第2話
「よお、ひよこ……じゃなくて、リレーン」
後ろから頭に手を乗せると、リレーンは煩わしそうにジグの手を振り払った。
「ジグ・ポヴェロ、僕は仕事中です」
「やっぱりかわいくない奴だな」
「光栄です」
「かわいくねー……」
研究職や管理ではなく、兵士に志願する女が、それも≪二十二級≫だとしても採用されている女が、たおやかであるわけがない、とはわかっているが、それにしても年の割にかわいさのかけらもない。
リレーンと話している男はこの宿の主で、ジグとは顔なじみだった。
彼女とジグの会話を聞いた主のフブニは今だとばかりに、あからさまに困った顔を作る。
「よかった、ジグさん。この子に言ってやってくれないか」
「どうしたんだ」
リレーンが「僕の仕事ですよ!」と毛を逆立てた猫のように怒るが、フブニは彼女を無視してジグに話をする。
「実は近くの貧民街からどんどん人が流れ込んできて、無銭飲食だの、違法滞在だのが増えてるんだよ。治安も悪くなる一方だってのに、この子は兵士を派遣するには半年以上かかるっていうんだ」
「そりゃ、無銭飲食を半年も放置されたら困るわな。なんで半年もかかるんだ?」
むっとしたリレーンに問いかけると、いかにも嫌々といった様子で教えてくれた。
「この第七工業都市は、今ある工業都市の中でも群を抜いて大きな街なんです。入るには検問も設置されていて、普通なら貧民街の住人が就労許可書もなく行き来できるような場所ではないんです。それなのに、確かに身なりからしてこの町の人ではない浮浪者が多く見受けられます。上の判断では、無銭飲食などの取り締まりよりも、不法入出の原因究明の方が優先され……」
「そんなのを待ってたら店が潰れちまう! お前、責任とれるのかっ?」
フブニがリレーンの言葉を遮り、怒鳴りつける。ジグはぎょっとした。フブニが声を荒らげて怒鳴るところなんて、一度も見たことがなかった。
怒鳴られたリレーンはというと、毅然としている。
「責任を取るのは僕ではありません。それに、無銭飲食などの防犯は店側の責務では? 兵士の護衛要請などは個人でも依頼できるはずです」
「どうして政府の不手際で流れ込んできてる貧乏人を締め出すのに俺が金を出さなくちゃならないんだ!」
「だから、今、根本を解決するためには時間がかかるというお話をしたんです」
「それじゃ困るんだよ!」
フブニの言いたいことはわかるし、リレーンの言い分はもっともだ。
「フブニ。俺が食い逃げ犯を捕まえてやるからさ。えーと、宿代ちょっと安くしてくれない?」
「え……ジグさん、いいのかい?」
「ジグ・ポヴェロ! そんな特別扱いは」
ややこしくなりそうなのでリレーンの口を手でふさいだ。
暴れる上に押さえた手を齧り、むーむーと文句を言うリレーンをしっかりと捕まえておく。
「この宿には世話になってるし、それくらいいいよ。食い逃げ犯の特徴だけ教えてもらっていいか?」
「ああ。よかった、よろしく頼むよ。今、何か書くものを持ってくる」
フブニが機嫌を直して奥に引っ込んで行った。兵士と市民の喧嘩を取り囲んで見物していた人たちも散っていく。
ジグは藻掻くリレーンの口から手を離した。その瞬間に「っ勝手にしないでください!」と顔を赤くして叫び声をあげる。
「うお、怒ってる」
「当たり前です、怒りますよ! あなたのせいで兵士がこの店だけを贔屓することになるじゃないですかっ。そういうことをされると全体の信頼度が下がるんです。わかっているんですかっ?」
「いや……」
言われてみればそうかもしれない。ジグは少し考えたが、首を振った。
「俺が個人で引き受けたんだ。兵士だからとか、そんなんじゃなくてさ。それならいいだろ?」
「そんな屁理屈……」
リレーンは納得していないようだったが、ジグは「大丈夫、大丈夫」とそのまだ細い肩を叩く。
「何かの時は俺がちゃんと責任取るからさ」
「そんなの当たり前じゃないですか」
苛々とリレーンは腕を組む。
「そんなピリピリするなって。夕飯おごってやるから」
「ご飯でごまかされませんよ! そもそも、食い逃げ犯なんて山のようにいるのにどうやって見つけるつもりなんですかっ」
「それはちゃんと考えてるから任せてくれ」
「任せるも何も、僕は関わりたくないんですけど」
そんなことを話しているうちにフブニが戻ってきた。
持ってきた二枚のざらついた紙には似顔絵とそのほかの特徴が文字で書かれていた。
「捕まえてくれたら割り引きなんて言わずにタダで泊まって行ってくれ」
「お、いいの? じゃあ、夜までには戻るよ」
「さすが≪十六級≫ともなると違うな」
そう言ってフブニはリーレンを見て鼻で笑った。
