第54話 高橋綺咲はその時

 友達の電話が鳴った時点で、「本日の宿泊プラン」はボツになったと、半ば予感していた。


「ごめん、綺咲きさき。ちょっと、電話出てくるね」


 そういって友達はあたしを部屋に残して出ていく。あの感じは間違いなく彼氏だろう。絶賛喧嘩中の年上彼氏。愚痴を聞いてくれという名目でさんざんのろけ話を聞かされたばかりだが、あの子のリアクションを見るに、これは仲直りの流れだ。


「はぁ。こりゃあ、他をあたるしかないかなー」


 気軽に泊めてくれる友達は、ぐるっと一周してしまった。いくら顔が広いと言っても、あたしのわがままに付き合ってくれる友達はそう多くない。本当はもう少し外泊を続けたかったけど、ここが潮時かも知れない。


「ごめん、綺咲」


 電話が終わった友達が扉を開けて申し訳無さそうにしている。あたしはそれを完璧な笑顔で出迎えた。


「彼氏、来るって。それで……」

「いいよいいよ、あたしはなんとかできるから」


 相手が申し訳ない気分が深まる前に、こちらから言いのける。


「それよりよかったじゃん。仲直りできて」


 女が友達より彼氏を取ることなんて、当たり前だ。そして彼氏ができると、変わっていく。それも当たり前。みんな、恋愛中毒者なのだ。


「でも、帰りたくないんでしょ?」


 友達がそう申し訳なさそうにいう。それがわかっているなら、男の方を断れよと言いたい。けど、言わない。そうはいかないのが、女の世界だ。


「アテならあるからさー。最悪深夜に帰れば、なんとかなるし」


 あたしは素早くかばんを取って、立ち上がった。宿にならないならば、この場に用事はない。彼氏を迎え入れる為にどんどんメスの表情になっていく女友達など見ていたくないのも本音だ。これは気遣いを装った、あたしのエゴだ。


「じゃあ、ごめんね。わがまま聞いてもらっちゃってさ。彼氏と仲直りしたら、また惚気のろけ話でも聞かせてよ」


 あたしは玄関で靴を履き、友達に見送りにくるスキを与えないように、速やかにでた。


「ありがとう、綺咲」


 扉が締まり際、友達の声が聞こえた。あたしは笑顔で振り返る。そして扉がしまったら、今度は無表情で歩き出した。





 あたしの家には、女がいる。父親の最近できた恋人が、頻繁に出入りしているのだ。悪い人ではないし、綺麗だし、俗にいう所のいい女だと言うのはよく分かる。だが、あたしはその人の事が気に入らなかった。


「タピオカミルクティーください」


 仕方なく、カフェに入る。実はコーヒーがあんまり好きじゃないあたしは、正直カフェで何を楽しんでいいのかわからない。この選択はぶっちゃけ消去法だ。おしゃれで話題にノリたい女子だから選んでるんじゃないんだなぁ、これが。


 窓の外を見る。夕方にはまだ早いという時間。デートやら仕事やらで沢山の人が往来している。その中で、何が悲しくて一人でタピオカミルクティーなんて飲まなくちゃならないんだ、と思う。外を歩いていれば馬鹿な男達が声をかけてくるが、カフェ内でそういうことは起こらない。平穏だけど、退屈な時間だ。


 そうして時間に余裕ができると、やっぱりあの女の事を思い出す。あの人を気に入らない理由は、多分あの人がバリバリの女であるということもあると思うケド、それ以前に許せないのは、あの父が選んだ女という点だった。


 あたしの母は数年前に、男を作って出ていった。父は整形外科医として成功していて、イケメン先生として話題だったし、母は母で読者モデルなんかやっていたから、まぁ派手な家族だったと思う。その娘のあたしが地味に生まれてきたり育ったりなんてするワケないのは当たり前でしょう。


 そんで、母は女だった。だから、男を作ってしまった。そんで、出ていったんだ。

 そこで父が選ぶ女が、これまた女女しているのだ。正直、なんで? と思う。


 その人はどうやら本気で父との結婚を望んでいるようで、あたしにも取り入ろうと随分気を回してくれる。それが出来るというだけでも、器が大きいのかも知れないけど、それが打算的に感じてしまうのだ。こればっかりは女の感というヤツだけど、あたしとあの人が仲良くなることは、生涯ないんじゃないかと思う。


