第103話 Shibuki

 どうして私は不機嫌なんだろう。


 その原因を作った人には、心当たりはある。


「……なぜずっとそこにいるの?」


 カウンターに対面している男子。クラスメートで、ゲーム仲間で、そして私が一番親しくしている、大切なお友達。


 ――有坂才賀。


 彼を見ていると、心がささくれ立つのを感じる。


「いや、えっと、二人を待ってないといけないし、と思って。この混雑だと場所移動したら大変かなぁとか」


 悪意がないことは分かる。彼が善人だということも知っている。それでも私の心はその一言一句に容易に掻き乱されるのだ。


「……そこに居ると、並んでいる人だと思われるから」


 それは私を冷たくする。深い底へ沈んでいくような感覚。海面では荒波吹き荒れていても、その海底では不変であるかのような、そんな海に似ていると思う。


 例えば今、彼が勧められるがままに私の横へ腰かけているこの状況。ただパイプ椅子が並んだだけのこの空間に、きっと普段の私なら舞い上がっただろう。興奮のあまり、おかしなことを口にしてしまうかも知れない。しかし今の私はそうはならない。深い底で水圧に押し付けられた私の心は、身動きすらままならない。ただただ、嵐が過ぎ去って、再び穏やかな水面へ浮上できることを待ちながら、じっとそれを観察しているのだ。 


 それはきっと自衛のすべなのだと思う。今私が浮上すれば、きっとただ事では済まない。傷つきたくないから、自らを沈めているのだ


 ここ数日、私の楽しみは勉強と家の手伝い、そして夜のひと時に帰結していた。PCを起動し、ライブチャットアプリを立ち上げ、彼のいるグループと会話し、共にゲームをプレイする。それが何よりも楽しみだった。正直を言えば、ゲームの内容はさほど重要ではない。友達が新しくできたことでも、共通の趣味で談笑できることでもない。そのプライオリティは、彼と話すことだ。私はそのひと時を何よりも楽しみにしていた。それを考えれば、今のこの状況――彼と直接話せることは、この上ない喜びがあったはずなのに。なのに、素直に喜べない。


 たまたま父に頼まれた手伝い。ただチケットを持ってきた人に商品を渡すだけの簡単な作業。その仕事が苦痛なものに変わったのも全て、彼とここで出会ってしまったから。


 でも、その理由がわからない。


 自分だけ呼ばれなかったことに寂しさを感じなかったから?


 ――心当たりはなくはない。だが普段の学校生活を考えれば、そんなことは日常茶飯事のはずだ。今更どうこう思うことではないはずだ。


 彼に声を掛けてもらえなかったから?


 ――さっきよりも心当たりがある。少なくとも私にとって彼は一番親しい男子だ。その彼に誘われなかったのが寂しいのかも知れない。だが誘われたところで父の手伝いは断れなかったし、それで言うならここで出会えたことに喜んでいるべきだ。おそらく、本当の理由ではない。


 じゃあ、彼と他の女が手を繋いでいたから?


 ――心臓が跳ねた。

 おそらく、これだろう。


 理由はわかった。だが説明はつかない。彼が誰かと手を繋ぐのは彼の自由で、私には関係のないことのはず。紐解いていけばたどり着けるかも知れない答えも、今の状況では途方もないことに思えた。


 考えることは諦めよう。だから、会話する。不機嫌であることは、この際許してもらう。少しくらい伝えたって、バチはあたらないだろう。なにせ、原因は彼にあるのだから。


「……両手に華で楽しそうですね」

「なんで敬語?」

「さぁ、どうしてでしょうね、クラスメートの有坂才賀君」

「……大切な友達だって、言ってくれたじゃないか」


 ほら、やっぱり。すぐそうやって。

 だから私は返す言葉がなくなるのに。


「ごめん、仕事の邪魔しちゃって」

「……いいのよ。どうせ、あんまりお客さんは来ないから」

「でも、どうしてここで?」

「父から頼まれて。この景品のお菓子は、うちの工場で作っているのだけれど、今年は店番の人材が確保できなかったらしくて、それで父に話がいって」


 父は請負元との関係を大切にしている。地域の名家というのは時に相談事も持ち込まれるらしく、今回もその一環だ。


「少し不安だったのだけれど、やってみればなんていうことはないのね」


 店番なら家の手伝いで慣れている。違うのは、慣れない場所だということと、この身なり。


「びっくりしたよ、慣れてるって感じで。――浴衣も、良く似合ってる、し」

「……ありがとう」


 不覚にも、嬉しいと思ってしまう自分がいる。篠原さんが着付けてくれた、藤色の浴衣。あの場で恥ずかしがって断らなくてよかったと思う。


 だがそこに特別な意味はないのだという事もしっかりと自分の胸に刻み込んだ。おそらく彼はきっとみんなに同じことを言うのだろう。幼馴染の衣央璃さんや、手を繋いでいた綺咲さんにも。


「――はぁ。もうっ」


 私は立ち上がると、雑念を吹き飛ばすように強くため息を吐いた。


「え、何、突然なに?」

「いえ、ちょっと気合を」


 彼はきっと気づかないのだろう。

 こうして二人で流れる人だかりを眺めているこの一瞬にも、私の中では目まぐるしく理論が展開されていることに。


 だとしたら、私がこうしてくすぶっていることに何の意味もない。原因不明の不機嫌は、とりあえず忘れることにしよう。

 

 せっかく、彼と出会えたのだから。

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