第30話
そして、翌朝。
シリルさんを部屋に呼び出すと、サアラは自分たちがロロンの町から出ることを伝えた。
「長い間、世話になったな」
「とんでもありません」
シリルさんは微笑んで首を振った。
「私こそ、サアラ様には大変お世話になりました」
「そうか?」
世話なんかしたかな、とサアラは首を傾げた。
「これは世話になった礼だ」
大きな皮袋をシリルさんに渡そうとする。中に入っているのはお金だ。しかもかなりの大金。しかし、シリルさんは受け取ろうとしない。
「お金などいりません。私はただ職務を果たしただけですから」
「遠慮するな」
サアラは皮袋をぐいぐいと押しつけながら、
「ただ礼を言っただけでは妾の気が済まない。どうかこれを受け取ってくれ。受け取るのだ」
シリルさんは何度も拒否したけれど、やがて諦めて皮袋を受け取った。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうだ」
サアラはにっこりと笑った。
シリルさんはほんの少しだけ寂しそうに笑った。僕の気のせいなのかもしれない。もらった皮袋をしまうと、
「それでは、業務に戻らせていただきます」
一礼して、部屋から去っていった。
シリルさんがいなくなると、サアラはベッドでごろごろしているルシイさんを見て、
「で、魔王国へはどうやって戻るんだ?」
「私はここに来るのに馬車を使いましたが……」
「では馬車で帰るか」
サアラの言葉に、シリルさんは慌てて首を振った。
「いやいや、サアラ様は〈転移門
テレポート・ゲート
〉使えるじゃないですか。あれ使って、ささっと戻りましょうよ。馬車なんて時間がかかるし、疲れるし、お尻痛くなるし……いいことなんて何もありません」
「妾の部下のくせに、妾をこき使うつもりだな」
サアラがじっとりとした目を、起き上がったルシイさんに向ける。
「とんでもありません」
ルシイさんはごまかすように笑うと、寝間着を脱ぎだした。そこに恥じらいなんてこれっぽっちもない。僕のことをカボチャか大根だと思っているのかも。
「ちょ、ちょっとルシイさん!?」
「ん……? ああ、忘れてた」
どうやら、僕の存在を忘れていたようだ。
「まあ、気にしないでください」
「気にするよっ!」
「んふふ、では私のナイスバディをじっくりとご覧くださいな。本来なら金を取るところですが、今回は特別に無料でいいですよ」
そう言うと、着替えを再開する。
僕が目を逸らすと、ルシイさんはケラケラと笑いながら、
「エドは初心ですね~」
「そうだ。エドは初心なのだ。だから、あまりからかうな」
サアラがルシイさんを蹴り飛ばした。
ルシイさんは中途半端に着替えた状態でごろごろと転がって、壁に激突した。あられもない姿というか、痴女のような体勢で、目を回している。
「ひ、ひどいじゃないですか……」
えっぐえっぐ、とわざとらしく泣きながら(つまり、泣いてない)、ルシイさんは服を着替えた。
「やっぱりエドは、サアラ様の愛人なんですっ!」
「愛人という言い方はやめろ」
「では、恋人」
「……まあ、それなら許そう」
「えっ!? 許しちゃうんですか!?」
驚き騒いでいるルシイさんを尻目に、サアラは魔法で一瞬にして服を着替えた。僕は浴室に行って着替えてきた。
朝食を食べると、僕たちはチェックアウトして黄金の宿亭から出た。
黄金の宿亭付近は人が多いので、少し歩く。やがて、通りから外れた人気のない小道に入った。魔法を行使するところを、あまり見られたくないんだろう。
サアラは人がいないか確認すると、
「――〈転移門
テレポート・ゲート
〉」
前方に大きな魔法陣が描かれ、まばゆい光とともに厳かな門が姿を現した。道幅が狭いので、巨大な門はひどく窮屈そうに見えた。
「おお~っ! いつ見てもかっこいいですねえ、〈転移門
テレポート・ゲート
〉は!」
ロマンだロマンだ、とルシイさんは興奮したように言った。
ギイイイ、と門は軋んだような音を響かせながら、観音開きの扉を開ける。門の奥には果てしない闇が広がっていた。その圧倒的な漆黒は、ブラックホールを連想させる。
「転移先は魔王国――王城にしておくか」
サアラはそう呟くと、闇の中へと入っていく。
僕はその闇に、本能的な恐怖を感じためらっていた――が、ルシイさんに背中をどん、と強く押され、たたらを踏んで闇の中へと入ってしまった。
闇の中は当たり前だけど真っ暗だった。
しかし、それも一瞬のこと。
すぐに闇はかき消えた。
視界に映ったのは豪華絢爛な城内。広々とした部屋には、ぱっと見ヒューマンに見える魔族もいれば、明らかに魔族らしい人もいる。
彼らは僕を見て一瞬怪訝な顔をしたけれど、すぐにサアラに視線を移した。僕がヒューマンであると、察しているとは思うけれど、そこらへんはあまり気にしないのかもしれない。
「これはこれはサアラ様。お帰りなさいませ」
スーツをきっちりと着こなした紳士が、慇懃に頭を下げて言った。
「ああ。出迎えご苦労」
サアラの部下の人たちが、僕についての説明を――無言ではあるけれど――求めている。誰なんだこいつ、といった目を僕に向けている。
「こいつはエドと言う。まあ、なんというか……妾の友達のようなものだ」
「ほう。ヒューマンのお友達ですか?」
やっぱり、僕がヒューマンだと察していた。
「悪いか?」
「いえいえ。大歓迎です」
紳士は僕に微笑んで一礼すると、
「私はゼファーを言います。どうぞよろしく」
「エドです」
「サアラ様にお友達ができるなんて……なんと喜ばしいことでしょうか」
ゼファーさんは感動した様子で言った。
この言い方からすると、サアラには友達と呼べるような存在がほとんどいないのだろう。この部屋にいる人たちは皆部下で、友達とは違った関係。友達にはなりえないのだろう。
ごほん、とサアラは気恥ずかしそうに咳ばらいをすると、
「聖王国の王弟――エイベルだったか――が来ているとルシイに聞いたが?」
「ええ」ゼファーさんが頷いた。「別室にて待っていただいております」
「案内してくれ」
「かしこまりました」
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