おむつの絆

はおらーん

おむつの絆

「紘実、誕生日おめでとう」


そう言って彰人が差し出したのは、小さな花束と綺麗な小箱に入ったネックレスだった。月3万円の小遣いからねん出したお金で買ってきたものだ。


「あなた、ありがとう!ちゃんと覚えてくれてたんだ!」


「当たり前だろ、忘れたりなんか…」


プルルルルっ


会話の途中で彰人の携帯が鳴った。


「はい、あ、はい!…えっとですね…」


夜になって家に帰ってきても、彰人の携帯が鳴りやむことはない。都内の商社で営業マンをしていることもあり、取引先からの連絡が後を絶たないのだ。


「ごめん、紘実。急に商品に問題が見つかっちゃってさ…、悪いんだけど…」


「わかってるよ、仕事だもんね。じゃあスーツ準備するね」


紘実はさみしいのを隠して彰人が出かける準備をした。


「いってくるよ、今日は本当にごめんな…、誕生日だっていうのに」


「いいの、お仕事がんばってね!」


「あぁ、ありがとう!」



急ぎ足で出かける彰人を見送った紘実は、パーティーするはずだった料理にラップをかけ始めた。この時間に出て行くのは、もう次の朝までかかる仕事だというのはわかっていた。



就寝準備を終えた紘実は、一人で布団に潜り込んだ。染みで汚れた天井を見て、あぁ、オンボロアパート早く抜け出したいなぁなんて思ったりした。彰人の収入が少ないわけではないのだが、二人には夢がある。それは、マイホームを購入し、子供をつくって暖かい家庭を築くことだった。さすがにアパート暮らしで子供を作ることはできないため、二人とも自粛していた。(もちろん普段の営みはあるけど)


そのためにもバリバリ働く彰人を応援し、支えている紘実ではあったが、同時に寂しさも感じていた。今日の誕生日のこともあるが、最近では夜も仕事に抜けることが多くなった。もちろん浮気を疑うなんてことはないが、付き合っているころのように、他愛もない会話をすることが少なくなっていることへの不満はあった。


そんな時に思い出すのは、自分が子供の頃の記憶だった。紘実の父親は、自営業で、昼間も家にいることが多かった。そのため、母親よりも父親と遊んだ記憶のほうが多かったのだ。


紘実はおねしょがなおるのが遅く、小学校の低学年までおむつで寝ていた。そのため、夜は母の代わりに父がおむつを当ててくれていたのだ。当時は恥ずかしくてずっと目をつむっていたものだが、今となっては良い思い出である。


なぜなら、おむつを換えてくれる父親はもうこの世にはいない、4年前にガンで他界したのだ。だからこそ、あの頃のおむつ交換が懐かしい…


おむつをすれば、あの頃の温かい日々に戻れるかもしれない。



そんな気持ちのまま眠りに落ちた紘実は、次の日買い物の途中でドラッグストアに立ち寄っていた。


「いらっしゃいませ~」


元気にあいさつしてくれる店員さんを横目に、紘実はおむつコーナーに向かった。しかし、いざ目の前にくると、自分が使うおむつを選んでいると思われるのが恥ずかしくなり、ついつい横に並んでいる生理用品を探しているふりをしてしまう。


横目でチラチラとおむつコーナーを見ていると、ふとひとつのパッケージが目に留まった。『大人用と子供用の中間サイズ』


元々小柄で、身長も160には足らず、スマートな紘実は、今でも大きめの子供服であれば着れるのだ。おそらく、普通の介護用などの成人用紙おむつでは、大きすぎるはずだ。


咄嗟に紘実はその青紫色のパッケージを抱え、レジに向かった。幸運にもレジには誰も並んでおらず、すぐに支払いを済ませることができた。


急いで店を出たのを後悔したのは、店を出てからすぐのことだった。お釣りを受け取った時に、一緒に袋でももらえば良かったのだが、焦った紘実は、そのままパッケージごと手に提げて家まで帰ることになったのだ。


