第24話


 つまらない。

 つまらない。

 非常につまらない。


「どれだけメイドを食っても腹が満たされん」


 アシダカ姫が触覚を吐いた。


「ああ、つまらん。食ってしまえばおわってしまう」


 喋らなくなる。

 動かなくなる。

 つまらない。

 つまらない。


「……んー……」


 笑顔しか取り柄のない女を思い出す。


「名前はなんだったか。たしか」




「アーマイゼ」


 クモ姫がアーマイゼに書類を渡した。


「これをたのめるか?」

「はい」


 アーマイゼが書類を受け取った。


「ちょうだいします」

「わからなければきけ」

「はい」


 クモ姫とアーマイゼが机を並べて書類仕事をしている。大臣たちはよろこんだ。これで仕事が楽になる!


(すごい。勉強したことが出てきてる。これは、たしか、こうだったはず……)


 アーマイゼが黙々と書類を片付けていく。今まで様々な仕事をしてきたせいだろうか。アーマイゼには吸収力があった。勉学こそなかったものの、おしえればその知識はアーマイゼの脳の棚にしまわれた。その棚を、上手く利用できている。


 だがしかし、いくら相手がアーマイゼとはいえ、クモ姫も容赦しない。その書類でだめであれば、だめと伝える。いくら愛しいアーマイゼでも、これは仕事なので。


「やり直し」

「はい」

「やり直し」

「はい」

「これは」


 頭をなでる。


「よくできてる」

「……ありがとうございます」


 ぽっとほおを赤く染めてうれしそうにはにかむアーマイゼを見ると、心がいやされていく。執務室の糖分に大臣たちの血糖値が上がった。


「アーマイゼ、先に休憩にいきなさい」

「はい」


 アーマイゼが頭を下げる。


「お先に失礼いたします」


 クモ姫は引きつづき書類の確認だ。朝からこんなことをしているなんて、クモ姫さまったらすごいと、改めてアーマイゼは尊敬の意を表した。


(お国のためだもの。王さまって大変なのね……)


「にゃー」

「ハチ、ランチにしましょう」


 アーマイゼが廊下をゆっくりと歩いた。


「おどろいたわ。あのね、ハチ、難しい書類がたくさんあったの。それにぜんぶ目を通して、サインをしなければならないのよ」

「にゃー!」

「姫さま、毎日あんなことをされてるなんて、すごいわ。今夜はマッサージをしてあげないと」

「マッサージか。わらわも受けてみたいのう」


 アーマイゼがきょとんとした。とたんに、ハチが人見知りを発動させて固まった。

 声がきこえた天井を見上げてみると、天井に糸を貼らせ、にやにやしながら見下ろしてくるアシダカ姫がいた。

 使用人ならば、飛び上がって悲鳴をあげてアシダカ姫から逃げるために走り出すところだが、アーマイゼは目をキラキラさせた。

 なぜなら、彼女はクモ姫との距離を縮めてくれた恩人なのだ。


「まあ、これはこれは!」


 アーマイゼは笑顔で深くお辞儀した。


「アシダカ姫さま、今日はご機嫌いかがですか」

「ん。なんじゃ。逃げんのか」

「逃げるだなんて、ふふ。アシダカ姫さまったら、ご冗談を。これからランチなのです。よろしければご一緒にいかがでしょうか」

「……おぬし、わらわをランチに招待するというのか?」

「ええ。ぜひ。アシダカ姫さまに、お伝えしたいこともございますので」

「わらわに伝えたいことじゃと? ふむ。なんだか興味がわいてきた。よろしい。おぬしとランチを共にしてやろうではないか」

「まあ。うれしい。ありがとうございます。感謝感激雨あられ」


 そう言ってアーマイゼは食事をする部屋にアシダカ姫をまねきいれ、使用人にナイショで調理をし、おいしいパンをアシダカ姫にふるまった。


「さあ、どうぞ。アシダカ姫さま」

「いただこう」


 アシダカ姫がパンを食べると、さほどおどろきはしなかった。これなら自分の城にいるシェフが作ったほうがうまいだろう。だけど、怒る気もなく、アシダカ姫はただ、アーマイゼの伝えたいことというのが気になっていた。


