第93話

「わ、私にとって……?」


 志吹の顔がどんどん近づいてくる。やがてその瞳に、しっかりと俺が映し出されるほどに。


「大切な……」

「……ごく」


 そして彼女は、真顔で言った。


「――友達よ」


 そしてにっこりと笑った。


 ――ですよねー!!


「……だよね」


 俺はそういって、ため息を着いた。体がものすごく強張っていたのか、すごい疲労感だ。そのままへばるようにして、座り込んだ。


 ――友達。クラスメートでもあって、友達でもある。とても便利な言葉だ。


「何か、間違っていたかしら」


 大の字で倒れ込む俺を、志吹は正座をしながら首を傾げている。何か期待させるようなことをしたという自覚かないらしい。


 ――意外と天然たらしの才能がある?


「いや、間違いじゃないさ。僕たちは友達だ」


 俺は反動をつけて体を起こす。穏やかな表情をしている志吹が、手を差し出してきた。


「これからもよろしくね」


 それが握手だということに、ワンテンポたってから俺はその手を掴んだ。


「こちらこそ、よろしく」


 その他は柔らかい。

 だが――少し、汗ばんでいる?


「それで、さっそくで悪いのだけれど」


 志吹は何かごまかすように、話題を変えてきた。その目線の先にはPCがある。


「じゃあ、早速やってみようか」


 志吹は美しい所作で机に座ると、さっき設定したばかりのパスワードを慎重に入力した。ほとんどショートカットアイコンの無いデスクトップに、音声チャットアプリと俺がハマっているゲームのアイコンがある。ご飯前にインストールをしておいたから、アップデートパッチもばっちり適応されている。


 ゲームを起動して、簡単な画面設定などを行う。画質の設定などは、やはりPCになれてないと最適化は難しい。細かいことの説明はあとにして、志吹のPCにとって最適な設定をしておいた。その光景を、志吹は食い入るように見ている。


「設定の意味とかは追々ね。それより最初は操作のほうが大事だから、覚えてる?」


 そうやって、チュートリアル用のステージをプレイしていく。


「わっわっわ」


 そしてやっぱり志吹は、慌てると体が大きく揺れてしまっていた。普段のおとなしい様子からは想像もできないほど、アグレッシブな動きを繰り広げている。例によって椅子から転げ落ちそうになったりしていたので、後ろから椅子を固定したり、両肩を支えて上げたりして、なんとかプレイ時間を稼ぐことにした。意図しないことだけど、ボディタッチ含め、距離感が縮んだ気がする。


「はぁ! やっぱり楽しい!」

「そりゃあ、良かった」


 そんなこんなで、二時間ほどプレイしただろうか。一通りのチュートリアルモードをクリアした彼女は、お気に入りの銃をぶちかませてご満悦の様子だ。


 途中、俊子さんがお菓子を持ってきてくれたた。普段はめったに口にしない和菓子は、とても美味しかった。お茶ととてもあう。和風の部屋で、畳の上で。なんだか、旅館にでもきた気分だ。





「今日はありがとう」


 駅まで送ってくれた志吹が、名残惜しそうに言う。


「また困ったことがあったら呼んでよ」

「そうするわ」


 まぁそうなるより前に、これからはボイスチャットアプリですぐに声が聞けるし、ある程度の対応は出来るから、来なくても良いんだけど――とは、言わなかった。今日は楽しかったし、こうして志吹に会えるのは俺も嬉しかった。こうも素直に喜ばれると、こっちまで嬉しくなってしまう。


「じゃあ、また」


 そうして手をふり、駅に向かおうとした時だ。


「――あの!」


 志吹が俺を呼び止める、というより、Tシャツの裾を掴まれた。


「あ、ごめんなさい」


 まるで自分の手が悪いことをしたかのように、手を振り払うと、バツが悪そうに手を後ろで組んだ。顔が赤くなっている。


「どうしたの?」

「えっと――。あの、そう! 宿題!」

「宿題?」


 と言えば、夏休みの宿題のことか?


「そう、もう終わった?」

「ああ、いやぁー、まぁ、それが全く」


 夏休みに入り、暇だ! と叫んでいたが、それはもちろん、宿題を後回しにした上で言っていることだった。


「もし良かったら、今度、一緒にやらない?」

「え、写させてくれるの!?」


 思わず口から飛び出たのは、浅はかな願望だった。


「……さすがに丸写しはさせないわよ?」


 志吹は腕を組んで、見るからに引いている。


「いや、ごめん。つい」


 俺が頭をかくと、志吹ははぁとため息をついたあと、しょうがないと言った感じの表情をした。


「まぁでも、二人でやった方が効率的、ということはあると思うの」

「それはそうだね」

「いつがいい?」

「うーん、そうだなー。――あ、そうだ」


 俺はナイス閃きとばかりに、両手を打った。


「それなら、ゲームしながら決めよう。ボイスチャットなら、予定も確認しやすいし、志吹も頑張る理由になるでしょ?」


 その提案には、志吹も納得の様子だった。夏の日差しに負けない笑顔で答えてくれた。


「わかった。夜、また連絡する」





 家に付く頃には一八時を回っていた。チャイムを押しても反応が無い。妹はどこかに出掛けているのだろうか? 綺咲が出てくるとは思えないし。


 そんなことを考えながら、俺は鍵を開け、靴を脱いだ。


「ただいまー」


 そして階段に差し掛かろうとした時だった。



「――だからそんなんじゃないって言ってんじゃん!」



 悲鳴にも似た綺咲の叫び声が、俺の部屋から響いてきた。


 俺は急いで階段を駆け上り、扉を開けた。


「――なんでわかってくんないの! もう知らない!」


 振りかざされた腕から、何かがベッドに向かって飛んでいった。綺咲のお気に入りのスマホが、俺の枕に鈍い音をたててめり込んだ。


「……綺咲――」


 肩で息をする綺咲が、ゆっくりとこちらを振り向く。


「才賀ぁ……」


 その瞳からは、あふれるほどの涙が伝っていた。

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