さすがに、『スーパービッグ』と書かれたパッケージを下げていれば、平常心で道を歩くことはできない。家に子供はいないし、いたとしても、スーパービッグなんて、もはや子供のサイズではない。


見る人が見れば、それは紘実が使うものかもしれないと勘付く人はいたかもしれない。それでも、紘実はなんとか無事に家まで帰ることができた。時計を見ると、まだ15時。夫が帰るまではまだまだ時間があるし、家事もほとんど午前中に済ませていた。あとは晩御飯の支度だけ…



紘実が気付いた時には、買ってきた紙おむつのパッケージを破り、開いたおむつをベッドの上に広げ、じっと見つめていた。


履いているスカートを脱ぎ棄て、ショーツもそろそろと下ろした。ゆっくりとおむつの上にお尻を下ろすと、少しひんやりとした。


しかし、股ぐりに合わせて前あてをお腹までもってきてテープをとめると、なんだかポッとあったかくなるのを感じた。紘実は、小学生の頃のことを思い出していた。


「紘実、今日もやっちゃったか?」


「うん…」


「そうか、じゃあズボン脱ごうな。おねしょしても落ち込む必要ないからな。お父さんが今晩はおむつ当ててあげるからな」


「うん!」


おむつを当てたまま、どれくらい時間が経っただろうか、紘実の目には涙が浮かんでいた。


あの頃の気持ちはもうどこかに行ってしまった。私のこの気持ちを受け入れてくれるものはおむつだけかもしれない…



ふと時計に目をやると、すでに17時前になっていた。気付かない間に、2時間も経過していたことになる。紘実は急いでおむつを脱ぐと、丁寧に畳んで、パッケージの中に戻した。一瞬隠し場所に困ったが、主婦にはこういう秘密はお手の物。彰人が開けそうもない、洗面所のクローゼットの奥にしまいこんだ。



ついつい遊んでしまったぶん、急いで晩御飯の支度をした。今日は手をこんだ料理をしようと思い、ビーフストロガノフの準備をしていたのだ。


「これだけ煮込んだらオッケーでしょ!」


ロシアの煮込み料理だが、紘実は前々からこの料理を作るために、かなりの苦労をして仕込みをしていた。


その時、彰人から電話がかかった。


「あ、紘実?今日さぁ。ちょっと接待で帰りが遅くなるんだ…」


「そ、そうなんだ…」


「ごめんよ、大事な取引相手で…」


紘実も、彰人の仕事の大事さは十分に分かっていた。彰人の商談を邪魔するわけにはいかない。


「わかったあなた。じゃあ今日は先に寝てるね」


「悪いな紘実」


「いいの、お仕事頑張って!」


「あぁ、ありがとう!」



紘実は、作りかけの料理の火をとめ、ため息をついた。一人で食事を済ませ、寝床につくときには、10時を回っていた。それでもまだ彰人は帰ってこない。


それからも、彰人が12時を回って帰宅することが多かった。1週間のうち、3、4日は家を空けるようになり、その頻度も段々と多くなっていたのだ。


それと共に多くなっていたのが、紘実のおむつ遊びだった。彰人がいない寂しさを紛らわせるかのように、毎日のようにおむつ遊びにふけっていた。


しかし、そんなささやかな楽しみをぶち壊す事件が起こる。


その日も紘実はおむつ遊びに興じていた。もう慣れたもので、おむつを当てたまま、小一時間ほど物思いにふけっていた。しかし、今日は疲れていたこともあり、おむつを当てたまま、ベッドで眠りに落ちた。



