第2話 ある夜のお供

「最近、俺らにキスしてくれないよな。魔王様」


「 ヘルティアナで存分に吸われたのだ。必要がないのだろう」


「それでもしたいって思わねーのかよ、おまえ」



 不満そうに語るのはガイアだ。サシャールと二人で並び立ち、敬愛すべき魔王様が眠っておられる生誕の間へとチラリと視線を流す。



「我々から生気を奪ったのは、まだ未完成だった魔力を補うための一時凌ぎだったのだ。その他に我らが魔王様と口づけをする必要などない」


「正論振りかざしてんじゃねーよ、これは気持ちの問題だって言ってんだ。キスしてーのかしたくねーのか。どっちだよ」


「それは……」



 少し悲しげに目を伏せたサシャールに、ガイアは勝ち誇った笑みを浮かべた。



「魔王様とのキス、ヤバかったもんな〜。魔王様になら、あのまま塵にされてもいーわ」


「愚かな。我らは魔王様の腹心だぞ。塵になってしまっては魔王様を守れないではないか」


「そりゃそーだけどよ。で、あいつはなんで毎晩魔王様の寝室に呼ばれてんだ?」



 苛立たしげに舌打ちを打つガイアに、再びサシャールは視線を落とす。



「魔王様のお考えなど、愚かな我らに理解できるはずがないだろう」


「そうは言うけどよ。毎晩だぜ? だいたい俺たちには睡眠なんか必要ねぇのに毎晩毎晩……もしかしてあいつ自分だけ……」


「邪推はよすのだな、ガイア」


「ちっ……」



 魔王様がヘルティアナで毎晩人間の男を相手にしていた時も、ガイアの心中は穏やかではなかった。


 四六時中苛々していたし、そのせいで何人か人間を木っ端微塵に吹き飛ばしたこともある。


 サシャールも冷静ぶってはいたが、きっと似たようなものだろう。



 本来なら人間一匹の血を枯れるまで飲み尽くせばサシャールは満足するはずだ。だが、ご丁寧に指名を全て受けて連れ込んだところを見ると、八つ当たりに飲み散らかしたとか思えない。



 そのせいで、ただでさえ男とも女とも見分けのつかないサシャールの色気にさらに拍車がかかった。



 肌はやたらと艶々してやがるし、唇まで潤ってやがる。



 ふとした時に魔王様がサシャールをうっとりとした表情で見つめることも増えた。



 魔王様の一番のお気に入りになりたいガイアは、内心そんなサシャールに嫉妬していたのだが、ヘルティアナから帰還した後、魔王様はなんと寝室にロンザを呼び始めたのだ。



「あんなオヤジのどこが良いか分かんねえ」



 サキュバスの性質を持つ魔王様が寝室に男と二人きり。妄想はあれやこれやとガイアの頭をかき乱す。


 生気を吸うことだけが目的じゃない可能性だって大いにあるんだ。



「もしかしてロンザみてーなのが魔王様のタイプなのか?」



 腕組みをしながら、うーんとガイアはうなる。見た目で言えばガイアはまだ二十歳そこら。サシャールは二十代後半、ロンザなんぞ四十近くに見えるオヤジ面だ。



 ヘルティアナにいた時も、ガイアには理解できないが、ロンザはそのどしりと構えた風貌から『大人の色気』とやらで人気があった。



「あー、くそ羨ましいぜ!」


「魔族の風貌は変えられるものではない。もちろん、幻覚を使えば別だが……仕方ないだろう」


「そう割り切れねーだろっ! もしかしてあいつ、キスだけじゃなくて魔王様とヤッ……ぬああああ! 無理だ! 腹立つからちょっと出かけてくる!」


「おい、ガイア」


「何匹か人間殺してくるだけだ!」



 牙を剥き出しにして怒鳴ったガイアがその場を後にしようとした、その時。



 ギィ……と重い金属音の擦れる音が聞こえて振り向くと、開かれたドアの前に魔王様とロンザが姿を現した。



「はあ……っ、ロンザ最高よ。またお願いするわね」


「御意」



 その言葉にガイアの耳がピクリと反応する。


 最高? 何が!?


