第79話

 その後、半分寝ぼけた衣央璃に軽く説教を食らった俺は、PCチェアで寝ることにした。衣央璃はその後すぐに寝付いた様子で、綺咲はしぶしぶ横になったようだ。この間に一度も目が覚めない志吹は、深い良質な眠りにつけているのだろう。ちょっと羨ましい。


 そんな訳で朝方から浅眠せんみんが続いていた俺は、綺咲の目が覚めたのがわかった。時刻は九時半頃。荷物を漁る綺咲と目があったが、「歯を磨いてくる」、と言って部屋を出ていった。


 その扉の閉まる音で、衣央璃も起きる。目元をこすりながら、「綺咲ちゃんは?」というので歯を磨きに言ったと伝えた所、「私も行ってくる」と言って降りていった。


 最後に残ったのは志吹だが、気持ちよさそうに寝ている。人形みたいな綺麗な顔立ちはそのままに、すーすーと鼻息だけが部屋に響き渡っていた。こちらまで眠くなりそうな、穏やかな時間だった。俺は痛くなった腰を伸ばす意味で、ようやく空いたベッドにダイブした。


 すると割りとすぐに綺咲が顔を出した。


「朝ごはん食べる? 作ろうと思うんだけど」

「おお、いいな。んじゃ俺も行くよ」

「ううん、才賀は待ってて。衣央璃とあたしで作ってくるからさ。志吹、起こしてあげて」


 そう言って綺咲は軽快に階段を降りていった。


「んじゃまぁ、起こすかね」


 俺は重たい体にムチをうち、志吹の横にしゃがみこんだ。


「志吹、朝だよ」


 声がけと共に肩をとんとんするが、しかしそれくらいでは起きそうにない。


「志吹ー」


 今度は肩を揺すってみる。しばらくしてから、そのお人形さんみたいな目がゆっくりとひらいた。


「おはよう、志吹。朝だよ」


 志吹は目だけを動かしてキョロキョロした後、俺の姿を認めると、ゆっくりと起き上がった。女の子座りで、ぽけーとしたまま、左右に少し揺れている。目を擦ってあくびをした後、ようやく、口を開いた。


「……おはようございましゅ」


 噛んだ。

 よな、今。


「おはよう、志吹。俺、歯磨きしてこようと思うんだけど、志吹も……あれ」


 俺が話しかけている途中にも関わらず、志吹はコテンと横になってしまった。俺にむかって突っ伏すようになった結果、膝枕みたいになっている。


「志吹、眠いの?」

「んん……眠いの……」

「寝不足かな?」


 しかし返事はない。俺の太ももには温かい息がかかっている。さらさらな髪の毛が腿を撫でていって気持ちがいい。なんだか犬っころに甘えられているように感じて、思わずその頭を撫でる。今度はその柔らかな感触が手に気持ちいい。


「気持ちい……」


 志吹が小さく呻く。そして猫みたいに喉を鳴らしている。なんだろう、この生物は。可愛い。


 もしかしたら志吹はとても朝に弱い?


「志吹、綺咲達が朝ごはん作ってくれてるよ。そろそろ起きないと、寝ぼけた所、見られちゃうよ?」


 俺がそういうと、志吹は深呼吸したあと、むっくりと体を起こした。よだれが垂れていたのか、口元を拭っている。パジャマの胸元から、小ぶりな谷間と、鎖骨が見えている。しかしなんだか小動物みたいな動きに、エッチな印象がないのが不思議だ。


「歯磨き、する?」


 どうやら志吹の朝が弱い説は確定で間違いが無さそうだ。俺がそういうと、ゆっくり頷いたので、歯ブラシはどこだ、と聞くと、鞄を指差した。俺は悪いなと思いながらも鞄を弄り、お泊りセットの中からそれを探し当てた。


「じゃあ、いこっか」


 志吹は頷きはするものの、しかし立ち上がろうとしない。俺は仕方ないなと手を差し伸べると、その手にそっと指を乗せてきた。相当眠いのだろう、指先はまだ温かい。


「じゃ、いくよ、よっ」


 掛け声と共に引っ張りあげる。が、なんだか腕が抜けてしまいそうだったので、途

中から腰に手を回した。頼りない足取りの志吹は俺にもたれかかる感じになっている。両肩をもってしっかりと立たせ、扉の開けてると、余っていた反対側の手をつながれた。驚きのあまり振り返るが、相変わらずぼやぁっとした顔の志吹がいた。連れてって、ということらしい。仕方ないのでそのまま手をつないで、俺たちは洗面所に向かった。


 歯を磨き終わり、顔を洗い終わると、幾分目が冷めたらしい志吹が、こちらをまじまじと見つめていることに気がついた。


「なに、何かついてる?」


 顔を洗った後に鼻くそが顔についていることがあったりするのは俺だけだろうか。俺は慌てて鏡を見る。が、何もついていなさそうだ。


「私……どうやってここにきた?」


 そんな俺に、志吹がまじトーンで訪ねてくる。


「……二人で一緒に来たよ」


 俺が手をつないできた、とは言わないでおいた。


「そう……何か、迷惑をかけていなかったかしら」

「迷惑? そんなものは全然なかったよ?」


 あれを迷惑だ思う男はいないだろう。むしろご褒美だ。


「なら良いのだけど……。私、目覚めがすごく悪くて、いつも家政婦さんに迷惑を……」


 なるほど。あれだけ寝起きが悪ければ大変だろう。


「気にしなくていいんじゃない? 僕は甘えん坊の志吹が見られて得をした気分だけど」


 と玉には軽口でも叩いてみようと思ったら、しかしそれは見事に志吹に刺さったようだ。みるみる内に顔が紅潮していき、目が潤んでいる。


「恥ずかしい……。お願い、忘れて」


 そう言って顔を腕で隠しながら目線をそらす志吹が、とても可愛らしかった。

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