第11話
「凄いのは貴方ではなくてご両親なわけだし、それに」
俺の心はひどく動揺した。
「恋愛をするのに、お金は関係ないんじゃないかしら。だって、お金に恋をする訳じゃないでしょう?」
まるで俺が思っていることを、言ってくれたような。
「どうして、彼女らは急に貴方に関心を示したのかしら」
俺は目頭が熱くなるのを感じた。もしかしたら流れ出してしまうかもしないそれに備えて、手のひらで額を抑えた。
「……お金が無い人にとっては、憧れなんだよ。お金持ちっていうのは」
多分きっとそうだ。その気持も、残念ながら俺には少しわかるのだ。
「そういうものかしら」
「そりゃあ無いよりはね。僕も、今の状況になるまでは、憧れてたこともあるし」
我が家は決してお金もちではなかった。父の事業が成功するまでは、むしろひもじい思いもしていたのだ。だから、お金が急にたくさん入ったからと言っても、その価値観までもが変わる訳じゃない。今までの苦労があったからこそ、慎重になるのだ。
「友達と遊んでて、羽振りがいいヤツとか、羨ましかったよ」
そういう人に憧れることは、きっと誰だってある。
でも少なくとも俺は、そいつが奢ってくる奴だったから遊んでいたわけじゃない。そいつが好きだったからだ。断じて、金目的で近づいたんじゃない。
「そういう経験、水谷さんは、ない?」
「どう、かしら」
水谷さんは窓の遠くを見ながら、言った。
「そういう友達が、私にはいなかったから」
地雷を踏んだ、と思った。
「ごめん」
「ううん、いいの」
彼女が友達から避けられていたのは、高校に入って比較的すぐのことだったらしい。学校帰りにお茶するだとか、カラオケ行くだとか、そういうお金が絡むことは高校に入ってからが主流だろうから、そういう経験をあまりせずに、今日まで来てしまったのだろう。
「でも、なんだか嬉しいよ」
「え?」
俺は気まずい話題を切り替えるように、そう言った。
「水谷さんが、なんだか温かい人みたいで」
「温かい、人?」
「そう。今更こういうと気を悪くするかも知れないけれど、恋愛をするのにお金は関係ない、だなんて」
「……なんだか馬鹿にされた気分だわ」
「そうじゃないよ。これは褒め言葉」
いじけ顔も不器用な水谷さんは、もう、と言って、足元のかばんを持ち上げた。
「ああ、学生かばん」
「学校帰りですから」
「そういえば、そうだよね。授業受けてたし。家が近いの?」
「むしろ少し遠いわ。だからこのかばんに着替えを入れてきたの。生まれて初めて駅のトイレで着替えたのだけれど」
嫌なことでも思い出したのか、眉がへの字になる。
「狭いし……。やるもんじゃないわね」
「ふふ」
俺は思わず笑ってしまった。それに釣られて、彼女も少し笑った。
氷の女。
学校とは全く違う印象の彼女。
出会い系の男に合うためにそこまで努力している姿が、なんだか可愛らしかった。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「ああ、うん、そうだね」
振り返れば、店内はいつの間にか満員になっていた。
「今日はありがとう」
外に出ればすぐに駅だ。そこで別れを切り出す彼女に、ああ、そうか、と気付かされる。
「こちらこそ」
俺たちは出会い系で出会うはずじゃなかった、クラスメート。
だから恋人のような事はしない。もちろん、デートも。
そもそも今日ここで会ったことが、何かの間違いだったのだ。
「それで、明日からのことなんだけど」
彼女がこちらに振り返る。きれいなワンピースが、構内の風でたなびいた。
「いつもどおり、私には話しかけないで欲しいの」
「え」
その言葉が、言葉以上に、胸に刺さる。
「いや、でも、せっかく知り合えたんだし」
「いいえ、有坂君。私達はもとから知り合っていたわ。だってクラスメートなんだから」
彼女の言葉が、まるで脳内の黒板に板書されていくかのように、文字化されていく。
クラスメート。
俺達の関係を表すのに、最適な言葉。
友達でも、恋人でも、なく、ただのクラスメートだった。
「それに、貴方は知ってるでしょう?」
彼女はなびく髪を耳にかけ、そして疲れたように笑ったのだ。
その時の彼女の表情。それが今も俺の脳裏に焼き付いている。
「私は、氷の女なのよ」
その言葉を最後に、彼女は立ち去った。
開札をくぐり抜けていく彼女が人混みに消えていくのを、俺はずっと見ていた。
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