ALEPH―アレフ―

janE

第1話

二十日して任務から戻ったジグは階級証の更新のため本部の受付近くにある更新装置に首から下げていた銀板の階級章を読み込ませた。光による走査が終わり、三次元的な表示装置により階級が二十二階級中≪十六級アイン≫であることと、任務の報酬が支払われたことなどが提示された。


「まじか。あれで≪十六級≫……」


任務を振り返り、ジグは腕を組む。今年で二十三になる短いつり眉に眠たげな目元の青年だった。

政府機関に雇われて五年が経とうとしている。


「俺もまだまだってことか……」


爆発生物に占拠された廃坑の奪還という久々に兵士ソルダートらしい任務を受け終えたため、舞い上がっていたが、終わってみれば町の清掃とそう変わらない報酬と評価だった。

階級証を首にかけ直し、ジグは遅めの昼食を取るため、磨き上げられた廊下を食堂に向かって歩いた。大勢の兵士や役人が出入りしているとは思えないほど、本部はいつでも塵一つなく清掃が行き届いている。壁などは磨き上げられて鏡のようだ。


食堂と廊下を隔てる透明な扉に階級証をかざすとちかりと光って上下に開く。もう一枚ある奥の扉をくぐると、腹の減る香りがして、人が集まった時特有のざわめきが聞こえてきた。

兵士が使う食堂は清潔感のある輝きを放ち、天井は吹き抜け。座席のある広間が三層構造で階段か、昇降機によって行き来できるようになっている。今、ジグがいる一層目は厨房が入っているので余計に騒がしい。


受付脇に三台ずつ、六台しかない更新装置の辺りはガラガラ空いていたのに、広い食堂は座る場所がないほど混みあっている。ただ、いつものことなので誰も不満そうにはしていない。そもそも、階級はそう簡単に更新されることはないため、ジグのように頻繁に更新装置に通う方が珍しいくらいで。食堂は王都にいる大勢の兵士たちが日に三回、多くて五回は使うため、どの時間帯も当たり前に込み合っていた。


「座れるか? これ……」


一応、階級証を食券機に読み込ませて注文だけすませた。

兵士が使う食堂なだけあり、献立はかなり量感がある。肉と炭水化物が主体で野菜などは栄養剤で補うような状態だ。子どもの頃から葉物が嫌いだったジグには万々歳な内容だが、胃腸が弱い輩には地獄らしい。


一番安価で量が少ない五等食でも、一食で一般的な成人男性が一日に必要な栄養が摂れるほどだ。残せば減給されるため≪二十二級タウ≫などの新人組は食道まで詰め込んで口を手で押さえていく始末だった。


発育がよく、食欲だけは旺盛だったジグは入隊当初から三等食、主に階級が十二から八用の食事を摂っていた。あまりの食いっぷりに、その当時は出身の貧民街ポヴェロ出身であることを揶揄され、馬鹿の大食いと呼ばれたこともあるが、気にしたことはない。

ジグが全く取り合わなかったこともあるだろう、最近では「食った分くらいは働く」と誰も出身を馬鹿にすることはなくなっていた。


「よお、ジグ」


二等食を注文し、三層まで行ってやっと空いている席を見つけた。そこで先に受け取った栄養剤を飲みながら料理を待っていると、同じ時期に入隊したローマルが向かいに座った。その席は今ちょうど食器が下げられ、空いたところだった。


「久しぶりだな」


赤毛にそばかす顔。階級はジグの二個下≪十八級ツァデ≫だった。兵士服を着崩していて、よく上官に叱られているのを見かけるが、本人は全く気にしていないらしく、今日もだらしない。ジグも窮屈な兵士服を知り合いに頼んで改造しているが、既定の範囲内のため、ローマルほど叱られたことがなかった。

ローマルは手に持っていた封筒をジグに差し出す。


「五日前、お前に届いて俺が預かってたんだが、今どき手紙って」

「手紙? あ」


差出人を見てジグの顔がほころぶ。


「なんだよ、女か?」

「まあ、十歳の子だけどな。清掃任務の時、野猫探し手伝ったんだよ」


手紙を開くと、猫の絵と一緒にお礼の言葉が書かれていた。

もちろん、階級も大事だが、こういうことで感じられるやりがいもジグにはかけがえのないものだった。


「それはそうと。飯食ったら任務目録見に行かねえ? さすがに金欠」

「あー。俺、もう受注したから一人で行ってらっしゃい」

「はあ? 早くねえ? 何受けたんだよ」

「第七工業都市ファッブリカの害獣退治と、廃棄物処理。あと、王都モナルカで広告張り。これが先だな」

「働くねえ」


ローマルが頬杖をつく。


「工業都市まで丸一日かかるからな。王都を離れるなら一気に受注しておいた方が楽だろ」

「普通は一気に受注したら体壊すんだよ。体力お化け」


兵士になれば誰もが日々、嫌でも鍛えているので、適正任務ならそんなことはないと思うが。

ジグが考えるように腕を組むと、料理が飛行運搬機によって運ばれてきた。いつ見てもその技術に驚く。確かに、混雑した食堂内を考えると、床を給仕に走らせるよりは機械を飛ばせた方が効率がいいのはわかる。それでも、貧民街の電気さえまともに通っていない場所で育ったジグにとっては未だに感動する瞬間だった。


