第32話

 高層ビルの最上階。


「わぁ、ほら見てみて、すっご!」


 角度を付けて設けられた大きな窓から見下ろす街並みが、浮遊感と特別感を提供する。 

 ――そんなおしゃれで大人で高そうなレストランに、俺たちはいた。


「さすが、一流デザイナーが手掛けただけはあるわぁ。テーブルとかも超おしゃれ! こういうの家に欲しいなぁ!」


 すぐそばから見下ろせる景色を眺めていたかと思えば、今度は黒いテーブルを褒め称えはじめた。


 確かに、内装はさすがの仕上がりだった。足音もなく通り過ぎるウェイターの身だしなみには清潔感があり、俺たち陰キャなら縮み上がりそうな高級おしゃれなオーラが、至る所から押し寄せてくる。昼でも暗めの店内に、床下から街並みが浮かび上がってくるように見えるのは、自然光の性質をよく理解しているからだろう。


「やっぱり良いものは良い、ってことよねぇ。来てよかったぁ」


 そのテンションの高い綺咲をよそに、俺はテンションが最底辺だった。この大人オシャレなオーラがそもそも堪えるし、これだけの雰囲気だと、料金が気になって仕方ない。何かあった時のためにとコツコツ貯めたお金をフル装備で持ってきた事が仇となりそうだ。というか、それでも足りるかわからない。試しに開いたドリンクメニューに、ミネラルウォーターと書かれているのを見て、早速天井を仰いだ。


 俺は、綺咲が誘ってきた時の事を思い出していた。


 ――それでね、そこのカフェがすごいおしゃれなんだってぇ。素敵じゃない?――

 ――でもぉ、そこはちょっとオトナ向けというかぁ、ちょっと高いらしいんだよね――

 ――そんな訳でぇ、私を連れてってくれない? ねぇ、才賀君――


 彼女が連れて行って欲しい場所がここなら、その目的は、奢りだろう。

 なるほど、それにふさわしいだけの金額設定なのは、それ以上メニューを見なくてもわかる。


「……お手柔らかに頼むよ。僕も手持ちが多いわけじゃないから」


 俺は財布を開かないまでも、中身を思い浮かべながら、ため息をついた。


「ん、あーあ、そういうことぉ。それで、才賀クンはさっきからテンションが低いんだ」


 綺咲はソファーに反り返っている俺を柔らかい笑顔で見つめる。

 その表情も意外ながら、そしてもっと意外なことを、彼女は言ったのだ。


「いいよ、ここはあたしが持つから」


 俺は一瞬その言葉の意味がわからなかった。


「だから才賀クンは気にせずに、食べたいものだべてよ。あたしもそうするし」

「え、え? いや、だって――」

「お金、ヨユーないんでしょ?」


 そして俺はまたしても驚いた。それは、あの時俺が彼女に言った言葉。


 ――学食買うので精一杯――


「あたしが来たくてついてきてくれたんだし、当然っしょ。最初からそのつもりだしぃ」


 まさかの発言に、俺の脳の処理が追いつかない。


「え、ちょっとまって。整理しよう」

「あははっ、何テンパってんの?」

「だって、高橋さんは僕に奢ってもらう目的でここに来たんじゃないの?」


 ――この画像をばらまかない代わりに、奢れ――


 俺はてっきり、そういう意味だと思っていた。そうじゃないのか?


「あたしがいつ、そんなこと言った?」


 ……たしかに、言ってない。


「それに、あたしはお金に困ってないんだなぁー。そーゆーワケだから、気にせず、頼んじゃおうよ。ウェイターさん、困ってるよ」


 まるでさっきまでとは別人のような、やさしい笑顔が俺に向けられる。

 この女の真意が、まるで読めない。


「じゃあ、あたしはこれとこれと……あー、これも良くない? ねぇ、才賀クン、これとこれならどっちがいい? ハンブンコしよ」


 俺は半分放心状態で、思考回路はまともに機能していなかった。彼女に言われるまま、メニューを頼む。


「あー楽しみっ! でもこういうお店って、ここからが長いのよねぇ」


 彼女は天井を見渡し、物珍しそうなオブジェに目を輝かせている。


「……目的は、何?」


 ウエイターが去った後、俺はいよいよ我慢できず、言った。それはしっかりと彼女にも聞こえていたようだ。ピタッととまり、先程まで無理に作っていた笑顔を辞めた。それでも、その顔はやっぱり綺麗だった。


「別に? この店に来てみたかった、ってだけ」

「――それなら僕が相手である必要がないでしょ」

「そう、思う?」


 試すような瞳が、俺を射抜く。


 どうしてだろう、笑顔を辞めた綺咲の瞳は、とても綺麗なのに、なんだかとても、寂しそうだった。

 俺はそれ以上、言葉が出てこなくなる。

 しかし彼女も何も言わない。

 結局沈黙に耐えかねた俺が、言葉を続けた。


「こんなやり方、裏があるに決まってる。見当はつかないけど、別に、僕の前でぶりっ子なんてしなくていいよ。ここまで来たんだ。どうせなら、本当の目的を聞いておきたい」


 俺がそういうと、また暫くの沈黙が訪れた。

 しかし今度は先に綺咲が、諦めたように小さく笑った。


「あはっは。ぶりっ子はねぇ、女の武器だよ、才賀クン。それに――」


 そして綺咲は髪をかきあげた。


「ぶりっ子っていうなら、あんたもそうじゃない」

「なん――」

「さっき、『俺』、って言った」


 頬杖をついて余裕の表情の綺咲が、俺を追求する。


「本当は、俺キャラなんでしょ? さっき焦ってたとき、言葉が強かったし。そっちが本当のあんたって感じ。なんで僕キャラ演じてるのかわかんないけど、男のぶりっ子の方がタチ悪いんじゃない?」


 俺は綺咲の言葉に驚きを通り越して、覚悟していた。


 自分の想像を超える相手には、こちらも本気で向き合わないとならないのだという事を。


「……なるほどね」


 だったら、応えてやる。


「余計な気遣いはいらないってことだな。その方が気が楽だよ。お互い、本音で話せそうじゃないか。――なぁ、高橋綺咲」


 お前の目的を、聞き出してやる。


「そーゆーコト」


 目前で余裕ぶった綺咲の、化けの皮を剥がしてやる。

 そして、画像を削除させてやるんだ。

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