「……なあフブニ、さっきからやけに」
フブニの態度が気になり、声をかけようとするとリレーンが通る声で「出ますよ」とジグの服を掴んで宿の外へ引っ張り出した。一体、急にどうしたのかとリレーンを見下ろすと「あんなのはいいんです」と肩を竦める。
「なんだ、フブニの態度が変だったの、お前も気づいてたのか」
「僕とあなたに対する態度が違いすぎますから……まあ。女で≪二十二級≫の兵士なんて三下もいいところですからね。いやに突っかかってくる阿呆は彼だけではありません」
「お前、めちゃくちゃ打たれ強いな」
「兵士の女は高給取りの男と結婚するために股を開きに来てると思われることも多いですから。兵舎でのかわいがりに比べたら、あれくらいは駄々っ子と大差ないです」
かわいがりとは、主に低級の兵士が目上の兵士から受ける躾行為全般をさす。だが、躾とは名ばかりの虐めだ。
「そういえば、俺もよく馬糞引っかけられたりしたなあ」
「いい思い出風に言わないでください」
「まあ、強くなればいいだけの話だろ?」
「わかってますよ」
腕組みして憮然とするリレーン。
「それで、食い逃げはどうするんですか。聞き込みでも?」
「そんな感じだな。こっちだ」
リレーンを連れてジグは小走りで宿場町を出た。
第七工業都市は他の工業都市と比べ、地下資源が豊富でたくさんの高層建築を見ることができる。建設途中にある建物も多く、宿場町を出ると一気にぎらぎらと西日を受けて光る建造物が増える。
工場などの仕事場から支給された制服を着こんだ人々が往来する通りはいつも混雑している上にどこか忙しない。
「この辺りはうまい飯屋が多いけど、基本的に兵士お断りだからな。任務中には入れないんだよ」
「そんな話はどうでもいいです。日が暮れる前にその食い逃げ犯を捕まえないと示しがつかないんじゃないですか?」
ジグはフブニからもらった人相書きを開いてちらりと見ただけで近くの屑籠に入れた。
「あ、ちょっと」
「宿の前じゃ言えなかったんだけど、俺この食い逃げしてるやつに覚えがあるんだよ。絵を見て確信した。下水道に住んでるやつらだ」
「げ、下水道って……」
絶句するリレーンの手を引いて路地に引っ張り込む。風通しが悪く、なんとも言えない目や鼻を刺すような悪臭が漂っている。
リレーンは袖で鼻と口を覆い、眉間に深いしわを刻む。
「らんでふか、ここ……」
「ここから下水に降りるんだよ」
ジグは奥の下水道へ続く鉄の蓋に指を引っ掻けて軽々と開いた。
むわっと吐き気を催すにおいが強くなる。
「ぼ、僕は」
「ああ。ちょっと待ってな」
最初はジグもこのにおいでげえげえ吐いていたのでついてこないリレーンを無理に引っ張り込むことはしなかった。
梯子を使って下水道に降りる。
腰に下げていた携帯灯を持ち、手回しで充電する。ぐるぐると取っ手を回して、軽く叩くと明かりがついた。
「よし」
暗い下水道の中を照らしながら進んでいく。
迷路のようになっているが、何度も出たり入ったりを繰り返しているうちに道を覚えてしまった。
四半刻(約十五分)もしないうちに明かりが見え始め、携帯灯を消した。明かりの方へ進むと少し開けた場所に出る。
「あ、ジグだ」
「ジグ、お菓子は?」
遊んでいた子どもたちがジグを見るなり駆け寄ってくる。
もう使われなくなった管路の上にはいくつもの小さな天幕がひしめき合い、缶詰などの空き缶があちこちに転がる。貧しい身なりをした人たちがぼうっと天幕の前に座っているが、子どもの声を聞いてジグの方を見て疲れた顔をほころばせるている。
ジグは腰鞄から非常食や飴を出して子どもに渡し、天幕の方へ向かった。
手前の天幕の外で老いた野猫を撫でていた老爺が「久しぶりだね」と声をかけてくる。
「イェカ。ずいぶん、人が増えたな」
イェカというこの老爺は長らく下水暮らしを続けている工業都市民だった。昔、目に怪我をしてから職を手放さざるを得なくなり、金に困り、宿無しになってしまった。上にいると取り締まりが厳しく、入牢させられることも多いため、下水道で暮らしている。
そして同じように暮らしに困った人々がイェカの元に集い、この集落が出来上がった。
野猫のミュミュはいつの間にか居ついてしまい、今ではイェカの連れ合いのような存在らしい。イェカはそんなミュミュを撫でながらため息をつく。
「増えたさ。上で悪さをする馬鹿者も増えたろう。誰だ?」
「そんなことよりさ、貧民街から人が流れ込んできてるって話は本当なのか」
「……ああ。そうだな」
ジグは足元の缶をよけて座った。
「なあ、どうして急にそんなことになったんだ?」
問われたイェカは脂っぽい髭を撫でつけて答えた。
