2-6 その頃の周りの人達は

第51話 唯月衣央璃はその時

 ――思わず、飛び出してきてしまった。


 玄関ですれ違う時、才賀さいがと目があった。思わず逸してしまった自分が嫌になる。きっと、変な奴だと思われたに違いない。


「ただいま」


 徒歩で数分にある自宅の扉を開ける。リビングの奥から「あれ」という声が聞こえ

たけれど、聞こえなかったことにした。そのまま二階に上がろうとすると、リビングの扉を開けて、スイカバーを咥えたお母さんが顔を出した。


衣央璃いおる? もう帰ってきたの」

「ああ、うん」


 お母さんは意地悪そうな目をしている。まるで帰ってきたのが迷惑みたいに。


「なに、その気の抜けた返事。喧嘩でもした?」

「――うるさい!」


 そしてこういう時にお母さんは斜め上の鋭さを発揮する。私は顔が一気に紅潮するのを感じて、部屋に駆け込んで扉を叩きつけるようにして閉めた。


「おお怖わ」


 ちっとも怖くなさそうな声が扉越しに小さく聞こえる。それにまたいらっとして、私は布団に飛び込んだ。


 ばふっ。


 お気に入りの枕に顔を埋めて、ため息をついた。


「もー、さいあく」


 なんであんな事で取り乱したのか、自分でもわからない。せっかくすいかを持っていったのに、ほとんど話せなかった。買ってきてくれたアイスも食べそこねたし、いいことなしだ。


「なんなの」


 それもこれも、琴音ちゃんがへんなことを言うからだ。

 




「ねぇ、お兄ちゃんから誘われたんでしょ?」


 琴音ことねちゃんの部屋に引っ張られての開口一番がそれだった。


「え、何に?」

「何に? じゃなくてぇ、デートよ、デート」


 と、とても楽しそうに詰め寄ってくる。デートって、何のことだろう。


「デート?」

「そうきたかー! お兄ちゃんと会うのはデートにならない系かー!」


 琴音ちゃんは頭を抱えながら一人とても楽しそうだ。


 ――デートって、私と才賀が?


「いやあ、さっきね、もじもじしてたワケよ。鬱陶しいから、誘っちゃえよって背中を押しておいたから」


 ウィンクしてくる琴音ちゃんは私から見ても可愛い。

 ――でも、そんな話はもらってない。


「あの、琴音ちゃん? それ多分何かの勘違い――」


 しかし私の言葉は聞こえなかったかのように、琴音ちゃんは人差し指を立てながら語り始めた。


「夏休み前の休みにも出掛けてたでしょー? もう、隠さなくていいのにー。あんなお兄ちゃんと遊んでくれる女の子なんて、衣央璃ちゃんくらいしかしないんだからー。あたしは早く二人がくっついて、衣央璃ちゃんに本当のお姉ちゃんになってもらいたいんだから」


 そう言って抱きついてくる琴音ちゃん。

 だけど私の心は踊らなかった。


「夏休み前の、休み……」


 私が大泣きしたあの日。才賀が慰めてくれたあの日。ずっと心が離れている感じがしたのが、やっと繋がったみたいな、そんな幸福感があった。今までの隙間を埋めるような、もっと一緒にいたいという気持ちがあったのは確かだった。


 だから私はあの時、誘うとしたのだ。


 ――明日、何してる?


 だけれど、あの時、才賀は言った。


 ――出かける予定だよ。遊ぶ約束があって――


 それはつまり、才賀が誰かとデートしてたってこと?


「……衣央璃ちゃん?」


 さっき誘おうとしてたって、誰のこと?

 才賀が誘うのに勇気がいる程の相手って、誰?


「……え……衣央ちゃんじゃ、ない……の?」


 少なくとも、私じゃない。

 私は才賀の幼馴染。才賀の交友関係に何かを言う資格なんてない。

 だけれど、この気持ちは何?


「ちょ、ちょっと、衣央ちゃん、大丈夫?」


 気持ち悪い。顔が熱い。渦巻く感情に心臓が締め付けられる。苦しくなる。


 もしかして、私、才賀のこ――


「――私帰るね!」


 その思考を遮るように、逃げ出すように、私は部屋から飛び出した。もう頭がパニックになっていた。とにかくここから早く帰らないと。


 そんな時に限って、あの人は私の目の前に現れるのだ。玄関をあけて、冗談半分で言ったアイスをしっかり買ってきて。


 ――才賀――





 そこから先の事はあんまり覚えていない。冷静さを取り戻したのは自宅の玄関の前についてからだった。


「ううううううう」


 枕を抱きしめて呻いてみる。何かエネルギーを発散しないと、爆発してしまいそうだった。ひとしきりベッドの上でもがいた後、息が切れて、少し冷静になった。


「――才賀は幼馴染」


 幼い頃から、仲が良かった。私達はずっと一緒なんだと、無意識にそう思っていた。だって家族のようなものだったから。私の人生は、彼なしでは語れないのだ。


「――だけど、男の人」


 知らない才賀が増えていく。それは私をすごく不安にさせた。私の知らない間に、新しい才賀が生まれていくことが、怖かった。置いていかれる気がして、寂しくなる。


「誰、なの」


 私はこの感情の正体を知ろうとはしなかった。


 ――まだ、知りたくなかった。

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