メロンソーダ

「メロンソーダが飲みたいの」


 そう言った彼女を連れて、流行りの喫茶店へ入った。もう何軒目かわからない。その度に彼女はひとくち口にして首を横に振る。


「これはメロンソーダじゃない」


 僕は肩を落とす。一体、彼女が気に入るメロンソーダとは何なんだ。今日だって雑誌をめくりにめくってようやくこれなら、と思って臨んだデートだったのに。

 このところ僕は彼女のご機嫌姿を見ていない気がする。言葉少なな時間が増えていた。知り合って十年、付き合って一年。この頃はまるでかぐや姫を前に右往左往した帝たちの気持ちがわかった気分だ。

 

「何が気に入らないの。メロンソーダなんて、きょうびドリンクバーにだって並ぶような変哲のないものだろ」

「ちがうんだもん、しょうがないでしょ」

「少なくとも今日までに飲んだのは同じだと思うけど」

「そうよ。だからちがうの」


 うんざりしながらアイスクリームを崩して口にした。そう、うんざりなんだ。なのに僕の頭の中は次のメロンソーダを探す方法を考えている。

 バニラアイスクリームにちょこんと乗ったカンヅメのシロップ漬けさくらんぼ。

 バニラビーンズが入ったようなアイスクリームじゃないから?

 それともさくらんぼがシロップ漬けだからいけないのか?

 一度、本物のメロン果肉を乗せて、果汁入りソーダにしたパフェも驚きの値段のメロンソーダを出す店にも行った。

 あのときの彼女の渋い顔ったらない。文句を長々と垂れることはなかったけど、ひとくちも口にする前から不機嫌だったのはあのときが一番だったかもしれない。


「いい加減、答えかヒントくれよ」


 うんざりなんて言いながら、付き合うのには理由がある。僕には負い目があるのだ。

 うっかり、一年記念のお祝いをしようと言った日を失念して彼女を半日も待たせたのだ。言い訳をすれば期末テスト明けで疲れ切っていて眠り込んだのだが、半日もの時間を駅で独り待ちぼうけにさせたことは僕も悪いと思っている。

 それ以来、彼女はどういうわけかメロンソーダに取り憑かれていて、僕は彼女の機嫌を取りたくてそれを扱う店を探し続けていた。


「タカトは気づかないんだね」

「……正直お手上げだよ。記念日忘れてたのはこっちの落ち度だけどさ、それにしたってもう何度目なんだか」


 学生には安くない金を払って、彼女の不機嫌を買うだなんてそんな馬鹿げた話があるか。……思わず口にしそうになっては、ストローで緑色のそれを吸い上げた。

 メロン果汁のメの字もない、着色料オンリーの気泡立つグラスを見つめる。

 シュワシュワと弾けているのが僕の彼女への思いではありませんようにと祈る。


「笑い話になるはずだったのにな」


 ぽつりと対面でこぼす声に目を上げると、彼女は悲しそうにうつむいて窓の外を見ている。


「ごめんね。はじめはそんなつもりじゃなかったのに、いつの間にかムキになってたみたい」


 怒っていると思ったのは思い違いだったのか。彼女は小さく、わからないほどに小さく息を吐いた。

 答えを探し当てられないことに罪悪感が強まる。

 一体、彼女の求めているものとは何なのだろう。それは本当にメロンソーダなのだろうか?

 それすらわからなくなる。


「ホノカ、本当にメロンソーダが飲みたかったのか?」


 僕の問い掛けに彼女は肩をすくめて微笑む。それは、「もうわからなくなっちゃった」と言っているようにも見えた。

 シロップ漬けのさくらんぼをトップから避けて、アイスクリームを崩し始める。


「子どもの頃は何だってよかった。何でもトクベツだった。ちゃんとした店で飲むこういうトクベツだってそりゃ好きだけど、あたしは、タカトがメロンソーダだって言うアレが好きだった」


 アレ。

 ようやく頭が答えを見つける。いや、でもあれは。


「それこそまがい物じゃないか。気づくかよ」

「だから、笑い話になるはずだったのにな。あたしにとってはトクベツだったんだから、……ちょっと、付けたみたいに笑わないでよ」


 心のモヤの晴れた僕は、その答えがあんまりおかしくて腹から笑い声を上げていた。

 思い出の底の方に、まさか眠っていたなんて思いもよらなかった。ああ、そうだ。正しく、あれは思い出のメロンソーダだった。

 日差しの強い、胸がすくような青空。そこに入道雲がもくもくとわくのももう直だ。十年前の夏の日、僕の母が何をどうしてか作り出した『思い出のメロンソーダ』。

 そのレシピは単純だ。かき氷シロップのメロンをソーダ水に混ぜただけのまがい物。

 家にはじめて女の子を呼んだあの日。ホノカを呼んだあの日。


「うまくなかったってあとから文句つけたことだけは覚えてるよ」

「正直ね。あたしは、あの色が忘れられなくって、ずっと夢にも見るのに」

「冗談だろ。かき氷シロップだぜ?」


 僕の言葉に彼女が目を丸くする。

 言葉を噛み砕くようにゆっくりと時間を置いて、目を瞬かせてからそっか、と呟いた。


「魔法のレシピだと思ってた。そっか、そうよね、そんなトクベツなことってないよね」

「あとから知る現実って、案外そんなもんだよな。……母さんに伝えとく。きっと喜ぶ」

「そうね。そしたら今度遊びに行こうかな」


 魔法は解けてしまったろうか。それとも、解けてもトクベツはトクベツであり続けるのか。

 彼女の久々の優しい笑顔にホッとしながら、そんなことを思った。

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