第19話
まるで子供のように、半身を布団に埋めた
「聞こえなかったんだよ」
足元には、衣央璃が投げつけた枕が転がっていた。数年前に見たものと変わらない。
「投げちゃだめじゃないか。大切にしてるんだろ」
拾い上げると、懐かしい匂いがした。それは、なぜだか俺の心を急に優しくさせる。
「はい」
「……ありがと」
枕を渡すと、それを受け取り、胸のあたりで抱きしめ、顔を半分うずめている。俺はベッドの縁に腰掛けた。
「変わらないな、この部屋も」
女の子の部屋にしては、おそらくシンプルな部屋。物を大事に使う衣央璃らしく、同時のものがそのまま残っている。あの机の傷は、二人が喧嘩した時にできたものだ。もうあんなに低い高さに傷をつける方が難しいくらいに、俺たちは大きくなったんだ。
「どれくらいかな。もう、何年とか、かな」
俺たちが男と女を意識する前は、ここでよく二人で遊んだ。周りの目なんてどうでも良かった。俺たちは、幼馴染で、誰よりも大切な友達だった。
「それくらいじゃ変わらないよ。たった数年だよ」
「ああ。だが、長い年月だよ。――人を変えるのには、十分な」
人は変わる。俺はつい最近、それを思い知ったんだ。人の人生だって、割と簡単に変わってしまうんだ。だからこそ、俺は本当に大切なものが何かを、ずっと考えていた。
そして、衣央璃は、間違いなく、その中の一つだった。
「寺坂さんから聞いたよ」
真帆が言っていた事。それを聞いた俺は、急いでここに来た。彼女の言う通り、これは俺が衣央璃に会う前に、聞いておくべき内容だった。
「お前と明美ってやつとの間に、何があったのか」
ずっとわからなかった、衣央璃の行動の理由が、そこにはあった。
◇
数ヶ月前。俺たちがまだ普通に話したり、買い物をしたり、友達として接していた頃の話しだ。
「衣央璃さ、なんだけっけ、あの有坂って人と、よく遊ぶよね」
衣央璃と真帆、明美で遊んでいた時だ。それは明美の一言から始まった。
「デキてんの?」
その日、明美は機嫌が悪かった。
付き合ったばかりの彼に振られ、刺々しい日々が続いていたらしい。
――そうじゃない時はいい子なんだ、と真帆は付け加えていた。
「才賀……有坂君とは、そういうんじゃないよ。ただの幼馴染」
男運がなく男友達も多くない明美は、嫉妬していたのではないかと、真帆は言った。
「そっか。なんか、安心したわ。あいつが衣央璃の彼氏じゃなくて」
「……どうして?」
「え、だって、あいつなんか、貧乏臭くない?」
それは、俺に対する非難だった。
「そう、かな」
「そうでしょ。持ってるもの、なんかボロ臭いし、かばんもヨレヨレだし。何より、地味じゃね? ありえないって」
親父の事業が成功するまでは、我が家の家計は苦しかった。貧乏とは言わないにしても、決して裕福ではなかった。いつ出ていくかも知れないお金の事を考えれば、贅沢はできなかった。かばんは近所の人のお
けど俺はそれを気にしていなかった。実際この頃には事業が成功して大金が入ってきていたけど、その習慣はなかなか変えられなかったし、今までの事を考えれば、贅沢する気にもなれなかった。一瞬の成功を安泰だと思ってしまえるほど、俺たち家族は能天気じゃなかったんだ。
でも、明美には面白くなかった。
「才賀は、物を大切にしてるんだよ」
「それこそ貧乏くさいって奴じゃん。そういう人って、マザコンになりやすいって言うじゃん? 衣央璃には似合わないって」
おっとりとした衣央璃は、お母さん譲りの美貌もあったし、身だしなみもしっかりしてて、言葉遣いも丁寧だったから、いいところの娘だと思われている節がある。品があったのだ。実際、それなりにお金もある家庭だった。
――貧乏で地味な俺と、衣央璃は似つかわしくない。だから辞めたほうが良い。
きっと明美は、そう言いたかっただけなんだと思う。
だけど、衣央璃は、それを俺の侮辱と受け取った。
「……才賀はそんなんじゃない!」
その時、初めて衣央璃が怒るところを見たという。
「才賀はお母さん想いなんだよ。ご両親に理解がある、良い人なんだよ。お金だって本当はもう困ってないのに、お金だっていっぱいあるのに、そうやって大切にしてるだけなんだよ!」
翌日。明美は俺の両親の話をクラスで持ち出した。
それに関心を示したクラスメートからの詰問に、嘘は突き通せなかった。
◇
「ばかだなぁ、お前も」
衣央璃は、自分のために、俺の事を話したんじゃなかった。
「そんなもん、言わせておけばよかったのに」
俺の名誉を守るために、怒ってくれたのだ。
「……だって……」
鼻水をすする音と、嗚咽で、それはほとんど言葉になっていなかった。
それはきっと、俺のために泣いてくれているのだ。
――にも関わらず、俺は。
「ごめんな、衣央璃」
ばかなのは、俺だ。
「ごめん」
泣きじゃくる衣央璃。その頭をそっと抱き寄せた。
――昔みたいに。
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