WHITE SUNDAY


 地獄の9連勤を終えて転がり込む先、あいつの待つアパート。

 ボロボロになってげっそりやつれた顔を笑顔でとりつくろうのもわりと難しい。

 なにも言わずに「おかえり」と微笑って迎えられるけれど本当は一緒に住んでいるんじゃない。野良の仮宿。

 お得意の手製料理平らげて、フロ入って、そのまま泥のように眠り込んだ。


 夜半の静寂を裂いたのは、微かにくぐもる笑い声。


 聴こえる声は小さくて、少し遠い。

 重い体を起こしてまぶたを開いた。灯りの消えた部屋に気配はない。

 のろり、瞳を動かして、ベランダの窓に笑い揺れる人影を見つけた。

 一枚のガラスを隔てていても、あいつが笑っているのだけはよくわかった。

 無意識唇を噛んだ俺は、さもしい。

 自覚するのと感情を抱かないことは同じじゃない。それがむずかしい。

 ぼう、と揺れる横向きの影を眺める時間はそう長く続かなかった。


 近くて遠い、侵せない距離。


 着てきたジャケットを拾って、そろりと音を立てずに部屋を抜け出す。

 古くて建てつけの悪い扉を音を立てずに閉めるのには苦労した。

 タン、タンと静かに降りる鉄階段、走馬灯じゃないけど、一段一段思い出す様はそれっぽい。

 思えば9日ぶりのハグのひとつもしてやらなかったなあとかさ。

 ためいきは白い息に変わった。寒い。そうだ、真冬だった。

 意識して見上げた空はすでにすこし白んでいて、ああ、ようやく時間も把握する。

 同時、白い粉雪がちらつき始めた。ホコリのようにゆれて地面に融ける。


 ジャケットを着なおしたら、両手前ポケットへ突っ込んで猫背気にしない前かがみでぶらぶら、行き先公園。

 どうせ少しもしたらスマホ鳴らして来るんだろう。どこ行ったのって。

 そしたら俺はタバコ買いに、とか平然と答えてみせてやるんだ。そんな、役に立つんだかシミュレート。

 ドーム型コンクリの穴ぼこかまくらに尻預けて、時間をやり過ごす。


 あ。そういやスマホ充電したままだったわ。たはは。

 

 連絡できねーってわかったらどうすっかなあいつ。意外とおとなしく先に寝てるかも知れないな。

 ぼやぼや考えていたら、慌しい足音と全速力で横切って行く人影が向こうの道路。

 足音を聞き分けられるぐらいの時間は共有してたらしい。そんな鋭さに少し笑った。

 通り過ぎた姿は、ややもしてまた慌しく引き返して来た。

 

 目が合った瞬間。ものすごい憤怒を体いっぱい表現しながらどたどたと走ってきた。がみがみと怒鳴られる。一方的に。

 俺は、口許への字に曲げつつちょっとだけ肩を竦める。

 上目がちに見やるアイツの、怒った表情、それすらも割と好きだ、なんて。言いやしないが。

 むぎゅ、と両腕で抱きしめられる。


 ばか。


 説教の締め括りの声はいつもやさしい。体温に甘んじて寄りかかって、目を閉じた。

 そうやって触れ合っている間だけしか、永遠を感じることができない。

 抱き返せない俺の両手は、ポケットの中。

 肩口にぐりぐりと額を預けることが精一杯だった。


 どれほどの想いなら、伝えられるんだろう、なんて。

 弱いから、伝えられないままの俺とアイツが一緒に居られる時間は、どのぐらい残ってるんだろう。


 雪はもう、止んでいた。

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