第66話

 信じられない物を見た。そんな顔をしている衣央璃は、手にした買い物袋を落としそうになりながら、すんでの所で握り直した。


「お、おう、衣央璃」


 俺はなぜか普通を装って挨拶した。それが質問の答えになっていないのは明白で、衣央璃の瞳から虹彩が消えてゆく。なんだろう、こちらは何も悪いことをしていないはずなのに、何故だかとても気まずい。


「衣央璃ちゃんじゃん! やっほー!」


 そんな中、先に動いたのは綺咲だった。


「すっごい偶然じゃん? こんな所でどうしたのー?」


 綺咲は手を前に出しながら衣央璃に接近、困惑する衣央璃の手を取っている。


「買い物帰りで……家、すぐそこで……」

「そっかぁ! 才賀と衣央璃ちゃんは幼馴染だったもんね。家近くてもおかしくないよねー」


 圧の強い綺咲スマイルが衣央璃を飲み込んでいく。


「才賀……」


 しかし俺の名前がでた所で、衣央璃は再びこちらを温度感の無い瞳で見つめてきた。背筋になんとも言えない感覚が押し寄せる。


「今ね、コンビニに行く所だったんだー。アイス買うんだよ、アイス。衣央璃ちゃんも一緒にいかない?」

「え、あ、うん……」


 と綺咲の半ば無理やりなテンションと腕組によって、衣央璃もコンビニに引き込まれていく。

 しかし、これで説明の機会を逸した。初回にはぐらかすと、余計に怪しいというのが世の常である。ますます説明がややこしくなったように感じるのは俺だろうか。


 そしてやはりその予想は当たるのである。


「衣央璃ちゃんはどれが好き? あたし、かってあげるからさー」


 コンビニのアイスショーケースの中を覗き込みながら、どれにしようかなーと選んでいる綺咲。そのすぐ横で、綺咲の顔をまっすぐに見つめている衣央璃が居た。そして、衣央璃は切り込んだ。


「綺咲ちゃん……随分とラフな格好だよね。男の子と遊ぶには、ちょっとスキが多いというか。綺咲ちゃんは、いつもそんな感じなの? ……そんなこと、ないよね」


 衣央璃はまっすぐに綺咲を見つめている。綺咲も横目でその視線に目線をあわせ、一度瞳を閉じてから、ゆっくりと衣央璃に振り返った。


「……そう。これがデートだったなら、あたしはこんな格好はしない。すぐ近くのコンビニにいくくらいなら、いいよねって、そういう感じだよ」


 綺咲もまっすぐに衣央璃を見て答える。衣央璃の瞳がわずかに揺れた。


「それって……」

「――あたしね、今、才賀の家に泊まってるんだ」


 その言葉に、衣央璃は時が止まったように固まった。二人の放つ空気感に、俺は近づくことはおろか、口を挟むことすらできない。


「今、ちょっと訳ありで、家に帰れないんだ。それを才賀に相談したら、いいよって。だから、しばらくは才賀の家にいるつもりなんだ」


 綺咲は毅然とした態度で、まっすぐに衣央璃を見つめている。それを衣央璃がどんな表情で見つめているのか、その後ろ姿からではわからなかった。


「……才賀の家に、泊まってるの?」

「……そうだよ」

「……才賀の部屋に、泊まってるの?」

「……うん」

「……才賀と一緒に、寝てるの?」


「……」


 最後の問に、綺咲は慰めるような表情で笑った。


「――!!」


 それを見た衣央璃の肩が跳ねる。そして、体を震わせながら、何かが沸き立つように、言った。


「才賀――」

「は、はい!」


 俺が思わず返事をすると、衣央璃はゆっくりと首から上で振り返った。目が怖い!


「……家に帰れない子に、何してるのかな、君は……」


 怒りと絶望に支配された怪物のように、のらりとこちらを見ながら近づいてくる!


「ば、ばか! 別に何もしてないよ! 本当だよ!」

「ねぇ才賀――。こんないい子に、何してくれちゃってるのかなぁ? 人の弱みに漬け込んで、そんな事をする人だったんだ……才賀ぁ!?」

「だから何もしてないって!!」


 衣央璃の片手が俺の肩を鷲掴んだ。


 ――俺は久しぶりに思い出した。

 衣央璃は気が弱くおとなしい子だ。

 だがしかし――


「嘘ついたら、ひどいよ?」


 ――怒ると物凄く怖いのだ――

 

 衣央璃が自分の為に怒るところを見たことがない。引っ込み思案で、人と揉めた時は自分が諦めればいい、そんな感じのヤツだ。ところがいざ人の為となると、その迫力たるや。こういう部分だけは、姉譲りの超圧力を発揮するのだ。


「――ほんとだよ」


 しかしその流れを破ったのは、綺咲だった。


「才賀は、すごく優しかったよ」


 その言葉に、衣央璃も思わず振り返る。


 ――綺咲のばか! なんでまたそんな含みのある言い方を――


 それを聴いた衣央璃は、一瞬の間をもったあと、俺の方に振り返った。いつのまにか暗黒オーラが解き放たれ、いつもの柔らか笑顔に戻っている。


「――なぁんだ。何もしてないんだ。じゃあ良かった。心配しちゃったよー」


 衣央璃の笑顔と明るい声に、俺もふぅと胸をなでおろす。


 しかし次の瞬間、鷲掴みになった肩がよりキツく閉められた。


「でも、この先も何もないとは限らないよね」


 痛い! 肩が痛い! 


「という訳で――」


 衣央璃はそういうと、綺咲の振り返り、


「私も今日は才賀の家に泊まることにします」


 いつもの雰囲気と笑顔で言った。


「――お前何勝手に――いたぁ!」


 俺が何かを言った瞬間に握力最大の指が肩にめり込んでいく。どうやら、俺に拒否権はないようだった。


「色々話そうね、綺咲ちゃん」


 その言葉に、綺咲は「女子会だねっ」と笑った。

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