第19話

 まるで子供のように、半身を布団に埋めた衣央璃いおる


「聞こえなかったんだよ」


 足元には、衣央璃が投げつけた枕が転がっていた。数年前に見たものと変わらない。


「投げちゃだめじゃないか。大切にしてるんだろ」


 拾い上げると、懐かしい匂いがした。それは、なぜだか俺の心を急に優しくさせる。


「はい」

「……ありがと」


 枕を渡すと、それを受け取り、胸のあたりで抱きしめ、顔を半分うずめている。俺はベッドの縁に腰掛けた。


「変わらないな、この部屋も」


 女の子の部屋にしては、おそらくシンプルな部屋。物を大事に使う衣央璃らしく、同時のものがそのまま残っている。あの机の傷は、二人が喧嘩した時にできたものだ。もうあんなに低い高さに傷をつける方が難しいくらいに、俺たちは大きくなったんだ。


「どれくらいかな。もう、何年とか、かな」


 俺たちが男と女を意識する前は、ここでよく二人で遊んだ。周りの目なんてどうでも良かった。俺たちは、幼馴染で、誰よりも大切な友達だった。


「それくらいじゃ変わらないよ。たった数年だよ」

「ああ。だが、長い年月だよ。――人を変えるのには、十分な」


 人は変わる。俺はつい最近、それを思い知ったんだ。人の人生だって、割と簡単に変わってしまうんだ。だからこそ、俺は本当に大切なものが何かを、ずっと考えていた。

 そして、衣央璃は、間違いなく、その中の一つだった。


「寺坂さんから聞いたよ」


 真帆が言っていた事。それを聞いた俺は、急いでここに来た。彼女の言う通り、これは俺が衣央璃に会う前に、聞いておくべき内容だった。


「お前と明美ってやつとの間に、何があったのか」


 ずっとわからなかった、衣央璃の行動の理由が、そこにはあった。




 

 数ヶ月前。俺たちがまだ普通に話したり、買い物をしたり、友達として接していた頃の話しだ。


「衣央璃さ、なんだけっけ、あの有坂って人と、よく遊ぶよね」


 衣央璃と真帆、明美で遊んでいた時だ。それは明美の一言から始まった。


「デキてんの?」


 その日、明美は機嫌が悪かった。

 付き合ったばかりの彼に振られ、刺々しい日々が続いていたらしい。

 ――そうじゃない時はいい子なんだ、と真帆は付け加えていた。


「才賀……有坂君とは、そういうんじゃないよ。ただの幼馴染」


 男運がなく男友達も多くない明美は、嫉妬していたのではないかと、真帆は言った。


「そっか。なんか、安心したわ。あいつが衣央璃の彼氏じゃなくて」

「……どうして?」

「え、だって、あいつなんか、貧乏臭くない?」


 それは、俺に対する非難だった。


「そう、かな」

「そうでしょ。持ってるもの、なんかボロ臭いし、かばんもヨレヨレだし。何より、地味じゃね? ありえないって」


 親父の事業が成功するまでは、我が家の家計は苦しかった。貧乏とは言わないにしても、決して裕福ではなかった。いつ出ていくかも知れないお金の事を考えれば、贅沢はできなかった。かばんは近所の人のおがりだったし、筆記用具や靴はそれこそ擦り切れるまで使った。

 けど俺はそれを気にしていなかった。実際この頃には事業が成功して大金が入ってきていたけど、その習慣はなかなか変えられなかったし、今までの事を考えれば、贅沢する気にもなれなかった。一瞬の成功を安泰だと思ってしまえるほど、俺たち家族は能天気じゃなかったんだ。


 でも、明美には面白くなかった。


「才賀は、物を大切にしてるんだよ」


「それこそ貧乏くさいって奴じゃん。そういう人って、マザコンになりやすいって言うじゃん? 衣央璃には似合わないって」


 おっとりとした衣央璃は、お母さん譲りの美貌もあったし、身だしなみもしっかりしてて、言葉遣いも丁寧だったから、いいところの娘だと思われている節がある。品があったのだ。実際、それなりにお金もある家庭だった。


 ――貧乏で地味な俺と、衣央璃は似つかわしくない。だから辞めたほうが良い。


 きっと明美は、そう言いたかっただけなんだと思う。


 だけど、衣央璃は、それを俺の侮辱と受け取った。


「……才賀はそんなんじゃない!」


 その時、初めて衣央璃が怒るところを見たという。


「才賀はお母さん想いなんだよ。ご両親に理解がある、良い人なんだよ。お金だって本当はもう困ってないのに、お金だっていっぱいあるのに、そうやって大切にしてるだけなんだよ!」

 

 翌日。明美は俺の両親の話をクラスで持ち出した。

 それに関心を示したクラスメートからの詰問に、嘘は突き通せなかった。





「ばかだなぁ、お前も」


 衣央璃は、自分のために、俺の事を話したんじゃなかった。


「そんなもん、言わせておけばよかったのに」


 俺の名誉を守るために、怒ってくれたのだ。


「……だって……」


 鼻水をすする音と、嗚咽で、それはほとんど言葉になっていなかった。


 それはきっと、俺のために泣いてくれているのだ。



 ――にも関わらず、俺は。


「ごめんな、衣央璃」


 ばかなのは、俺だ。


「ごめん」


 泣きじゃくる衣央璃。その頭をそっと抱き寄せた。




 ――昔みたいに。

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