第61話

 風呂から上がると、母親から呼び出された。


「何?」


 俺がそういうと、食卓への着座を促される。俺はお茶を口に流し込んでから座った。


「才賀のことだから大丈夫だと思うけど」


 そういってから、小声で言う。


「何かする時は、ちゃんと良く考えてからね」


 その一言で、思わず吹き出す。


「ごほっ。っかっ。いきなり、何言って」

「これは真面な話よ」


 母が何時になく真面目だ。いつもは年甲斐もなく乙女な振る舞いばかりしているのに……


「綺咲ちゃんは、貴方を頼ってきたのよ。だから才賀は、それに応えなくちゃ。私達は歓迎もするし、泊まるのも構わない。いい? 私達が綺咲ちゃんに待避所を提供することが大事なんじゃないの、貴方が彼女を受け入れてあげることが大事なの」


 母の話は、わかるようで、よくわからない。


「彼女は心の準備が必要と言っていたけど、数日でどうにかなるものじゃないわ。時間が解決してくれるものかもしれないけれど、それにはこの期間はあまりにも短すぎるのよ。だから、誰かがそれを後押ししてあげないと。彼女は気丈に振る舞っているけれど、貴方と同じ高校生、普通の女の子なのよ。父親と二人暮らし、兄妹もいない。その頼るべきお父さんに頼れない状況は、とてもつらいはずよ」

「綺咲が、まいってる、ってことか?」


 綺咲に限ってそんな事が――


 俺はそこまで考えながら、綺咲が時折見せる、寂しそうな目。遠くを見つめながら、何かを諦めたように遠くを見つめるその癖を思い出していた。


「だから、貴方が一緒にいてあげて。必要なら、抱きしめてあげて」

「だきしめっ……そんな」

「これは本気よ、才賀」


 赤面した俺に、母の鋭い視線が刺さる。


「でもだからって、流されちゃだめ。同情してもいけないわ。貴方は絶対にぶれちゃだめ。貴方は頼られた友達として、あの子が必要とする助けを、あなたが出来る限りの範囲でしてあげるだけでいいの。あの子の事を大切にしたいなら、その事を忘れないで」


 母の言っていることの本質は、多分俺は理解できていない。だが、こうして面と向かってここまで諭されたことは、そんなにない。それくらい、俺の態度が、彼女にどう影響するかを察しているということなのだろう。俺が考えている以上に、俺は考えて行動しなくてはならない、ということなのだろうか。


「その上で彼女を好きになったとか、そういうことなら、私達は何も言わないわ。綺咲ちゃんは自分のことをちゃんと言える子だし、何より私達は貴方を信じてる。だから、泊まることを許可できるの。これは親としてもそうだし、人生の先輩として、言わせて頂戴。これは、一人の男として約束してほしいの」


 ようするに、彼女の面倒は、俺が責任をもって見ろ、という事なのだろう。


「わかったよ、母さん」


 そういうと、母はようやく柔らかい表情に戻ってくれた。


「もちろん、困っことがあったら遠慮なく言うのよ。もちろんご飯も用意するし、なんでも自由に使ってもらって構わないから。貴方が困ったらなら、相談してね。じゃあ私は寝るから」


 母はそう立ち上がって、俺の顔を見るなり、年甲斐もなくウィンクをして言った。


「男の見せ所よ。才賀、頑張って」


 そういって最後には茶化すように立ち去っていった。

 俺はなんだか胸の奥がそわそわし、しばらくそこで、ぼーっとしていた。



 部屋に戻ると、綺咲が電話していた。


「……うん……大丈夫。そう、今戻ってきて……。だけど、信頼できる人。……本当だよ、だから大丈夫……」


 声の感じから言って、父親だろうか。俺は聞いちゃまずいかと思って再び部屋を出ようかとしたが、いつの間にか近づいてきていた綺咲に服を引っ張られ、出られなくなった。


「……じゃあ、うん。うん。あたしのことは気にしないで、楽しんでね。じゃあ、おやすみ。パパ――」


 普通の女の子。母親の言葉がよぎる。

 声のトーンは、いつもの綺咲よりも柔らかくて、優しくて、そんで少し幼い感じだった。娘が父親と話す時、こういう感じになるものなのだろうか。妹は全然違う感じだが。


「――お父さんか?」

「そ。今夜も帰らないのか、どこに泊まるんだーって」


 俺が立ち去るのを阻止したかと思えば、電話が終わるなり仰向けにベッドにダイブしている。


「それで?」

「男友達の家に泊まるって言ったよ」

「おいおい」

「だって、才賀の声が入っちゃったんだもん」


 部屋に入る時、ノックして「綺咲、入るぞー」と言ったのが扉越しに入ってしまったらしい。うかつだった。


「まぁ、向こうもそんなに気にしないでしょ。だって自分は女の人を泊めてるんだし。あたしなんか構わずに、楽しんでくれればいーよ」


 それが親への当てつけではなく、寂しい、に聞こえたのは、俺が母親の言葉に流されすぎだからだろうか。


「ね、そう言えばさ」


 綺咲は何かを思いついたように、急に体を起こし、ベッドにあぐらを掻いてから言った。


「志吹ちゃんとどこまでいったの?」


 先程までの表情は消し飛び、とても意地悪そうな顔だ。


「あのなぁ」


 俺は相手にしてられん、とばかりにベッドにより掛かるようにして布団の上に腰掛けた。説明するのも面倒だし、それより俺は今、お前の事をだなぁ。と頭の中でつぶやいていたら、綺咲の足によるヘッドロックがかかる。


「今夜は寝かさないぞ☆」


 結局その晩はかなり遅い時間まで、根掘り葉掘り聞かれた。かなり夜ふかしだ。


 ――この調子なら大丈夫そうだな――


 この明るい綺咲をみて、俺はその時、そう思ったんだ。

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