シーズン4
4-1 彼女達の事情
第89話
午前中の電車は、意外にも混雑している。スーツ姿で仕事に励む大人達と、夏休みを満喫している学生たち。カラーもテンションもまるで異なる二つの人種が同じ空間に閉じ込められている様が、このシーズン独特の雰囲気を感じさせるのだ。子どもたちだけの特別な時間。
俺は今、電車に乗ってある駅を目指している。そこは俺にとって無縁というか、特に用事がなければ出向かない場所だ。スマホで乗り換えルートを調べて、若干の緊張をしながら、到着までの時間を人間観察に使っていた。ちょっとしたモヤモヤを抱えながら。
スマホで開いたのは、出会い系アプリだった。チャット相手はivuki、水谷志吹のハンドルネームだ。
『どう? 時間通りに着きそう?』
『順調。改札でたところでいいんだよね』
『そう。改札は一つしかないから』
色気がないと言えばそれまでの、端的なやりとり。それが俺と彼女の日常だった。それ以外となると主に通話なのだが、綺咲が我が家に泊まるようになって以来、それは激減している。なんとなく志吹との通話を綺咲に聞かれるのは嫌だった。
プールでの一件から、二日。昨日は綺咲と妹と三人で衣央璃の見舞いに行った。衣央璃はすでに快調していたが、「大事を」ということで冷房完備の自宅でおとなしくしている。
そのせいなのか、綺咲までも少しおとなしくなっており、ウザ絡みによって自宅で読書の邪魔をされたりなどのすることは少なくなった。それでも退屈は嫌いなようで、良く友達と電話しているところを見るし、そうじゃなくても俺のゲームを借りたり、一緒に御飯の準備をしたりと、何かにつけて俺と一緒に行動したがるのは相変わらずだ。彼女は彼女で、この借り暮らし生活を楽しんでいるようではあった。
まぁそんな状況でもあったので、志吹のPC設定を電話やチャットアプリを使っての設定説明では、何かと邪魔やら弊害が入りそうだと判断した俺は、単独で彼女の自宅に向かうことにしたのだ。
俺がモヤモヤしているのは、その綺咲とのやり取りだった。
「ふぅ~ん。行けば?」
それは夜のことだった。綺咲が風呂に入っている間に志吹と連絡した俺は、翌日に志吹の家に行くことを決めた。それを彼女に伝えた時の話だ。
「その間、自由にしてていいから。出掛けてもいいし、家にいてもいい。そんなに遅くはならないようにするから」
ベッドで横になっている綺咲に、俺はそう声をかけた。
「別にぃ? 特に出掛けたりとか用事ないし。別にあたしに気に使わなくてもいいし」
先程までスマホをいじりながらだったが、この話題を持ち出した瞬間、スマホを隅っこに放り投げ、不機嫌そうに横向きで項垂れて始めたのだった。
「そう、か。じゃあ、俺は明日午前中に出るから」
俺はそういって、自分の布団に潜り込んだ。先程まで機嫌がよかったのに、この調子だ。もしかして連れて行ってほしかったのか、あるいは俺が勝手に予定を入れた事が気に入らないのか。
確かに彼女は家庭の事情もあって俺の家に宿泊しているけれど、だからと言ってその間、俺が常に彼女と一緒にいなくてはならないかと言えば、そうじゃないと思っている。だから、俺は悪くない。――と思うんだけれど。
「ねぇ、才賀ってさー」
部屋の電気も消してしばらくしたころ、綺咲が言った。
「何?」
「――志吹のこと、好きなの?」
「……どうしてそうなるんだよ。ただPCのセットの手伝いに行くだけっていう」
「いや、そうじゃなくてさぁ」
寝返りの音がしたかと思えば、綺咲がこちらを覗き込んでいる。薄暗い部屋の中、わずかに残された光が綺咲の瞳に反射している。まっすぐにこちらを見ているのがわかる。
「だって、やけにあの子の世話を焼くじゃん?」
「それは、まぁ……」
「最初に連絡したのも、好みだったからじゃないの?」
それは確かにそうだ。アプリを利用し始めたのは個人的な勝負だからだが、その先の活動は自由だ。俺は志吹のルックスを思い浮かべながら容姿の好みを選択したし、そこに志吹がいたから連絡を取ったんだ。多くの人が彼女を美人というだろうけれど、それには俺も含まれている。
「確かに、まぁ、志吹は美人だなぁとか、可愛いな、とかは、思うよ」
「……本当にそれだけ?」
「それだけ、っていうか、まぁ」
綺咲の真剣な声と眼差し。そしてこの数日間の彼女への信頼。それなら、本音を言ってもいいかと思った。
「……正直、そういうところ、わからないんだよね。彼女のことは好きだけど、多分、それは綺咲が聴きたい『好き』とは、違うと思うんだよ」
「なんでそう思うの?」
「だって、同じくらい、綺咲のことが好きだから」
綺咲が驚いているのが、空気で伝わる。
「……それに、衣央璃も」
彼女がため息をしたのが聞こえたが、俺は話し続けた。
「きっと綺咲が聞いている好きってのは、恋愛の好き、ってことだよな。それって多分、その人じゃないとダメ、というか、その人しか目に入らないというか、そういう感じなんじゃないかと思うんだよ。でも今そうなのか、と言われれば、わからない」
一番を決めるということがどういうことなのか、俺にはまだわからない。だけど、彼らのことを大切に感じているのは事実だった。
「……それでも、あたしを置いていってでも、なんとかしてあげたいんでしょ、才賀は」
「置いていく、ってそんな」
「事実じゃん?」
「……まぁ、たしかに」
「別に怒ってないよ。あたしが言いたいのは、それくらい、才賀にとっては優先順位の高い相手なんだ、ってことよ。それ、自覚あんのかなって」
「自覚……」
俺がうーんと考えこむと、綺咲は諦めたようにため息をついた。これが以前言われた、『小学生でもわかる』ってことか。
「まぁ、あたしは家にいさせてもらうよ。今からじゃ急に遊んでくれる友達もいないだろうし」
ああ、だから事前に相談すべきだったのか、と少し反省する。
「晩ごはんは作っておくね。才賀ママにも喜んで貰えるし。……まぁ、頑張って」
駅に到着する。風情を感じる小さな駅に、降りる人は少ない。自動改札のゲートも少なく、その上出口も一つだ。外に出れば、小さなロータリーと小さなコンビニ、そしてこれまた趣のある商店街が続いている。このご時世、商店街は苦しいと聞くが、その割りには栄えている印象だった。
――そしてそんな商店街の入り口で、彼女、水谷志吹は待っていた。
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