第90話

「おはよう、才賀」


 レースの白いワンピース。真夏の太陽を一身に受けて、その柔肌が眩しい。麦わら帽子のレトロ感がこの街の雰囲気にあっている。


 水谷志吹は「今どき」とか「流行り」とか、そう言った感覚からは無縁の存在に思う。彼女がクラスで際立っているのも、そういうところがあるかも知れない。


「おはよう、志吹」


 彼女は帽子を少しあげて、柔らかく笑った。


「今日はわざわざありがとう」

「いや、こちらこそだよ。PCゲームを教えたのはこちらだし」

「ふふ、そうだったわね。家は近いから、歩きなのだけれど、よいかしら」

「オッケー、じゃあさっそく」


 そう言って、商店街を抜けていく。並んで歩く俺たちに、通りすがりのご婦人達が会釈をしていき、志吹もそれとなしにそれに応えているようだった。


「知り合い?」

「ええ。まぁ、知り合いという程ではないのだけれど」


 行き交う人達も、どこか品が良く感じる。この街の穏やかな雰囲気がそうさせるのだろうか。


「私の家は古いということもあって、このあたりではちょっとした所なのよ。両親と関わりのある方々もいて、そこの娘である私にも、こうして挨拶をしてくれるの」

「なるほど」

「でもほとんどは名前も知らない方たちばかりよ。時折お店に来てくださることもあるから、商売相手でもあるのよね」


 短い商店街抜けると、古民家が続く路地が見える。その路地に入る手前で、街並みは一気に開けた。そして振り返れば、あのお屋敷が見えてくる。


 以前車で立ち寄った、水谷家のお店。商店街の終わり際にその確かな存在が鎮座している。その店の奥側に広がる敷地が、志吹の家なのだ。


「こっちよ。玄関は反対側なの」


 その敷地しきちへだてる木造の塀に沿って、俺達は進んでいく。以前訪れた時に志吹が使った裏道は使わないらしい。その距離はそれなりで、まるで近所の小学校の周りを歩いているみたいだ。


 角を折れると、みちはもっと細くなっていく。片側がちょっとした薮に囲まれ、そこから伸びてくる木々が夏の日差しを和らげている。いつの間にか地面は舗装がなくなり、土が丁寧に均されていた。ここだけ見れば、田舎のようにすら思える。駅をでてからまだ十分と経っていないのに、雰囲気が様変わりだ。


 おおよそ反対側まで来ただろうか。水谷家の玄関はこつ然に、しかし重厚感を持って現れた。風情のある塀に、木造の鳥居のような造形物。そこをくぐれば、敷かれた白く輝く石のタイルが、その母屋までの道筋を示していた。


「すごいな」

「よく言われる」


 庭内には、日本を印象づける木々が植えられていた。それらはしっかりと手を入れられている。少し遠くには池のようなものも見える。まるで教科書で見たような、抽象的な日本家屋だった。


 玄関は改修されているのか、柔らかな木肌色が綺麗で、それは見た目に反して、音もなく滑るように開いた。


「どうぞ」

「お、お邪魔します」


 玄関は広く、俺の家の風呂場の面積よりも広かった。石の上をする靴の音が気持ち良い。

 すると、奥からトタトタと足音が聞こえ、横に長い廊下からすっと、人影が現れた。


「志吹さん、おかえりなさい。お客様かしら」


 昔ながらの白エプロンに身を包んだ、優しそうな女性だった。


「ただいま、篠原しのはらさん」


 この人が志吹の言っていた家政婦さんか!


「こちら、有坂才賀くん、えっと……クラスメートの」

「有坂です」

「あら、この方が!」


 そういって篠原さんは両手を打ち、ぱぁと顔を明るくして志吹の方を見た。志吹が恥ずかしそうにしているあたり、俺の事を話していたのだろう。


「まぁまぁ、どうぞどうぞ。おあがりになってくださいませ」

「お邪魔します」


 篠原さんの温かい対応に思わず顔が緩む。


「お履物はきものはそのままにどうぞ。後ほど、お飲み物をお持ちしますね」

「ありがとうございます」

「才賀、こっち」


 志吹に連れられ、玄関から横に伸びる縁側えんがわを進んでいく。夏の日差しが厳しく差し込んでいるが、しかし何故だが涼しく感じる。その角を曲った先に、扉があった。志吹がその扉を迷いなく開け、先に入っていく。


「おもてなしするには粗末なところだけれど」


 少し照れくさくしている志吹を通り過ぎるようにして、その部屋に入っていく。


「ここは?」


 俺が訪ねると、志吹は上目遣い《うわめづかい》で答えた。


「――私の部屋よ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る