 そんなワケで、家には帰りたくない。絶賛、家出中なのだ。


 きっと父はあたしが反対すれば、「お前が言うなら」と言って、別れるんだと思う。

 でもそんな理由で二人の幸せを奪うのは馬鹿げてるとも思う。


 あたしは父に愛されている自覚があるし、あたしだって父を大切に思ってる。母が突然男と出ていった時、父がどれだけ辛い思いをしていたのか、あたしは知ってる。母に責任を持たせず、黙って離婚届に判をした父。詳しいことは子供のあたしにはわからないけど、父を苦しめた原因が母にあるということはわかった。だからこそ、そんな父を支えてくれる人が出てくることを、ずっと願っていた。


 この家出は、そんな状況に折り合いをつける、あたしなりの一手だったのだ。


 とは言え、漫画喫茶も最近は規制が厳しい。学生証の提示も必要だし、補導されるワケにはいかない。何より、お風呂にゆっくり入れないのが、本当に無理だ。友達の家は、そういう意味じゃこの上ない条件で宿泊できる、理想の環境だった。


「どうすっかなぁ、これから」


 しかし、次にアテはない。あんまり多くの友達に頼れば、噂になる。噂に尾ひれが付けば、女の友情関係なんて、砂浜に作った城よりもたやすく崩れ去ってしまう。そうすりゃ、あたしは本当の意味で一人だ。


 だけど、男友達の家に泊まるなんてのは、あたしのプライドが許さなかった。あたしは母とは違う。未だ誰にもこの身を任せたことはない。しかし泊まれば、逃げ場はない。そんなことになるなら、死んだ方がマシだ、とすら思う。


「諦めて帰るしかないっか」


 そう何気なくスマホを操作していると、ふとあのアプリが目に入った。最後のメッセージのやり取りの相手を見て、なんとなくよぎる。


 ――あいつなら、男とか女とかそういうのぬきで、接してくれるんじゃないか。あたしの本性も知ってるし。


 あたしは深く考えるより先に、指先を動かした。


『もしもし、応答せよ。綺咲ちゃん大ピンチ』


 打算もある。甘えもある。だけどこの際、しょーがない。

 お互いが知られたくない物を知っているけど、友達というにはあまりにも遠い、変な関係だ。だからこそ、成立する条件ってのも、きっとある。


 しかし待てど待てども、連絡は返ってこない。水谷さんと連絡を取り合っているなら、アプリくらい見るだろうに。まさかあたしの事をブロックしているとか? くそ、生意気め! となぜだか苛立つ。


 タピオカミルクティーをとっくに飲み干し、空が赤らんできても、既読になることはなかった。このまま行けば、帰宅コース。だけど帰りたくない。


「こうなりゃあ、なりふりかまっていられませんよー、綺咲ちゃんは」


 SNSアプリで表示した番号にノータイムで発信した。


「あー、鏡介クン? どうもー、おひさー。海ぶりー?」


 鏡介なら、才賀の電話番号を絶対知ってる。うまく頼めば、教えてくれるだろう。あたしはなんとか話をうまく纏めて、番号を聞き出した。若干怪しそうだったけど、まぁ、この際どうでも良い。あとでいくらでもなんとでも言える。


「あーあ。何やってるんだろ、あたし」


 目的の相手の番号を知るために、友達に手をうつ。なんていうか、虚しい方法だった。番号入手に無駄に意識を回すような瞬間が、このあたしに訪れるなんて、思いもしなかった。


「さってと、才賀クンは、電話にでてくれるかなー」


 ずるいと言われようが、なんと言われようが、関係ない。これがあたしのやり方だ。


「もしもし、才賀クン? あたしでーす」


 電話の相手は交渉相手。ここからは戦いだ。

 




 その時はそうとしか思ってなかったはずだったんだけど、ね。

 人生って、何が起こるかわからないって、本当に思うよ。


 そしてこうも思う。


 あたしも結局、女だったんだな、って。

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