第8話
クモ姫はアーマイゼを物のようにあつかう。
「アーマイゼ、しばらくお前はわたくしのまくらになっていなさい」
ひざまくら。
「アーマイゼ、しばらくお前はわたくしのひざかけになっていなさい」
膝の上にだっこ。
「アーマイゼ、しばらくお前はわたくしの抱きまくらになりなさい」
抱きしめる。
アーマイゼはため息を吐き、つぶやいた。
「わたし、クモ姫様に嫌われてるんですよね……」
「「いやいやいやいや何言うてんねん! お前!」」
使用人たちが全員ツッコんだ。
「アーマイゼ様、クモ姫様はそれはたいそう、アーマイゼ様を気に入られておりますわ!」
「こうやってアーマイゼ様とお話してるだけで、我々がにらまれるほど!」
「逆に、どこに不安要素があるというのですか!」
「……あの……」
アーマイゼがうつむいた。
「物あつかいされるから……」
あーー。だからクモ姫様、もう素直じゃないから。こういうことになるんですよ。めんどうくせえな。ここは一つ我々がひとはだ脱ぎますか。だから、給料あげてくれ。
「アーマイゼ様、クモ姫様は、アーマイゼ様が大好きなんですよ」
「見てたらわかりますわ」
「あんなにべたべたされたらね」
「新婚ですもの」
「アーマイゼ様、これで大丈夫ですわ。お気になさらず!」
みんながにこりと笑う中、アーマイゼはまゆをひそめた。だって、みんな、わかってない。クモ姫は、最近、なんだか自分をさけているように感じた。だから、嫌われているのだと自覚した。とたんに、アーマイゼはとてもかなしくなった。さみしくなった。胸に穴があいたような感覚におちいった。アーマイゼがとてもかなしそうにしていると、――とても不思議で奇妙なのだが、それを見たクモ姫は、なぜかアーマイゼの顔をのぞきこみ、どうした、ときいてくるのだ。アーマイゼが迷惑をかけてはいけないと思い、何でもありません。と言えば、クモ姫はアーマイゼの横に立ち、そのまま、アーマイゼが動くまで、じっとした。
それだけじゃない。
アーマイゼが手を伸ばして、ふれたら、クモ姫は手をつないだ。
アーマイゼがアニメに感動して泣いていたら、クモ姫はその背中をなでた。
アーマイゼがさみしくなったら、クモ姫はいつまでもそばにいた。
だけど、さけられているようなのだ。
(……姫様……)
クモ姫のことを考えると、アーマイゼは胸がくるしくなった。嫌われてると理解してからは、胸がくるしいから、痛いに変わった。ズキズキして、まるで心臓に針がささっているようだった。
(姫様はおやさしいから、わたしにわざわざかまってくれてるんだわ。それに甘えるわけにはいかない。嫌いな人のお顔は見たくないもの。……あまり、わたしの顔を見せないほうが、姫様のためなのかもしれない……)
その時から、アーマイゼがサングラスとマスクをつけ始めた。しかし、クモ姫がすぐに没収した。
「あ! 何するんですか!」
「わずらわしい」
「わたしのサングラスとマスク!」
クモ姫がアーマイゼを強引にベッドにひっぱった。
「あっ……」
そのまま、豊満な胸に抱きよせられてしまう。ああ、大きくてやわらかいお胸だこと。
「早く寝ろ」
「……っ」
アーマイゼが考えた末の抵抗に、後ろを向いた。クモ姫が顔をしかめた。
「お、おやすみなさいませ!」
(またか)
いや、別に抱きしめやすいからかまわないけど。この体制、けっこう楽だから別にいいけれども。こういう寝方をする夫婦もいるけれども。
(なぜだか、最近、こっちを見てくれない)
アーマイゼのまぬけな寝顔が見られない。
「……」
なんとなく、クモ姫は唇がむずむずするような気がした。なにかに押し付けないと気がすまなくなり、ちょうど、ここから見えたアーマイゼの耳裏にキスをした。とたんに、びくっ、とアーマイゼの肩が跳ねるのを見て、クモ姫の唇はむずむずさがなくなり、機嫌がとてもよくなった。そして、なんだかささやきたい気分になって、キスをした耳に、低くささやいた。
「……おやすみ。アーマイゼ」
(……姫様……)
ささやかれた耳がとても熱い。
(どうか、胸を鳴らしてしまうわたしをお許しください)
今日もよく眠れない。アーマイゼが勉強に身が入らない。教科書の字が魚のように海をおよいで見える。つい、うとうとといねむりしてしまい、教育係に怒られてしまった。しゅんとするアーマイゼを執務室から見ていたクモ姫が使用人に命令した。
