしてこうも思った。衣央璃はかわいくて、ずるい。
◇
「才賀ー、衣央璃戻ったよー」
あたしは衣央璃が笑顔が作れるようになるのを待ってから、才賀のもとに戻った。衣央璃と手を繋いで、わざわざ手を振ってみる。
「おお、お帰り。遅かったね。っつーか二人、手ぇ繋いでるのか」
そしてそれに才賀も気づく。
「そそ。いーでしょ☆ 女の子同士はたまに手つないだりするもんなのよ」
そういってわざとらしくぶんぶんする。
泣いた衣央璃に注目が集まらないように。できれば最後まで気づかれないようにしてあげたい。それは女の友情だし、ライバルへの礼儀でもあると思ってる。
そしてもう一つ。それは才賀との手つなぎを、特別なものにしないため。そうすればこの四人に生まれた変な空気は、少しは無くなるはずなのだ。その方が、きっといい。
「――んじゃ、仕切り直しと行きますか!」
才賀と手を繋いだこと。あたしにとって特別な思い出。それを失うのは悲しいけど、仕方ないと思える。これはあたしなりの贖罪なのだ。
「才賀ぁ、責任とってぇ、エスコートしてねっ☆」
「なんの責任!? てかその喋り方やめろって、久しぶりに聞いたら少しキモイ」
「はぁっ? ひっど。傷ついたわー。バツとして奢り決定! ねー、衣央璃」
「ねー、綺咲ちゃん」
「ちょっと衣央璃!?」
「才賀、私の分もよろしくね」
「志吹まで!?」
こういう役回りは慣れている。普段と何も変わらない青春の一ページ。
それは、めちゃめちゃ楽しくて、幸せで。
でも、ちょっとだけ寂しくて、苦しい。
あたしの夏祭りの一ページは、きっとそんな言葉で終わるんだろう。
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