第16話

「……ん」


 目を覚ますと、サアラと従業員の姿が視界に映った。

 背景にはきらびやかな天井――ということは、ここは黄金の宿亭か……?


 僕は仰向けの状態で、大きなベッドに寝かせられていた。背景には見覚えのある天蓋も入っている。ここは501号室、かな?


「気分はどうだ?」


 サアラが優しい口調で尋ねてきた。


「うん……大丈夫。悪くない」


 そう答えてから、どうしてこんな質問をされたんだろう、と思った。


 記憶が錯綜してる。というか、どうして僕は寝てたんだっけ? いつも通りに就寝したわけじゃなくて、そう――意識を失ったんだ。それも、強制的に。


 上体を起こして、両手で頭を包み込んで思い出そうとした。


「頭が痛むのか?」


 心配そうな顔で尋ねるサアラに、僕はゆるゆると首を振って否定した。


 記憶の糸をたどるように、ほつれた糸を修繕しながら、少しずつ少しずつ思い出していく。頭の中で意識を失うまでの記憶が、リアルな映像となって再生される。


「そうか……」


 思い出した。

 僕は黄金の宿亭のエントランスで、あの四人に『パーティーを抜けたい』って言ったんだ。その願い自体は聞き届けられたんだけど、アランに暴行されて、それで僕は意識を失ったんだ――。


 あれ? でも、どこも痛くないぞ?

 骨が折れているのでは、と思うほど痛かったはずなんだけどな……。というか、実際に何本か折れたはず――


「エド様が眠っておられる間に、回復魔法をかけておきました」


 僕がぺたぺたと体のあちこちを触っていると、従業員さんが説明してくれた。


 主語が省かれているけど、回復魔法をかけてくれたのは、この人なんだよね? 一流の宿屋の従業員は回復魔法まで使えるんだ。すごいなあ。


「ありがとうございます。……っと……」


 そういえば、この人の名前知らないな。まさかジュウギョウインじゃあるまいし……。


「シリル」

「……え?」

「私はシリルと申します。自己紹介が遅れまして誠に申し訳ありません」

「え、あ、いえいえ……」


 謝ることじゃないと思うんだけど。


 僕が慌てて手を振ると、


「ちなみに妾は知っておったぞ」

「教えてくれてもよかったのに」

「ちなみにちなみにシリルは女だぞ」

「え!?」


 露骨なまでに驚いてしまった。かなり失礼だ。


 僕は改めてシリルさんの顔を、じっくりとよーく観察した。


 整っているけれど、表情や生気が感じられない人形のような顔。肌は驚くほど白くてつやつやで、日焼けという概念は存在しなさそう。年齢は20前後だと思うけど、落ち着いた雰囲気から、実年齢よりも上に見える。背は女性にしては――ではなく、男性の中でもどちらかというと高いほうで、サアラと比べると二頭身近く高い。体つきはスレンダーで、胸の起伏は乏しい。髪の長さは、僕の知っている女性と比べると短くて、僕の知っている男性よりかは長めだ。


 シリルさんが女性だとわかっている今だと、確かに女性に見える。だけど、初見で彼女を女性であると見抜ける人は少数派だと思う。


 総合すると、美青年風美女って感じ。


「ほほう? そなた、さては疑っているな?」


 サアラは顎に手を当ててにったりと笑う。


「ならば、触ってみるがいい」

「触る?」

「胸あるいは股を触ってみれば、妾の言葉が真実だと理解できるはずだ」


 いやいやいやいや……。それはまずいよ。


 恋人でもなければ友達ってわけでもない。知り合ったばかりの宿屋の従業員(女)の体を、客である僕(男)がべたべたと無遠慮に触ったら、すぐに捕まって牢獄にぶち込まれちゃうって!


「触るだなんて、駄目ですよね?」

「別に構いませんよ」


 シリルさんは真顔でさらっと言った。


 ううぇぇぇっ!?

 ちょっとした冗談のようには見えない――けど、シリルさんって真顔で冗談とか言いそうだもんな……。


 僕が戸惑っていると、


「サアラ様のご友人であるエド様なら、構いませんよ」


 うーん、これは……。

 シリルさんはサアラに対して好感を持っている、もしくは友達といえるほど仲良し、もしくは恩がある。どれだろう?


 でもだからといって――本人が許可してくれたからといって、安易にそういう行為に走るのはよくないと思いますう。

 というわけで――。


「信じるよ。信じます。シリルさんは女性です!」


 僕は早口で、たたみかけるように言った。


「エド様は初心なんですね」


 ほんの少しだけ、シリルさんの表情が緩んだ気がした。


「そうなのだ。こいつは初心なんだ」


 サアラがからかうように言うので、


「何だよ。初心で悪い?」


 僕はすねたように言った(実際、少しすねていた)。


「初心

うぶ

な初心

しょしん

を忘れずに、大人になってほしいですね」


 そんなことを言うと、シリルさんは業務を行うために去っていった。


 シリルさんがいなくなった瞬間、サアラはベッドの上に、カンガルーみたいな動きで飛び乗った。僕の隣に寝転ぶと、


「もう夜遅いし寝るぞ」


 今の時刻を聞くと、僕がエントランスに行ってから二時間以上経っていた。

 その間、何をしていたのか――具体的には僕が気を失ってから、ずっと僕を看病していたのか――サアラに聞いた。


 すると、サアラは思い出し笑いしながら、


「明日教えてやる」


 悪魔的な口調で言うと、部屋の明かりを消した。


 すぐ隣にいるサアラの息遣いに緊張しながら(心臓がどきどきと高鳴っている)、僕は眠りについた。

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