第98話 Kisaki

 深夜二時。パジャマ姿のあたしは、電話していた。


「ごめんね、夜遅くだったのに」


 受話器越しに聴く声が、いつもより優しく感じる。


 思えば、彼と電話したのはこれが二回目。最初に電話した時の彼は、警戒心満載丸出しだった。冷たく感じて当然だ。まぁそれはあたしの頼み方が良くなかったことは自覚してるし反省もしてる。


『俺も聴きたかったから。気にすんな』


 でも今は、聴いていて落ち着く。彼も心から言ってくれていることがわかる。それだけ濃密な数日間を、二人は過ごしたのだから。


「うん。あんがと」

『おう』

「……じゃあ、おやすみ」

『ああ、おやすみ』


 電話を切って、天井を眺める。心が温かい。なんだか妙に顔が疲れると思って手鏡を覗いて見たら、思いっきり顔がニヤついていた。恥ずかしくなって、思わず枕にダイブしてみる。


 そうして、今日あったことを思い出す。



 ◇



 玄関を開けると、最初にパパが飛び出してきた。その瞬間の顔が忘れられない。きっとずっと心配してくれていたんだと思う。疲れて、泣きそうで、ひどい顔だった。


 そしてすぐに、玲香さんも出てきた。正直私は彼女とどんな顔をして会えば良いのかわからなかったけど、そんな悩みはすぐに吹き飛んでいった。だって、彼女は泣いていたから。


 玲香さんは私に抱きついて「ごめんなさい」とずっと言っていた。いつもメイクでばっちりの玲香さんが、ぐしゃぐしゃになって、あたしの胸で震えてる。それが衝撃だった。


「おかえり。綺咲」


 涙目のパパが、そういった時。あたしは自分のしたことを、ようやく理解した。

 あたしは、二人を追い詰めてしまったんだ。と。申し訳なくて、情けなくて。

 結局、あたしも、パパも、みんなして玄関で泣いた。


 落ち着いたあと、あたしは自分の気持ちを二人に全部話した。玲香さんに苦手意識があったこと、ママを思い出させること、パパを取られた気がしてちょっとだけ寂しかったこと。気持ちの整理がつかなかっただけで、邪魔するつもりなんてなくて、何より、本当は応援してること。そして最後に。「これからもパパをよろしくお願いします」って言ったら、また玲香さんは泣いちゃってた。


 ぐちゃぐちゃになった玲香さんをパパが寝室に連れて行っている間に、あたしはお風呂に入って、髪の毛を乾かして。そして、才賀に電話したのだった。


 才賀は約束どおり、最後まで聴いてくれた。

 あたしは心が解けていくのを確かに感じた。





 正直、これから先の事はよくわからない。でも、もうなんでもないと思えた。心のつっかえがとれたみたい。きっとあたしは、もう大丈夫。


 スマホをとって、画像フォルダを開く。その最新の一枚。それはあたしのお気に入りで、それを見るだけで頑張れる気がする。


 そうしてニヤけていると、部屋をノックする音が聞こえた。パパだ。


「綺咲。入るよ」


 パパは相変わらずひどい顔をしていたけれど、さっきよりは幾分ましになっていた。


「玲香さん、寝た?」

「ああ。さすがに泣きつかれたみたいだ。ところで、彼はなんて?」


 彼、とは才賀のことだ。この数日、才賀の家にお世話になっていたことをパパに話したら、「ぜひお礼を言いたいから聞いてみくれ」と頼まれていたのだ。


「別にいい、気にしないでって、両親もそう言うだろうから、ってさ」

「そうか。それは残念。ひと目見たかったんだが」


 パパはそう言って、ベッドに腰掛ける。


「ごめんね、パパ」


 そういうとパパは優しい顔をしてくれた。なんだかようやく、いつもの二人に戻った気がした。ずっと二人で助け合ってきた。パパはいつでもあたしの味方だったのに、あたしが離れて孤独にしてしまった。このごめんは、そういうごめんだ。


「綺咲には話しておきたいことがあるんだ。今、いいか」


 そして、真剣な目であたしを見た。大切な話だって、すぐにわかった。


「俺とママが離婚した時のことなんだけどな」


「――うん」


「綺咲はママが悪いと思っているかも知れないけど、本当はそうじゃないんだ。家族であって夫婦である以上、どちらか一方だけが悪いなんてことはない。俺にも悪いところがあって、俺がもっと、ママを愛していれば。ママを引き止めるための努力を、もっとすべきだった。あの時、もっと追いかけていればって、別の道もあったんじゃないかって。そのせいでお前には寂しい思いをさせてしまった。ずっと後悔していたんだ。だからもう、俺は後悔したくない。大切な人を、失いたくない」


 それは、初めて聞いたパパの気持ちだった。二人が離婚した時、パパは一方的に傷ついたんだろうと思った。そんなことを考えていたなんて、知らなかったよ。


「――そして、お前にも、後悔してほしくない」


 パパは私の目を見て、言った。

 その言葉の意味が、今のあたしにはわかる。


「――わかってるよ、パパ」


 あたしがそう答えると、パパは瞳を閉じて、「そうか」と言った。


「じゃあ、おやすみ」


 そういって、パパは出ていった。


 その背中を見て、どうしてか、昔ママとパパが並んで歩いていた頃を思い出した。何年も昔の話なのに。きっとこれからは、そこに玲香さんがいるんだろう。


 あたしも、後悔しないようにしなくちゃ。

 後悔してからじゃ、遅いんだ。

 あたしの大切な人が、あたしから離れていってしまわないように。


「あたしも頑張らなくちゃな」


 あたしはもう一度スマホを見た。そこに映し出された「お気に入り」写真に、やっぱり顔がニヤけてしまう。


 最初はそんなつもりじゃなかった。だって、そんなこと考えもしなかったから。

 だけど、あたしの恋はすでに始まってしまったのだ。


「まったく、罪な男だよね」


 あたしはきっとこの恋に夢中になる。全力になる。だって、後悔しないって決めたから。


「んふふ、覚悟しておけよー」


 こっそり撮った寝顔写真。

 あたしの大切な人の、あたししか知らないその姿。


「才賀♡」


 そのほっぺたに、あたしは生まれて初めてのチューをした。

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