第57話

 駅前のカフェ。たまたま空いていたソファ席で、向かい合うようにして座る俺たち。綺咲は悩んだ末に注文したミルクティーを、なんだか確認するように吸い込んでいる。   

 俺はアイスコーヒーを吸い込みながら、彼女が話し始めるのを待っていたわけだが、そんな気配はない。しびれを切らした俺から、切り込む事にした。


「――で?」

「で、って?」

「家出?」


 俺は単刀直入に聞いた。

 綺咲の横に置かれたスポーツバッグ。その大きさ、重さを知れば、その中身が数日分の衣服で満たされているのは想像に難しくない。


「まぁ、そんなとこ」


 綺咲は面倒くさそうに言う。俺はそれにため息をついた。


「別に全部話せ、とは言わないよ。でも、少しくらいは教えてくれないと、こちらも対応に困るんだよ」


 俺がそう言うと、綺咲はソファに腕をかけてもたれかかった。


「――話さないと泊めない、ってこと?」

「――場合によっては」


 俺は綺咲をまっすぐに見つめた。綺咲は冷めた目線をこちらに向けている。教室での明るさは微塵もない。彼女と俺の間に遠慮は必要ない。それは彼女の態度が示している。


「なに、それ。脅してるの? それとも、あたしにマウンティングしてるつもり? 才賀は人の弱みに漬け込むようなヤツなんだ」


 綺咲は自嘲する。


「別に? 泊めてくれないなら泊めてくれないで、このまま学校にでも忍びこむからいいんだけどね。そしたら? ちょっと危ない目にあったりするかもいれないけど、まぁーあんたには関係ないもんねぇ?」


「――親に心配かけんな、って言ってんだよ」


 語気を強めた俺の言葉に、綺咲は目を丸くしている。


「泊めることを問題にしているんじゃない。家に帰らないことを問題にしてるんだ」


 俺は学校では見せたことのないかも知れない口調で、強く、はっきりいった。


「じゃないと、俺の親にも説明できないだろ。仮に綺咲の親御さんが家出を知らなくて、捜索願なんてだしてたらどうする? それは二人の問題じゃなくなるってのは、わかってるだろ」


 綺咲が困ってるなら、力を貸してやりたいとは思う。わざわざ俺なんかに頼ってくるからには、事情があるのもわかる。でもだからこそ、それは知っておかなければならないことだと思う。


「……何よ、えらそうに。わかってるっつーの」


 綺咲は再びソファにもたれ掛かって、ため息をついた。


「――家に女がいんのよ」


 観念したのか、綺咲はミルクティーを吸ってから、言った。


「パパの新しい女。あたしはそいつに会いたくない。向こうも多分そう。二人だけの時間を邪魔したくないっていうのが、娘なりの気遣いってやつなのよ」


 そう言いながら、自分の片腕をさすっている。


「お母さんは?」

「男を作って出ていった。数年前。父子家庭っすよ。ちなみに親子仲は良好です」


 俺はまずったな、と思った。思いの外、踏み込んだ事情だったようだ。


「ごめん」

「いや、いいからそういうの。あたしにとっては、家族はパパだけ。それで十分なんだから。ただ、パパを幸せにしてくれるかも知れない女の人を、あたしは気に入らないってだけ。気持ちの整理の問題ってやつ?」

「じゃあ、お父さんは知ってるんだ」

「知ってる。連絡はしてる。まぁそれでも帰ってこいなんて、言えないでしょうね、あっちは」


 俺は頭を掻きむしった。


「――わかった」

「何がわかったの?」

「泊まっていい」


 そういう事情なら、追い返す方が酷というものだろう。これだけの情報があれば、俺も親になんとか言うことはできそうだ。それに、きっと綺咲が話したくもなかった事を俺は聞いてしまった。その罪滅ぼしじゃないけれど、その誠意に応えられない男にはなりたくなかった。


「――いいの?」

「ああ。とりあえずね。明日からのことは、後で考えよう」


 俺はそういってスマホの時計を確認した。時刻は八時になろうという所。こういう時こそ、あまり遅くならずに帰ったほうが良いだろう。


「んじゃ、さっそくいくか」


 俺はそう思い、コーヒーを飲み干して立ち上がった。綺咲の分も合わせて下膳して、バッグを肩に担ぐ。


「――どうした?」


 その様子を、綺咲は呆けたように見ている。


「ううん、なんでもない」


 綺咲が立ち上がったのは、俺がすでに店の出入り口に差し掛かった時だった。

  



「ここから遠いの?」


 綺咲のかたわらで、俺は自転車の鍵を外す。


「まぁ、自転車なら一◯分ってところ。歩けば四◯分ってところ」


 もう一度バッグを背負い直すが、あまりにも重たいので、このままではバランスが崩れそうだった。肩掛けバンドの長さを短くして、ずれにくいようにしてからもう一度背負い直した。

 俺は自転車にまたがり、バッグの紐をまた直す。しかしやはりグラグラしてやりにくい。これは素直に押していくしか無さそうだ。


「じゃ、おじゃま~」


 と、そんな俺の考えなどまるで気にしない綺咲が、後輪の軸に立ち乗った。


「……二人乗りは一応禁止なんだぞ」

「でもその為に調整してくれてたんでしょ? 今さらイイ子ぶるなってー」


 そういって綺咲は両腕を俺の首にまわして覗き込んでくる。綺咲のバッグと、綺咲のやわらかい部分が背中に当たる。いい匂いと、綺咲の頬の感触が、俺の頬をかすめていった。


「それとも迷惑?」


 こんな至近距離で言われたら、言いたいことも言えなくなる。それに――。


「いまさら、だろ」


 俺は気恥ずかしさをごまかすためも兼ねて、自転車を進ませた。人の少ない暗い道を選んで、ゆっくりと漕ぎ進めていく。加速すると、吹き抜けていく風が気持ち良かった。


「……あんがとね」


 その声は、夜風にまぎれて聞こえなかった、ということにしておいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る