わからずや
学生時代ノリで組んだへたくそコピーバンド【わからずや】でボーカルをしていた柳榮一と、ベースの俺・下村泰治は同小同中出身にも拘らず、バンドを組む段取りになってそこで初めて接触した。
無理もない、俺と榮一じゃあ住む世界がまるで違っていた。
クラスに一人、いや、学年に一人は居るハチャメチャで底抜けに明るい問題児と、片や学年で目立ちもしない凡人。
発端は、高三の後夜祭で目立ちたいから、と榮一が言ったことが始まりらしい。学年中を回って、楽器の弾ける暇な奴(つまり、帰宅部であること)を条件に白羽の矢が立った一人が俺だった。条件を満たす人間は少なかったのか、他のメンバーから頼み込まれて渋々引き受けた。俺は当時、祖父に貰ったベースに夢中で、基礎を重ねて流行曲のスコアの模倣ばかりしていたのだ。
寄せ集めのメンバーは技量もまちまち、練習こそ重ねて形にはなったものの――ありがち高校生バンドの行く末は語るまでもないだろう。俺にとっては、黒歴史だ。
卒業と共に、きっとこの繋がりは途絶える。特に思い詰める訳でもなく、そう、思っていた。
ところが大学一年の年末、ピクシーだかの流行りのSNSを通じて企画された忘年会兼同窓会を機に、奇縁はまさかの復活を遂げた。
実のところ俺はSNSなんてものが好ましくなく、同窓会の話も同級生から実家の電話に連絡がなければ恐らく知りもしないはずだった。
「お、ま、え~……ケータイごと変えやがって、コノヤロウ! 【わからずや】の忘年会には行かねーけど、クラスの忘年会には出るってか~!?」
待ち合わせはビュッフェ型レストラン。その入口の前であからさまに不機嫌なオーラを出して立っていたのは、髪を茶化して輪を掛けて派手になった榮一。紅いワイシャツから金のネックレスが覗いて、お前は何処ぞの帝王の舎弟にでもなったのか、と突っ込みたい、が、予想外の出来事を前には絶句するしか出来なかった。
集まり始めた元・クラスメイト達がこの様子を見てあからさまに遠巻きになる。
無理もない、これじゃどう見てもヤンキーとたかられ男だ。
「ひさ、しぶり。……っていうか、柳なんで同窓会のこと知ってたの」
恐る恐る訊ねると、ふんすと鼻で息をして榮一が呆れて見せる。なんでだよ。
「あーそれはオレオレ。榮チャンがさ、どーしてもお前に連絡取りたい、つうから。ホラ、榮チャン有名人だし幹事にお願いして混ぜてもらったの」
ケンカの野次馬の様に輪になった人波からひょい、と顔を覗かせるのは元・クラスメイト兼【わからずや】のキーボード・吉見。有名人、の声に周囲、特に女子の間でひそひそと何やら声が上がり始めて、いよいよ空気が悪くなる。確かに、悪い意味で有名人だったのは間違いなくて。
文化祭のバンドのフィナーレにシャンパンを観客席目掛けてぶちまけ、連帯責任で生活指導に呼び出されて丸刈りにされたのを思い出す。
もう帰りたい。そんな気分だった。
女子じゃあるまいし、俺はベタベタとつるむのが苦手、と言えば聞こえが良いがつまり独りが一番落ち着く様な性分だ。
迷惑だ、とはとても言える雰囲気じゃあない。
固まる俺を時間は許さず、約一年ぶりの面子を前に俺は結局、最後まで榮一と吉見に捕まったまま弄り倒され、新しい携帯電話の番号とアドレスも漏れなく控えられてしまうのだった。
榮一はよっぽど暇なのか、よく電話を鳴らしてはやれチャリがパンクしただの、カノジョが三股してただのと連絡を寄越した。加えて、ひと月に一度は何かと理由を付けて呼び出された先で飯を食ったり、バッセン(※)行ったり、ゲーセン行ったり。気付けば五年、そんな関係が続いていた。
榮一は高校を卒業した後、親の反対を振り切って音楽への道を捨てられずにバイト尽くしで学費を貯めて専門学校に入った。二年の遅れを恐れない、奴は強い。
今はライブハウスに勤めながら【empire】という名前のバンドで変わらずボーカルをしていると聞いていた。ただの気まぐれで始まったとしか思っていなかった俺は、そこで初めて榮一がマジなのだって気付いた。
一方の俺は、中小メーカーの生産管理なんていうしがないサラリーマンになった。手堅いと言えばそうだが、つまり夢なんて持ちもしなかった。