「アーマイゼに甘いアイスをやれ。今すぐにだ」
「御意」
アーマイゼがさしだされたアイスを見て、それがクモ姫からだということをきいて、顔をかなしみにゆがめた。
(きっと毒が入ってるんだわ。死ねってことなのね。わかりました。姫様、あなた様のためならば、わたし、よろこんで死にます。どうか、大切なわたしの家族のことをよろしくおねがいいたします。今までのことに、感謝感激雨あられ)
アーマイゼが泣きながらアイスを食べた。アイスはとても甘くて美味しかった。気がつくと、ぺろりと平らげていた。くるしくなると思いきや、いつまで経ってもくるしさはこない。舌には甘さだけが残ったので、不思議に思ったアーマイゼが使用人たちにきいた。
「……あの、……毒は?」
「アーマイゼ様、寝ぼけてるんですね」
「どうして泣いてるんですか?」
「毒なんか入ってませんよ」
(あれ? おかしいな……)
アーマイゼが不思議に思いながら廊下を歩いていると、上着のボタンが外れた。落としたボタンをひろい、この程度なら自分でできると思い、針でちくちくぬっていると、部屋にクモ姫が入ってきた。それにおどろき、アーマイゼが針を指に刺してしまった。
「いたっ……」
「っ! アーマイゼ……!」
すぐにかけより、クモ姫がアーマイゼの手を握りしめた。
「見せてみなさい」
「あっ……」
「血が出ている。おい! 何をしている! ただちに医者を呼べ!」
「か、かしこまりました!」
「姫様……!」
「動くんじゃない。お前はばかな娘だ」
「あの、これくらいなら、なめればすぐに止まりますから……」
クモ姫が口をひらいた。
(あっ)
そして、おもむろにアーマイゼの指をくわえる。熱い舌がアーマイゼの指の傷をなめた。
(……あ……)
アーマイゼがぞくぞくして、体を震わせた。なんて熱い舌だろう。自分を見つめてくるするどい視線に、胸が高鳴る。
「姫様……」
「お前を傷つけていいのはわたくしだけだ。たとえお前でも、お前はわたくしのもの。勝手に傷をつけることは許さん」
「ごめんなさい……」
「おいで」
「あっ……」
そんなふうに抱きしめられたら、とろけてしまう。甘えてしまう。よりそってしまう。胸がうるさいほど、高鳴ってしまう。
「クモ姫様……」
「アーマイゼ……」
「あの……」
急いで来た医者が声をかけると、クモ姫がチラッと見て、手で払う。あっちいけ。
「はい……」
医者はとぼとぼさびしそうに帰っていった。
(やっぱり、わたしは物なのね……)
アーマイゼがしゅんとした。
(これからは、クモ姫様の家具にならないと……)
抱きしめられる。これはまくら代わり。
頭をなでられる。これは魔法のランプ代わり。
背中をとんとんされる。これはなんだろう。
(……お手がやさしい……)
甘えてしまうほど、やさしい。
(心地よすぎて眠ってしまいそう……)
「……眠たいか?」
「ねむく……ありません……」
「そうか」
「わたし……ねむく、ありません……」
「……そうか」
クモ姫がその背中をやさしくなでれば、安心しきったアーマイゼの顔が見えた。自分の胸の中でそんな顔をするのは、アーマイゼだけだった。
「アーマイゼ、目をつむりなさい」
「わたし、まだ……ボタン……」
「使用人につけてもらおう。大丈夫」
「クモ……ひめ……さま……」
アーマイゼがつぶやいた。
「嫌いに、ならないで……」
クモ姫がきょとんとした。しかし、聞き返す前にアーマイゼは眠ってしまった。クモ姫がアーマイゼの寝顔を見つめた。そして、やさしく、とてもやさしく、その頭をなでた。
「嫌いではない」
アーマイゼを見つめる。
「別に、……嫌いでは、ない」
大切にアーマイゼを抱きしめ、クモ姫が寄りそった。部屋の前では書類を持った大臣と医者とさいほうセットを持った使用人が集まっていた。
「姫様、書類!」
「わし、帰っていい?」
「いつボタンつけたらいいかしら……」
みんながため息を吐いた。転職しようかな。求人誌をぺらりとめくった。
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