第96話

「なんでそこで二人が出てくるん――」

「――いいから答えてよ」


 急に綺咲の声が強くなった。そして、肩から緊張が伝わってくる。ふざけている訳じゃないというのはすぐに分かった。


 だけど、優劣なんて――


「――順番なんて、つけられないよ」 


 俺がそう言うと、綺咲ははぁとため息をついて、言った。


「――ま、才賀ならそう言うよね。――でもさ」


 綺咲はそういうと、俺の体を跨ぐような格好で迫ってくる。


「仮にさ、三人が、同じ日に、同じ時間に、同じように助けを求めていたら、才賀はどうするの?」

「なんだよ、それ……」

「起こんないとは限らないじゃん。もし本当にそういうことが起こったとしてさ、そん時才賀は、同じように、決められないとか言うの? そんな訳ないよね。だって才賀はきっと、そういうの放っておけない人だから。でもだからこそ決めないといけないんだよ。全員助けるなんて、できないんだよ? だって、才賀は一人しかいないんだから!」


 綺咲に圧倒される。いつの間にか泣きそうになっているその目を見て、俺は何も言えなくなっていた。


「……ごめん、言い過ぎた」


 綺咲はそう言って、膝を抱えて、顔を埋めた。


「……みんな誰かの一番になりたいんだよ。自分のことをいつでも一番に考えてくれる人がいるんだって、思いたくない? あたしはそう思いたい。欲張りしたくなるよ。だから、さ。これだけ聞かせて」


 伸ばされた綺咲の細い指が、俺のTシャツを掴む。


「これから先も、あたしが困ってたら、きっと才賀は助けてくれる。きっとあたしはそれに期待する。――そう思って、良いんだよね」


 そこまで来て、ようやく綺咲の言っていることがわかった気がする。そう言えば、綺咲は俺が出かける前にも、同じようなことを言っていた。


 優先順位とか、誰が一番とか。

 ――綺咲は不安なのだ。


 大好きなお父さんには大切な人が出来て、でも自分はそれが受け入れられなくて。気持ちの整理を先延ばしにしていたら、そのお父さんにも突き放されて。たった二人だけの家族なのに、その関係に亀裂が入ってしまった。一体だれが今の彼女を肯定してくれるというのだろうか。


 ――頼るべきお父さんに頼れない状況は、とてもつらいはずよ――


 母の言葉が思い返される。事前に忠告されていたというのに。俺はバカだ。

 だったら、俺が肯定してやらなくちゃ。


「ああ。当たり前だろ。いつでも助けに行ってやる。俺はずっと、綺咲の味方だよ」


 ――大切な友達なんだから。


 俺がそういうと、綺咲は顔をくしゃっとさせて、そして何も言わずに抱きついて来た。思わずその背中に手を回すと、震えていることに気づく。きっと、泣いてる。


「……才賀」

「ん?」

「ありがと」

「……どーいたしまして」


 恥ずかしいことを言ったな、と思う。助けに行ってやる、とか何様なんだ、一体。

 でも、そんなことで、彼女の支えになれるのなら、悪くないと思った。


 ――しばらくして。


「――決めたわ」


 突然、綺咲は立ち上がって、出入り口に向かい、部屋の電気を入れた。その眩しさに、思わず目をしかめる。


「あたし、パパと話してくる」


 その光の中に、綺咲の背中があった。それは先程までの弱々しいものじゃなくて、いつものかっこいい綺咲のものだった。吹っ切れたように息を吐くと、振り返って、言った。


「思ってること、全部言う。あたしの気持ち、全部。それで、ぶつかってくるわ。だって、もし当たって砕けちゃって、どうしようもなく困っても、才賀は、あたしを助けてくれるんでしょ?」


 その手は力強く握りしめられている。多分、無意識のガッツポーズ。それは、これから戦いに行くことの決意が込められているのだと思った。まったく、無理しやがって。


「一緒にいこうか?」 


 だがその言葉に綺咲は嬉しそうに笑って、ゆっくりと首を横に振った。


「ううん、大丈夫。これはあたしの問題だから」


 なるほど、決意は十分なようだ。


「それに、そゆときに才賀がそばにいたら、なんか、あたしとしては色々やばいというか……」


 あれ、なんか急にもじもじし始めたぞ。さっきの決意、どこいった?


「やばい?」

「んーんなんでもない! とにかく、あたし一人でだいじょーぶ!」


 綺咲は慌てるように手を振って隠した。


 でも、たしかにこれは綺咲の戦いだ。綺咲が自分でなんとかするしかない。そしてその問題に、彼女は今立ち向かおうとしているのだ。


 だったら、俺は応援してやるだけだ。


「頑張れよ」

「――うん」


 時刻は、二十時になろうとしている。時間はあっという間に過ぎていく。


「そういや、晩ごはんって」

「あ、ごめん、あたし作りかけだ。どうしよ」

「手伝うよ。親が帰って来る前に終わんないとな。じゃ、行こうか」


 そう言って部屋を出ようとした時、綺咲に服の袖を引っ張られる。


「ねぇ。さっきの話なんだけどさ」

「うん?」

「もしさ、当たって砕けちゃったら……電話、してもいい?」


 振り向けば、顔を真っ赤にした綺咲の顔があった。それは、いつもの完璧スマイルとはあまりにも程遠くて。


「――スマホ、手放なさないようにしとく」

「……いひひ☆」

「なんだよ、その笑い方。結構キモい。釣られるからやめれ」

「ひどっ」


 気を許した相手にはこういう風に甘えるんだろうと思うと、こちらの顔も思わず緩みそうになった。







――その頃の琴音は――


 トイレから出ると、お兄ちゃん達が階段を降りていくのが見えた。


(あれ、いたんだ)


 帰ってきた時、ご飯が作りかけになっているのを見て、なにか足りないものでも買いに行ったのかと思っていた。部屋の電気もついてないから、そりゃあいないものだと思っちゃっても仕方ないよね。まぁカンケーないけど。

 

 ……ん?

 そうなると、二人はいままでずっと暗い部屋の中にいたってことになるのか。


 もう一度二人の後ろ姿を見る。

 ――なんだか、前にもまして二人の距離が近い気がする。





(暗い部屋で一体なにしてたんだ!?!?)



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