「おおっ、これこれ」


こんがり焼かれた丸鶏の五穀詰めに、香草と内臓を生地に包んで蒸かした饅頭。それを皮切りに次々と複数の運搬機が飛んでくる。山盛りの豚足に、とろとろになるまで煮込まれた牛肉、牛酪と乾酪がたっぷり入って黄色く光る魚の包み焼……。

貧民街では特別な日でも見ることすらない豪勢な料理だったが、兵士になれば毎日でも食べることができる。


「よく食うよな、本当」

「お前、未だに五等食だもんな」

「≪十八級≫は五等食でいいんだよ」


そんな話をしていると不意に辺りが妙にざわついた。

ジグは食べる手を止めて辺りを見回し、ローマルも中腰のように軽く立ち上がって何があったのか確認して「≪三級ギメル≫だ」と椅子に立つ。


「おい、行儀悪いぞ」

「いいだろ。≪三級≫なんて滅多に拝めねえし」


数千人いる兵士の中で≪三級≫から上は十人もいない。だが、≪一級アレフ≫や≪二級ベト≫ならともかく≪三級≫は人の入れ替わりが激しく、そこから≪二級≫に昇格したという話はもう何年も出ていない。

≪一級≫や≪二級≫なら見てみたい気持ちもあるが、明日≪四級ダレト≫や、下手を打てば≪五級ヘー≫に落ちるような先達をわざわざ空腹を我慢してまで見たくはない。

右手に香草のたれに付け込まれ、皮がぱりぱりに焼かれた豚足、左手にふわふわの饅頭を持ってぱくつき、野次馬根性の強いローマルにあきれながら皿の上を片付けて行く。

ジグの目標はあくまで≪一級≫。≪三級≫を見て「すげーすげー」とはしゃいでいる時間はない。もちろん、先達として尊敬はしている。同じ任務に就けば部下として忠実に尽くす。それでも、憧れではない。


憧れているのは≪一級≫の中でも、ただ一人。


空いた皿を認識して運搬機が淡々と食器を回収していく。

大きな匙で牛肉の煮込みを食べていると、ローマルがやっと椅子に座った。


「いや、いいもん見た」

「誰だったんだ?」

「ヨド・ホートンとガルナ・シュ・ド」

「へえ」


ヨドの方は知らないが、ガルナはこの三年ほど≪三級≫を維持している。だが、もう年齢が五十七ということもあり≪二級≫に昇格することはないと言われていた。


「憧れるなあ≪無欠のガルナ≫」


ガルナは清く正しく、公正。彼のそういうところを慕っているものも多い。弟子などは取らない主義なようで、兵士として王都に従事するため妻子すらもいない。

ローマルは女好きで、節操がない。しかも、上官の話も聞かないところを考えると、どう考えても≪無欠のローマル≫にはなれそうもなかった。


「なに笑ってんだよ」


にやついていたらしくローマルに睨まれた。

ジグは口を押える。


「べっつに? それより飯、遅くないか」

「ん、あ、言われてみれば」


ローマルが顎に手を当て考えるしぐさをした時、突如、施設内の警報器が作動し、けたたましい音を立てて赤い光を明滅させた。

辺りが騒然とする。


『非常事態発生。基地内の兵士は直ちに正面口に向かってください。繰り返します』


電子音声の放送が入り、ジグはローマルと顔を見合わせた。そしてニイッと笑う。


「先に行くぞ」

「あ、おい!」


ジグは机を飛び越え、人ごみから抜け出すように昇降機と階段へ群がる他の兵士たちとは別に、食事を運ぶ運搬機同様、吹き抜け構造を利用して三層から一気に一層へと飛び降りた。

床に転がって衝撃を逃がす。上を見ると、ローマルがあきれ顔でジグを見ている。


「急げよー」


聞こえるわけはないだろうが、一応ローマルに声をかけ、ジグは走り出した。

受付のある正面口にはすでに数十人の武装した兵士が慌ただしく動いている。ジグは銀板の階級章を腰に掛けてある拳大の装置に差し込む。これは収納型武器のひとつで、階級章の情報から持ち主に適した武器を選出し、変化するというすぐれものだ。


ジグは現れた双斧を左右にそれぞれ佩して外へ向かうと、衝撃の光景が広がっていた。


「逃げろ! 逃げろ!」


そんな声と共に基地内に兵士が走り込んでくる。

何が起きたのか、考える間もなく砲台戦闘車で三台分はあるだろう、翼のある巨大な生き物が空から降ってきた。地面が揺れて、爆風が起き瓦礫が飛ぶ。とっさに腕で防御の姿勢を取ったが、前にいた誰かが倒れて一緒にひっくり返る。