俺と榮一の実家は最寄り駅を挟んで南北に反対方向にあって、自然と会う時は駅前の商店街にある飲み屋で待ち合わせる。今夜も同じで、仕事上がりの足で暖簾を潜った。
「おれは、【わからずや】が好きだったよ。今のバンドに不満があるってんじゃねーんだ。技術もあるし、演ってて気持ちもいい。……それでもなんでだろな、時々帰りたくなる」
意外と酒に弱い榮一は、一杯のフルーツサワーを大事そうにゆっくり空ける。それでも、酒が回るといつもそう零した。その表情は浸る様な郷愁に満ちていて、俺はその度に後ろめたさを抱いた。
俺と榮一の絶対的な温度差を突きつけられてしまう。
ありがちな青春のワンシーンだった俺にとっての【わからずや】と、榮一のそれは同じではない。同じであるはずがない。そして、申し訳なさを募らせた俺は黙って生中のジョッキの杯を重ねるしかなくなるのだ。
「おまえ、もう弾かないの、ベース」
出来たてほやほや、熱々の唐揚げに断りなくレモンを絞りながら、このわからずやは上目がちに訊いてくる。
思わず箸を伸ばして、一つを死守した。
「この頃はあんまりだな、スコア買うこともなくなったけど時々は弾くよ。榮一みたいに、人前で聴かせるでもないし、俺はそれで満足なんだよ」
俺が初めてベースを触ったのは小学生の頃。ジャズバンドでベーシストを務めていた祖父の姿に憧れて興味を持った。中学に上がる時に、自分専用のベースを手に入れた時の喜びは、今も覚えている。
湯気の立つ唐揚げをひと口齧る。歯触りの良い衣から、肉汁がジューシーに零れて美味い。
――ふと、そこで急に思い当たった。
唐揚げと思考を咀嚼しながら箸を置く。
「そっか、俺本当はジャズがやりたかったのかもな」
口にするとじわじわと実感が追い付いて来る。かもじゃない、やりたかったんだ。俺の発端はそこだ。
「ジャズゥ? なんでよ、邦楽ばっか練習してたのに。おれはてっきり邦楽が好きなんだと思ってた」
「俺もそう思ってた」
本当にすとんと腑に落ちてしまって、俺は胸の奥からわらわらと這い上がる何かで身体が火照って行くのを感じた。
通り掛かる店員を呼び止めて、何度目かの「生、おかわり」を伝えて頬杖を突く。
榮一は不思議そうに、また面白そうに対面で胡坐をかき直す。話の続きを急かす様にゆらゆらと背を揺らした。
「爺さんがベーシストだったんだよ、ジャズの。だけど、ジャズのベースなんて初心者が手ェ出すもんじゃない。だからひたすら、基礎を叩き込むために邦楽やってた。……やっとわかったよ、コピバンが楽しくなかった理由」
「馬鹿だなー、とりあえず触りゃあいいのに。頭打って初めてわかるもんだろ、そういうのって。昔のおれみてえ」
うひゃひゃ、と声上げて笑う榮一は、俺のジョッキが運ばれると烏龍茶の追加を頼む。このハイテンションを、ほぼほぼノンアルコールで作らず乗り切るコイツが羨ましい。
「頭打ったの?」
「打った。つうか、打たないわけねーじゃんおれの場合。歌うしか能がないボーカルなんざ、って言われて初めてギターに触ったね。後は、こなくそって調子にそればかし練習してさ。……いいじゃん、やれよジャズ」
「一人で出来るかよ」
「それもそうだな」
無邪気に笑う顔は、五年経った今もあまり変わらない。学生時代、まるで宇宙人を見る様にしていたのは、ある種の憧れがあったのもあるだろう。無謀にも見える挑戦を実現してやろうという気概は、俺にはなかったと思う。
ただただ純粋に、羨ましいと思った。
帰り際、黒いギターケースを背負って「それじゃ」と別れる榮一に手を振って応え、背を向けた。
「なあおい、アンダーソン!」
あまりにも懐かしすぎて、あまりにも情けなさすぎる愛称は叫べば人が振り向く。ほら。
「諦めんなよ」
たった一言の言葉は離れた距離からでも、胸に拳を当てられたかの様にドンと響いて。手を振る背中が見えなくなるまで見送った。
迷いのない人間は、眩しい。眩しすぎて時々うざったい、けれどやっぱり人はそこに惹かれるんだろう。そんなことを考えながら酔っ払いは帰路に就く。
わからずやの、悪あがきが始まろうとしていた。
※…バッティングセンター
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