 いつもと変わらぬひょうひょうとした表情のロンザをガイアはギリッと歯を噛みしめて睨みつける。


 ロンザの服装に乱れた様子はない。


 だが一方の魔王様といえば、ヘルティアナで購入したお気に入りの黒のベビードールを身につけて、全ての肌が透けて見えている。



 白い素肌とツンと上向きに立った豊満な双方。腰まで流れる紅い髪。そして、長い睫毛の下からのぞくルビーのような瞳。身体から立ち込める甘い香り。



 これが魔王様の寝る時の格好なのは理解しているが、人間なら目の色を変えて襲いかかりそうなこの色香。魔族だからといって反応しない理由などどこにもない。



「……おいロンザ。てめぇ、何してたんだよ」


「わたしは何もしていない。魔王様の命じられるまま、体勢を変えていただけだ」


「体勢……?」


「さよう。仰向けになったり横向きになったり様々だが、魔王様はたいそうご満悦のご様子」


「おい……」


「ふふ……とても気持ちが良かったわ。ありがとう、ロンザ」



 そう言った魔王様が頬を赤らめる。ガイアとサシャールは互いに驚きを隠せなかった。冷酷な視線なら何度も目にしたが、このような表情は初めて見たのだ。



「魔王様……照れてるのか?」


「だって私からあんな頼みごとするなんて、恥ずかしいわ」


「……ロンザ、話がある」



 サシャールの魔力が跳ね上がり、額に青筋が浮かび上がる。それはガイアも同様だ。


 その様子を魔王様は首をかしげて見ていたが、部屋で休むといって今度は一人で生誕の間に戻っていった。



「どういうことか説明してくれるな、ロンザ」


「そうだ。てめぇ毎晩魔王様となにしてやがる」


「先ほど説明した通りだ。わたしは魔王様の言う通り動いているだけだ」



 腕組みをして仁王立ちするロンザを壁に押し付けて、ガイアとサシャールは挟み込む。



「キスされたか」


「身体中にな。お好きらしい」


「かっ、身体中!?」


「他には何をされた」



 ショックで絶句したガイアの傍らでサシャールの青い瞳がぎらりと輝く。



「全身をまさぐられるだけだ」


「全身をまさぐられる……だと?」



 今度はサシャールの顔が青ざめる。



「他には!」



 今にも殺しそうな殺気を背負ったガイアの額から、ツノがメキメキと音を立てて盛り上がる。ロンザはそんなガイアに冷ややかな視線を向けた。



「足の裏で踏まれたな」


「魔王様……さすがです……」


「サシャール、てめぇそっちの方が好きなのかよ。俺は攻める方が好きだ!」



 なぜかうっとりする表情を浮かべたサシャールにガイアは嫌そうな目を向ける。



 いつかわたしも踏まれたい……などと呟くサシャールに呆れた顔を浮かべるロンザに、二人ともいつか自分も魔王様の夜の伽を共にする夢を見るのだった。



 そしてその翌晩---。



「さあ、ロンザ。お願い」



 再び生誕の間へと呼び出されたロンザは目眩を覚えるほどの魔王様の色香に対して、できる限りの平常心をもっておもむろに衣類を脱ぎ始めた。



「今日も私を気持ちよくしてちょうだい」


「……御意」



 部屋の外ではガイアとサシャールから痛いほど嫉妬の視線を向けられた。確かにこれは自分にしか出来ないことだ。それは誇りに思わなければならないだろう。



 だが……




「ああ……今日も素敵よ、ロンザ。とても気持ちがいいわ」


「ありがたき幸せ」


「喋ってはダメよ。ほら、ちゃんと言って」


「……ワンッ」


「可愛い……」



 今日もまた獣人化した銀色の大型狼を仰向けにさせて、全身の毛をもてあそび、心ゆくまでまさぐる魔王様。



「もふもふ最高〜」



 頬を紅潮させて淫らな格好ですりすりと身体をこすりつけ、あれやこれやと体勢を変えさせては自分の身体をなでまわす魔王様に、ロンザは内心大きなため息をつく。



 わたしは犬ではないのだがな、と。


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