第84話

 プールサイドを妹と共に歩く。

 目前には、後ろで手を組んだ妹と、その尻がある。すぐ左を見れば、流れるプールではしゃぐ人達で溢れかえっていて、とても騒がしい。けれど俺と妹はとても静かだった。


 この場に綺咲達はいない。彼女らは「水に慣れる」と言って温水プールに向かった。そして俺は妹に連れられて、先んじて屋外の流れるプールのプールサイドを、縦に並んで歩いているのだ。


 この妹、「付き合って」と俺を呼び出して置きながら、どういう訳か無言を決め込んでいる。目的も話したいことも共有されていない俺は、彷徨さまよってるのか目指しているのかも不明な妹に、ただただ黙ってついていくしか無い訳だ。


「なぁー、もうそろそろいいだろ」


 気がつけば結構な距離を移動している。スマホもない今、ここまでくると後々綺咲達と合流するのも大変そうだ。目前の売店ではかき氷が大盛況で、カップルが沢山並んでいた。


「あれ、食べたい」


 琴音は俯いて言う。俺は頭を掻いて、ため息をついた。


「――はいよ。んじゃハンブンコな」


 俺はそういってその混雑に並んだ。琴音は黙って俺の横に並んだ。


 こういう元気のない時の琴音は、何か一物いちもつあるのだ。不満や不機嫌ならば、悪態をついたりキレ散らかすというわかりやすい単純生物だ。楽しい時はゲラゲラ笑うし、悲しい時は思いっきり泣く。そのどれでも無い時や、悩んだり、自分ではどうしようもない時に、こんな感じになるのだ。


「……最近さ、あたし思うんだけど」


 列が進み始めたころ、琴音が言った。


「うん?」

「よくさ、ラノベとかアニメとかであるじゃん。主人公の男が、なぜだが知らないけど異様にモテて、そんでその好意に全く気が付かないってヤツ」

「ああー、よくあるなぁ。いわゆる、難聴系主人公っていうね」

「それって、アニメやラノベの世界だから、って思ってたわけよ。普通さー、そんな好意に気が付かない訳ないじゃん。胸押し付けてきたり、泊まりに来たりさー。でも、それが現実にあるのかも知れないなぁって、最近思うわけよ」

「いやー、あれはどう考えても気が付かない訳ないよな。だって、好意が露骨すぎるし。やっぱりフィクションだろ、フィクション」


 俺がそう会話を盛り上げようと返答すると、妹は頭痛でもしているかのように眉間を抑えた。


「あれってやっぱりサンプルがいるんだなって、ね」

「サンプル、か。よくわからんが、テンプレではあるよな」


 俺がそういってすっとぼけると、急に腕にやわらかい体温を感じた。

 見れば、妹は俺の腕に寄りながら、何かを警戒しているようだった。


「ん、どうした」

「――同級生。……会いたくない人見つけちゃった」


 妹は顔を俺の胸の方に向け、「うわー」と言いながら顔を隠している。が、それは無意味に終わった。


「――ん、あれ、有坂じゃね?」


 軽そうな声と共に、茶髪の男がこちらに向かってきていた。


「あー、やっぱり有坂だ。よっす」


 妹は困り顔をしていたが、息を吐き捨てると、作り笑顔に変えて振り返った。


「あ、ああ、吉岡くんじゃーん。きぐー」


 こんな棒読み対応する妹を初めてみた。


「なんだ、有坂もプールとか来るんじゃん。自分そういう所いかないとか言って、ノリ悪かったくせにさー」

「あ、ははは、そーだっけなー?」


 吉岡と言われた男は、中学生の割りにはガタイがでかく、筋肉質にも見える。体育会系なのだろうか、自信がある感じが態度でわかる。――俺みたいな陰キャの苦手なタイプだ。


「……で、その人だれよ?」


 ここで明らかな敵意が俺に向けられる。全く、調子に乗ったヤツはすぐこれだ。


「――あたしの、お兄ちゃんだよ」


 琴音はそういって、俺の腕にしっかりとしがみついて来た。それは恋人が彼氏の腕をとって、甘えるような。


「……へぇ……お兄ちゃん、ね」


 吉岡の方は納得していないようで、俺のことを下から上に舐めるようにみた。


「どうも、兄の才賀です。妹がお世話になっています」


 俺は頭を下げずに、目で牽制しながら言った。


「そっかぁ、お兄さんね、オッケーオッケー。でもさぁ、有坂さぁ」


 有坂は悔しいのかやや紅潮しながら、琴音に指をさして言った。


「お兄ちゃんとプールとか、まじ? 腕とか組んじゃって、おかしくね?」


 そういう吉岡に、明らかな狼狽が見て取れる。


 ――なるほど、そういうことか。


「てかお兄さんも妹にそんなことさせて、恥ずかしくないんすか? シスコンとか、ちょっとヒクっすよ?」


 ――おそらくこいつは、琴音の事がスキなのだろう。それでしつこい相手に、妹は手を焼いているのだろう。


「ちょっと! そんな言い方――」


 だったら、お兄ちゃんが一肌脱いでやろうじゃないか。


「ああ! よくわかったねぇ!」


 俺はわざと通る声量でそういい、妹の肩をがばっと抱き寄せた。


「ちょっーー」

「悪ぃな、俺と妹はこの通り、超が付く仲良しなんだよ。腕組なんて日常茶飯事、シスコンブラコン大いに結構。それだけに、誰かが割って入るのは、簡単じゃないなぁ。せっかくの水いらず、邪魔しないでほしいんだが?」


 まるで安っぽい悪役のように、煽り成分濃いめのセリフで相手を蹂躙する。その様子に、周囲の人もざわついている。そのうち半分は俺たち兄妹に向けられているが、それでも吉岡に向けられた視線の量も相当だ。なんだなんだと周りがざわつき始める。吉岡はたまらなくなったのか、後ろずさりし、


「そ、そうだな。じゃ、じゃあな!」


 と言って立ち去っていった。


「――フッ、他愛もない」


 俺は余韻に浸るように言う。ああ、こうして相手をやり込めるのって、一度はやってみたかったんだよな。


「んあー、はいはい」


 妹はそう言いながら肩に回した俺の腕を剥がして払った。


「――やりすぎ。ばっかじゃないの? 超目立つし、最悪」

「なんだ、追い払ってほしかったんじゃないのか?」

「もっと別のやり方があるって言ってんの。あたしブラコンじゃないし! はぁー、学校でまた面倒なことになるじゃんかぁ」


 そう言って、顔を赤らめている妹の横顔が少しだけ見えた。そんなに怒らなくても良いじゃないか。――俺だってシスコンじゃないんだし。


「ま、いっか」

「切り替え早いな?」

「いいこと思いついちゃった」


 先程までのことはまるでなんともなかったかのようにパッと笑って、俺にピースサインを向けてくる。


「ハンブンコなし、やっぱり一個ずつ! それで許す」


 気がつけば最前列にいた。そして妹は俺が返事するよりも早く、かき氷を二つ頼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る