第13話

 下校時間になり、俺は席を立った。後ろの鏡介は、怒り顔の彼女がチャイムと同時に迎えにきて引きずられていった。なんだか申し訳ないと思いつつ、教室を見渡す。無意識でその姿を探してしまったが、水谷志吹の姿はすでになかった。

 その視線の先、出口側でこちらをチラチラと覗き込んでいる下級生の姿が見える。俺の噂を聞きつけ、覗きに来たのだろう。俺は面倒だと思いながら、後方のドアから一人教室を出た。話しかけるなというオーラを放ちながら。


 廊下に出れば、だいたい衣央璃を出くわす。それがここ数ヶ月の日常だったけれど、今日に限ってその姿がなかった。俺はそのまま下駄箱に向かうべく、階段を降る。


 その時だった。階段の角に、衣央璃の後頭部を見つけた。誰か、別の女子生徒と話している。


「……最近、付き合い悪くない? 衣央璃ぅ。避けてんの?」


 声の主は、衣央璃とよく一緒にいる女子の一人だった。その隣には昨日カラオケに一緒に行っていた生徒がいて、よしなよ、となだめている。


「別に、そういう訳じゃないよ」

「気に入らないことがあるんなら、はっきり言えばいいじゃん。あたし、そういうの気持ちわるいんだよ」

「だからそうじゃ……」


 どうやら、最近付き合いが悪いことを言い寄られているらしい。おそらくそれは、俺と一緒に帰ってるからだろう。


 ……友達に迷惑をかけてまで、することじゃないよな。


「あー、そう。そういうことか。衣央璃なんだ」


 その一言が、階段に響き渡った。一瞬で生徒たちの喧騒が静寂に変わっていく。


「ちょっと明美……辞めなよっ」


 それでも明美と呼ばれた生徒は収まる気配がない。


「幼馴染だからって、取り入ろうとしてるんでしょ。思えば、衣央璃だもんね、有坂の親があの有名社長だって教えてくれたのも。幼馴染を彼氏にして、自慢したいんでしょ。だから毎日帰ってるんだ。他の女に取られないように!」


 静寂がざわつきに変わっていく。野次馬、陰口、色々な言葉が階段中にこだましている。その生徒たちの群れの中に俺の姿を見つけた衣央璃の友達が、明美の袖を引っ張る。


「ねぇ、まずいよ、明美……」


 俺の姿を見つけた明美という生徒も、さすがにまずいと思ったのか、しかし勢いを引っ込める訳にも行かず、こちらに睨みを利かせている。俺はその横を、何も言わずに下っていく。


「さ、才賀、違うの」


 すれ違いざま、衣央璃が言う。

 だけれど、俺は何も言わずにそのまま通り過ぎっていた。

 



「才賀っ、待って、待ってよ」


 後ろから衣央璃が追いかけてくる。俺はそれを知りながら、歩みを緩めたりしなかった。やがていつもの街道を、黙って二人で歩いていく。


「聞いてた、よね」


 俺は返事をしない。衣央璃には、それが肯定だと十分に伝わっている。


「本当、そんなんじゃ、ないから」

「じゃあどういう訳?」


 俺の言葉に、彼女がピタッととまる。

 俺は少し先で振り返って、言った。


「嘘だよ。……別にお前がそんなことで得しようだなんて、考えないことくらい、俺にもわかるよ。俺の家の事情も、親父のことも、よく知ってるんだし」


 衣央璃は幼馴染だ。だから、家族の事もよく知ってる。俺がくだらないことにお金を散財するような奴じゃないくらい、衣央璃はわかってるはずだ。

 だからこそ、なんでそれを広めたのか、未だにわからない。俺がそんなこと、喜ぶ訳ないって、わかってるはずなのに。


「それよりも、もうこういうのは、いいよ」


 俺は頭を掻きながら、言った。


「友達だって、寂しがってるだろ。俺と違って、お前はたくさん友達がいるんだから」


「なに、それ」


 俺に悪気はなかった。

 でも、俺にはそれがすぐに分かった。

 だって幼馴染なんだから。

 

 ――衣央璃が、泣きそうだ。


「いや、だから、友達を困らせてまで俺と一緒にいなくていい、って言ってるんだよ。お前は俺が怒ってると思って気にしてるんだろうけれど、そういう気遣いも、正直もういらないっていうか」


 俺だって、いつまでも怒っているつもりはない。本当は、もう許したい。ただ、時間が必要なだけなんだ。今の環境だって、一時的なものだって、わかってる。そのうち慣れて、落ちついて。その頃には、きっと元通りになるって、思ってはいるんだ。


「……そっか……。才賀は……」


 衣央璃も同じだと、そう思ってた。


「迷惑、だったんだね」


 ――この泣き顔を見る、この瞬間までは。



「ごめん。これからは、もうしないから」


 彼女が走り去っていく。


「ちょ、衣央ちゃ――」


 呼び止めようとした手は、口から飛び出した言葉で留められた。

 昔の呼び名が自然と出てきたことに驚いた。

 

 そして、昔のようにはいかないことを、思い知った。

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