「して、おぬしの伝えたいこととはなんじゃ」

「ああ、そのことですが、じつは、アシダカ姫さまの毒のおかげで、クモ姫さまとの距離がちぢまり、それはそれは今まで以上に仲良くなれたのです」

「ん。おぬしたちはケンカでもしていたのか」

「それが、ここだけの話なのですが」


 アシダカ姫の耳がぴくりと動いた。アシダカ姫は、ここだけの話が大好きなのだ。人の秘密を知れるのって、おもしろい。


「クモ姫さまとの夜について、わたしがなやんでいたのです」

「夜」

「新婚夫婦は、毎日のように夜をともに過ごされると聞いております。ですが、わたしたちには、その、一度そういうことがあってから、二度目がなかったものでして……」

「ああ。交尾のことか」

「まあ、アシダカ姫さまったら、そんな、ストレートに」


 アーマイゼが顔を真っ赤にし、パンの耳を食べるハチに目を向けた。


「なるほど。わらわの媚薬で二度目がきたというのか」

「はい。それからというもの、クモ姫さまとの仲もよくなり、夜な夜なくっついて寝ております。こうして問題が解決できたのも、アシダカ姫さまのおかげです」


 アーマイゼが深々と頭を下げた。


「ほんとうにありがとうございました」


 アシダカ姫は、とても複雑な気分になった。不快でもないし、うれしくもない。なぜ自分が感謝されているのかわからない。しかし、どう見てもアーマイゼが演技で感謝しているふりをしているようには見えない。


 だから、よけいに、本気で感謝されて、本気でアシダカ姫は複雑な気分になってしまった。


「ということは、それからというもの、おぬしたちは仲良しということか」

「……クモ姫さまのおきもちはわかりませんが、少なくとも、わたしは」


 アーマイゼが笑顔を浮かべた。


「とても幸せです」


 その笑顔を見た瞬間、アシダカ姫が固まった。急に胸がうずき、まばたきもせず、アーマイゼを見つめた。アーマイゼはきょとんとして、首をかしげた。


「いかがされましたか?」

「ふむ、実に興味深いと思っての」


 アシダカ姫は、胸をおさえた。


「なんだか胸が変じゃ」

「まあ、たいへん。ご病気ですか? お医者さまに見てもらったほうがいいです!」

「国にもどったらみてもらおう。ここではわらわは指名手配犯だからのう」

「いえ、お医者さまをお呼びしますので……!」


 立ち上がったアーマイゼの手首をアシダカ姫がつかんだ。


「結構」


 そのとき、アーマイゼがアシダカ姫を見上げる。下から見下ろせば目が合う。その黒い瞳で見つめられると、アシダカ姫は、なんだかその目を観察したくなり、じっと見てしまう。アーマイゼがまたきょとんとして、心配そうに眉を八の字に下げた。


「アシダカ姫さま?」


 アシダカ姫は、なんだかアーマイゼを観察したくなった。


「そうじゃ。もって帰ろう」

「はい?」

「アーマイゼといったな」


 アシダカ姫が笑みを浮かべた。


「わらわの城に持って帰る。そのまま動くな」


 ――その瞬間、すべての糸がアシダカ姫を捕まえ、ぐるぐる巻きに巻きつき、大きく振りかぶり、アシダカ姫を国の外までぶん投げた。


「あらあら、たいへん」


 アーマイゼが口をおさえると、うしろから抱きしめられる。アーマイゼがそれにふりかえった。


「クモ姫さま、お客さまですよ」

「招かねざる客だと言ってるだろ」


 クモ姫が殺意を込めて窓をにらんでいる。


「どこか食われてないか?」

「クモ姫さま、アシダカ姫さまはクモ姫さまとちがって、わたしたちを食べたりなどしませんよ」

「……」

「お昼ですか?」

「……区切りがついたのでな」

「……でしたら」


 残ったパンを見る。


「ご一緒にいかがですか?」


 アーマイゼが誘うと、クモ姫がアーマイゼをだきしめた。愛しい人からだきしめられ、アーマイゼが笑顔になる。


(……クモ姫さま)


 わたしはとても幸せです。


 そう思って、アーマイゼがクモ姫を抱きしめ返した。






 着地した木に巣を貼ったアシダカ姫が、クモ姫の国の城をながめた。


(ふむ、アーマイゼ。なかなか興味深い)


 アーマイゼを思い出すと、胸がしめつけられる。


(……呪いでもかけられたか?)


 だけど、


(変な感じがする)


 不快じゃない。


 アシダカ姫は木に捕まったゴキブリに糸を巻きつけ、ぱくりと食べた。


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