「聞いた話ではな。水がもうだめなんだとさ」
「水?」
「ああ。飲み水が酷く臭くて、半年ほどは自分たちで何とか濾過していたらしいが、突然死するやつが出ちまったとかで、水が原因だろうってこっちに逃げ込んできたというわけだ」
「逃げてきたのは、十二番街か?」
イェカがうなずいた。
貧民街は十五番街まであり、十二番街は水源が工業都市とは別に確保されていたはずだった。
その十二番街の水に問題が起きたということは、水源で何か問題が起きている可能性が高い。
「いい話が聞けた。助かったよ。明日にでも水源を見てくるからさ、そういう風に話を伝えておいてくれないか。結果はわかり次第伝えに来るから」
「ありがたいね。お前さんみたいな兵士ばかりだと助かるんだが」
「これは兵士として来てるわけじゃないからさ。俺、貧民街出身だし、なんか恩返ししたいんだよ。みんな仲間だからな」
ジグの笑みにイェカもわずかに口元を緩ませた。
下水道の来た道を戻り、梯子を上がった。
外で待っていたリレーンが「首尾はどうです」と聞いてくる。
「まあまあかな。宿に戻ろう」
「え、食い逃げ犯は」
「それが逃げられちまってさ」
「は?」
信じられない、という顔をするリレーン。ジグは「嘘、嘘」と笑った。
「逃げられたってことにしておいてくれ」
「……最初から捕まえる気なんてなかったんですね」
目つきを鋭くしたリレーンが責めるように言う。
「一体、何をしに下水へ行ったんですか」
「ちゃんと後で事情を説明するからさ、今はフブニに謝りに行こう」
「……わかりました。ですが、納得のいく説明をお願いしますよ」
「了解、了解」
ジグはリレーンを連れて走って宿場町へと戻り、泊っている宿まで来ると、今か今かと表で待ち構えていたフブニに頭を下げた。
「ごめん! 金だけは預かってきたから、これで見逃してやってくれ」
そういって、腰鞄から金を出してフブニに握らせた。
フブニは握らせられた金を見て、深いため息をついた。
「まあ、ジグさんがそういうなら」
「犯人連れてこなかったし、割引の話はなしってことで。残念だけどさ」
「いいってことよ。反省させてくれたなら、これからは食い逃げもなくなるだろ。夕飯はいっぱい作ってやるから腹いっぱい食っていけ」
「お、太っ腹! ここの飯、うまいんだよな」
ひとしきりフブニと話した後、宿の外で待っていたリレーンに声をかける。
リレーンは中での会話を聞いていたらしく「どうしてですか」と詰め寄ってきた。
「あのお金はあなたの」
「真面目にやってるお前には悪いんだけどさ、政府は貧民街の問題については基本的に取り合わないんだよ」
「え?」
ジグは腕を組んで、空を見上げた。
「……俺が兵士になったのも、まあ、そういうわけ。貧民街の治安を何とかしたくてさ。でも、まだ≪十六級≫だろ。権限なんてもんはないし、できることといったら、目の前の少しのことしかない」
生まれ育った貧民街でのことを思い出す。カビて、固い飯。泥水を自分たちで濾過して、外来動物が迷い込んできて暴れまわっても退治してくれる兵士はいない。何人も死んで、その倍以上が怪我をして、時には病に伏して、苦しみながら生きている。
政府からの施しと言えば、少しの食いものと引き換えに、危険物処理や運搬をさせられることくらい。
政府に見捨てられた土地と、誰もが言う。
それを変えたかった。憎んできた政府の元で働くことになっても。
「通報すればそいつを逮捕して終了だろうけど、それはその場しのぎにしかならない。すぐ次の食い逃げ犯が出てくる。みんな、ずるをして払わないわけじゃない。やむにやまれぬ事情ってやつだよ。下水道で聞いた話では、貧民街の水源に問題があるらしいから、明日、それを見に行ってくる。水が飲めるようになれば、流れ込んできた滞在者も帰っていくと思うんだよ」
「……ずいぶん、勝手ですね」
「しょうがないさ。俺はジグ・ポヴェロだからさ」
リレーンはハッとした顔でジグを見つめ、それから首を振り、いつもの仏頂面に戻ると「このことはきちんと報告させてもらいます」と言って、背中を向け去ってしまった。
あの真面目さだから、おそらく本当にジグの独断で取った行動をそのまま報告するのだろうな、とため息をついたが、これで階級が下がってしまっても文句はない。
≪一級≫になったところで、貧民街を足蹴にするようでは、自分の夢からほど遠い。
後ろ指さされようと、憧れのあの人のようになるという決意は変わらない。
ジグは頬を叩き「よし」と声を出し、明日に備えて気合を入れた。
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