第56話

 夕闇の住宅街を、自転車で駆け抜けていく。普段は歩く派の俺でも、いくら望まない相手だとしても、待ち人がいるとあらば、急がない訳にはいかない。まして、待たしているのは女の子だ。急ぐに越したことはない。


「ったく――。なんであいつはいつも急なんだよっ」


 俺は立ちぎで張りそうになっている太ももに気合を入れるのに、あいつへの悪態をついた。それくらいの小言は、俺にだって言う権利があるはずだ。


 学校を通りすぎ、駅まで向かう。到着したころには、空は群青が押し寄せてきていて、街灯がその存在感を増し始めていた。

 仕事帰りの人々とバスをくぐり抜け、ロータリー横に自転車を止める。迎えの車にバスの行列、そして喫煙所。そのどこにも属さない、街灯に照らされたベンチ。


 ――そこに、その人はいた。


「やっほー。はやいじゃーん」


 高橋綺咲。俺を呼び出した張本人。


「息あがってんじゃん。そんなに急いできてくれたワケー?」


 ベンチの前で膝に手を肩で息をする俺を、ベンチに座って笑顔で見上げている綺咲。


「あのなぁ。お前が急げって、言ったんだろ……」

「ああー、そうだったそうだった」


 綺咲はそう言って手を叩いた。


「お前なぁ」

「でも」


 綺咲はそう言って立ち上がったかと思えば、俺の頭に手を乗せてきた。


「本当に来てくれると思わなかった」


 見上げれば、綺咲がこちらを見ていた。薄暗い街灯が影を作って、その表情が泣き出しそうに見えるのは気の所為だろうか。


 白のノースリーブにベージュのスラックス、そしてラフなキャップを被っている綺咲は、こうして見てるとやっぱり映える。ラフな格好なのに、かっこかわいいってのは、ずるいと思う。少なくとも文句の一つや二つは、飲み込んでもいいやって気がしてくる。そういう魅力が、綺咲にはある。


「それで、まず最初に説明してもらいたいんだが」


 俺はその手を払いながら、ベンチの横にあるソレを指差して言った。


「ソレ、何だよ?」


 綺咲の横には、大きなスポーツバッグが横たわっていた。


「あたしの荷物だけど」

「みりゃあわかるよ。そういうこと言ってんじゃねぇよ」


 身軽な本人の服装に対し、ソレは薄暗い状況でもしっかりと重量感を主張している。中身は想像に容易い。


「お前、まさかと思うけど――」


 俺がそう言いかけると、綺咲はすっと手をあげて歩き始めた。


「さー、まぁ、じゃいこっかねー!」

「ちょ、おま……」

「あ、ちなみにそのバッグ持ってね。あたし肩こっちゃった」


 そして綺咲は勝手に歩いて行ってしまう。声を張るのも恥ずかしい俺は、渋々そのデカバッグを拾い上げ――


「うお、重っも」


 一体何が入っているんだ、と心の中で突っ込みながら、それを担いで走っていく。


「ちょっとお前――」

「――ねえ」


 その背中を呼び止めると、綺咲は急に振り返ってこちらを向いた。


「さっきも言ったけど、あたしはアンタとかお前とかじゃなくて、綺咲ってちゃんとした名前があんのよ」


 急にトーンを落とした声に、迫力がある。その表情は少し怒っているように見えた。


「綺咲、って呼んで。あたしもこれからアンタのことは、才賀って呼ぶから」


 綺咲の瞳に街灯の光が差し込んで、それが輝いて見える。ぶりっ子というか陽キャというか、そういう演じられたキャラクターを廃した、本当の高橋綺咲がそこにいるような、そんな感じがした。


「わかったよ。――綺咲」

「そ、あんがと。――才賀」


 綺咲はそう言って、少し笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る