「っすまない」


上に乗った兵士がすぐに起き上がる。

全頭の防具をつけているので≪二十二級≫だとわかった。


「いや、大丈夫か」

「はい。今のは……」


ジグも起き上がり、二人で外を見た。

ほかの兵士もあまりの事態に黙り込み、警報も止まったせいで辺りは静まり返っていた。

その中で一人だけ動く人影があった。あの巨大な生き物の上で双斧を片手に持ち、自分を取り囲む兵士たちに「すまん、すまん」とよく響く声で謝る男。


「おーい、怪我はないか」


そう声をかけられ、正気を取り戻した兵士たちが口々につぶやく。


「おい、首に一撃だぞ」

「あんなの化け物じゃねえか」

「信じられねえ」


おおよそ尊敬とはかけ離れた言葉がささやかれる。

だが、ジグにはそんなざわめきなど一切聞こえなかった。ただ、間近で見るあの男の一挙一動に釘付けだった。

巨大生物の上で双斧から銀板の階級章を抜き、武器をしまう男の名前は兵士ならだれもが知っている。


≪一級≫オルトア・ヴァスク。

若くしてその地位を勝ち得、多くの死地を生き抜いてきた本物の兵士だった。


ジグが唯一憧れる男。双斧を扱うのもオルトアの影響で、いつか彼のように足や、片手でも二本を自由自在に扱い、戦場で活躍できるようになることが夢だった。

オルトアは割れた地面に下りると、自分が仕留めた生き物を見上げて頭をかいている。


「あの……」


そばで話しかけられてその方を向いた。

ジグに倒れてきた≪二十二級≫の兵士がこっちを見ている。


「あれ、どうするんですか。解体しないと運び出せませんよね」


巨大な死骸を指さし、質問してくる。


「ああ。知らないのか」


ジグは辺りを見渡し、白い服を着た一段が別の通用口から出てきたのを見つけて指をさした。


「ほら、あいつらさ。研究所所属の奴らが運搬機で地下に運ぶんだよ」

「地下ですか。あ、基地の外に大きな搬入口がありますけど、まさかあそこから?」

「正解だ、ひよこちゃん」

「ひよこちゃんって……」


嫌そうに首を振り、全頭防具を取る。

日に焼けた顔。短い髪。きつい目つきの女だった。まだ十代に見える。


「僕はリレーンです。変な名前をつけないでください」

「それは悪かったな。俺は」

「ジグ、ですよね? ジグ・ポヴェロ貧民街のジグ

「ほほう、このひよこ生意気だな。でも、なんで俺の名前知ってるんだ?」


上の階級ならまだしも≪十六級≫なんて腐るほどいる。それなのに、名前と顔を一致させて覚えているなんて、友だちでもなければあり得ない。

リレーンは鼻で笑った。


「僕、普段の任務は受付が多いんです。あれだけ頻繁に上がってもない階級を確認しに来る兵士はあなたくらいなので」

「年下の癖に嫌味な奴だな、お前」

「人をひよこ呼ばわりする失礼な人ほどじゃありませんけどね」

「なんだよ、そんなに嫌だったのか。ごめんな」


リレーンはジグを睨み、ため息をついて「まあ、いいです」と首を振った。


「任務があるので僕は」

「あ、俺も飯が半端だった……」


思い出したが、あの騒ぎだ。もう回収されているかもしれない。もったいないことをしたとうなだれた、が、それでもオルトアを見ることができたのは幸運だったとすぐに気を取り直す。

一連の様子を見ていたリレーンが「せわしない人ですね」と言い残して去っていった。

どことなく偉そうなリレーンに苛立ったが、年下だぞと自分に言い聞かせる。


外ではすでに巨大な運送機が動き出し、白服の研究者たちの指示であの大きな生き物が運ばれていく最中だった。


ああいう巨大生物ははるか西方の蛮族が住む地から来る。原始的な生活をする蛮族は、凶暴な生き物を手懐けて家畜のように使役すると言われていた。

王都までこんな大型の生き物が来ることは珍しいが、ジグが育った貧民街や、工業都市にはたびたびこういう災害になりかねない生き物が襲来した。


蛮族からすれば、発展的な生活は邪悪なものなのだろう。

もっと上の階級の任務になるが、遠方の監視塔で入植地を荒らす蛮族たちを追い払う長期任務も定期的に募集がかかっている。彼ら蛮族にとって王都の指導下で暮らすジグたちは病原体に近いらしい。だから、何が何でも受け入れることはない。


それを悲嘆するほどジグは考えてこなかった。考えたところでそれは自分の主観でしかない。兵士として食い、繋ぎ、出世してオルトアのような最強の≪一級≫兵士になったあかつきには、生まれ育った貧民街を大都市にする。その計画がすべてだった。


外にはすでにオルトアの姿はなかった。だが、間近でその強さを見せつけられ、ジグの中には言葉にできない今すぐにでも叫びたくなるようなやる気が満ちていた。








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