第58話

「ここが才賀の家かー」


 リフォームによって外面だけはマシになった我が家を、玄関から見上げながら綺咲は言う。


「普通の家だろ」

「まぁ、たしかに」


 綺咲はすっかり俺に対して遠慮はない。実際、我が家が金持ちという事前情報を元に声をかけてきたこともある彼女なだけに、豪邸をちょっとだけ期待していたのかも知れない。


「とにかく入って」


 俺はそういって、玄関を静かに開けた。靴を見れば、両親はすでに帰宅しているようだ。玄関から階段の空間には、家族の気配はない。自室に上げるなら今のうちだ。親に対する説明などは、後で俺からすれば良い。


「ささ、入って」


 俺は忍んでいる風を装って、小声で手招きする。


「おじゃましまーす」


 しかし綺咲はその空気を読まない。普通に大きな声で挨拶する。


「ちょ、おま、声大きいだろ」

「なんで? お邪魔するんだから挨拶は当たり前じゃん?」


 ここでその「育ちが良いアピール」はいらないんだよっ。


「家族に見つかったらどうする――」


 俺がそう言いかけたまさにその時だった。


「あれ、兄貴、おかえ……り!?」


 ――風呂上がりの妹の登場だった。


「こんばんは」


 それに対し、綺咲が抜群のスマイルで答えた。


「お、お、お、」

「ま、まて! 琴音! 事情は後で説明するから――」


 しかし俺の願いが彼女に届くことはなかった。


「おかーさーん! おにいちゃんがー!!!」


 ――我が妹よ。お前の間の悪さは、わざとやってるんだろ。

 ……そうなんだろ………


 頭を抱える俺に、綺咲が言う。


「今の妹ちゃん? 可愛いね!」


 能天気な綺咲に落胆する俺。


「どうしたの?」

「これで、お顔をあわせなくちゃならなくなったぞ」

「わかってる」


 しかし綺咲は毅然としていた。


「自分で説明する。――できるから」


 リビングの奥が騒がしい。妹がなんだかんだ言って、食卓が賑わっているのがわかる。


 俺は彼女のその真剣な眼差しに、わかった、と言うしかなかった。


「じゃあ、いきなり最初からだけれど」


 俺はそう言って、リビングの扉を開けた。

 リビングには、母と父が食卓に、そして妹がその側で立っていた。俺が扉を開けたことで、一斉にこちらに振り返り、一瞬時が止まっていた。


「お、おう。あのさ……」


 俺が言い淀んでいる脇を、綺咲がすり抜けて入っていく。


「こんばんは。高橋綺咲です。お邪魔します」


 綺咲はとても綺麗な姿勢で、ぺこっと頭をさげ、そして完璧な綺咲スマイルだった。


「才賀クンには、いつも仲良くしてもらっています」


 そう言って、綺咲は俺の服の袖を少し掴んだ。――わざとだ。


「まぁ! いらっしゃい高橋さん」


 最初に動いたのは母だった。食卓から立ち上がり、綺咲に向かって挨拶する。


「いらっしゃい。まぁ、可愛らしい。こちらこそ、いつも才賀がお世話になっています」

「どうもです」


 そうして二人が頭を下げ合わせる。


「でも、どうしたの、こんな遅い時間に……」


 そしてやはり最初に切り込んだのも、母だった。


「はい。実は今日、泊まらせて頂けないかと」


 綺咲がその言葉を発した瞬間、時が止まったような緊張感が一家を襲った。


「――母さん」


 その緊張を解いたのは、意外にも、父だった。


「立ち話もなんだし、かけてもらおう。お茶のご用意を。そして――ささ、高橋さん、こちらにどうぞ」


 父はそう言って、立ち上がり、綺咲に席をすすめた。綺咲も一礼してそこに座った。


「才賀もこっちに。あと琴音は部屋に戻りなさい」


 そう言われた妹は、不満そうな表情をしたが、渋々部屋に戻っていった。


「はじめまして、高橋さん。いつも才賀と遊んでくれてありがとう」


 父がそう言って会釈すると綺咲も合わせて会釈した。そこに母が入れたお茶が届けられる。


「すまないね、食事中だったから。このまま続けさせてもらいます」


 父がそういってお酒を手に取ると、綺咲は「お構いなく」と言った。

 ――綺咲って、こんなに礼儀の正しいヤツだったのか? 知らない一面ばかりだ。


「泊まる、ってことだけど、私としてはもちろん歓迎したい。けれど息子を持つ父親としては聞いておかなければならないことがあるんだ。良いかな」


 父の優しく笑顔が向けられている。父のこんな態度も、俺は見たことがない。父は仕事をしている時はこんな感じなのか。


「二人は付き合っている、ってことでいいのかな」


 いきなり確信に迫る。


「いえ。友達です」


 そしてそれを綺咲はきっぱりと否定した、かと思えば、「……今は」と小さく付け加えた。

 その微妙な表現に、親父の眼光がわずかに鋭くなる。


「家に帰らなくて平気なのかい?」

「親父、そのことなんだけど……」


 俺がそう付け加えると、綺咲はテーブルの下で俺の手をとって、抑えこんだ。


「あたしが言うから」

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