目が覚めた時には、時すでに遅し。久々に早く帰ってきていた彰人が、驚いたような表情で紘実の前に立ち尽くしていた。


「紘実…、何してるの?」


「あ、こ、これは…」


「それって、紙おむつじゃないの?」


「えと、その…」


言い淀む紘実を傍目に、彰人は何がなんだかわからないような表情をしていた。


「おもらし、なんてするわけないよな…。え、本当に何…」


ただただ独り言のようにつぶやく彰人を前にして、紘実はうなだれるしかなかった。やっと話せるようになった紘実は、ゆっくりと話しはじめた。


「あのね、実は…」


紘実はすべてを語った。おむつを買った経緯、お父さんのことを忘れられなかったこと、そして彰人が遠い存在のなってしまうのではないかという不安…



話を聞いている彰人の眼には、涙がたまっていた。


「紘実、ごめん!」


突然の彰人の言葉に、紘実は驚いた。じつのところ、紘実はおむつ遊びが見つかったことで、最悪彰人から別れを告げられるのではないかと思うくらいの覚悟をしていた。それなのに、まさか彰人がごめんと言うとは。


「なんで、あなたが謝るの…」


「俺のせいだよ。家で紘実が料理作って待ってるのわかってるのに、仕事の接待ばっかり行ってさ。本当は紘実、俺のこと怒ってるんじゃないかなって、ずっと不安だったんだ」


「そんな、あなた…」


「本当はいつも感謝してたんだ、紘実。仕事ばっかりで紘実のことを省みないような生活ばっかりだったけど、紘実が俺のサポートしてくれてること、紘実がいないと、俺もまともな仕事できなかったこと、それから…」


彰人はいつもとは違う、真剣な表情で言葉をつづけた。


「家で待ってる紘実がいるからこそ、頑張れたこと」


聞いていた紘実の目にも涙が溜まっていた。


「俺、これまでのこと反省するよ」


「いいの、私もあなたの仕事が忙しいのわかってて我がまま言おうとしてたんだもん」


二人は泣きながら、お互いの反省の弁を述べた。彰人は紘実のおむつにそれ以上突っ込むことはしなかった。



二人の絆は修復されたのだが、話はまだ終わらない。


「彰人、今日の晩御飯はビーフストロガノフだよ!」


「ビーフ…、なにそれ?」


「見ればわかるよ!」


おむつがバレた次の日、彰人は早く帰宅していた。もちろん、紘実お手製の料理を食べるためだ。


「これおいしいね!牛肉がトロトロだよ」


「でしょ?8時間くらい煮込んでるんだよ」


「そうなんだ、すっごい美味しい!」


「良かったぁ。これからも料理頑張るね!」


「あぁ、期待してるよ!」


晩御飯を食べた後は、3年ぶりに一緒にお風呂に入った。



二人が一緒にお風呂からあがると、彰人が紘実に言った。


「服はまだ着ないで。ちょっと寝室に行こう」


紘実は戸惑ったが、バスタオル一枚で一人だけ服を着た彰人に手を引かれて寝室に入った。


「紘実、ちょっとベッドに寝転がってごらん」


紘実は言われるがままにベッドに横になった。


「俺さぁ、紘実のお父さんに代われるかどうかわからないけど、紘実のためなら…」


彰人はどこから探してきたのか、紘実が以前買ってきていたおむつを手にしていた。


「あなた…」


一瞬考えたが、せっかく彰人が受け入れてくれたのだからという気持ちもあった。紘実は彰人の言うままに従った。


ベッドに横たわって、足を開いた。その後は、彰人の言うがままだった。


いつも一人で当てていた紙おむつ。今は愛する人に当ててもらっている。一瞬だが、紘実は彰人と自分の父親を重ねて見ていた。


「紘実、終わったよ」


丁寧におむつを当てた彰人は、紘実に言った。


おむつを当てた紘実は、本当に子供のころに戻ったように、満足げな表情だった。




そして数週間後…


「あなた、お帰り!」


「ただいま!」


「今日は早いのね」


「あぁ、今日は新しいの買ってきたよ」


彰人の手にあったのは、新発売の紙おむつだった。


あれ以来、週に2、3回は夫婦でおむつ遊びをやっている。はじめは紘実の寂しさの象徴だったものが、いつのまにか、夫婦の絆の象徴になっていたのだった。



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