第6話


 なんだか最近、クモ姫が冷たくなった。アーマイゼはそんな気がしていた。


(以前であれば、クモ姫様が寝る前におおいかぶさってきた。でも、今はない)

(以前であれば、よくわからないけれど、顔を近づかせてきていた。でも、今はない)


 でも、以前よりも、どこか目はやさしい気がする。


(クモ姫様の目は、とてもきれいだから、見ていたら、時間を忘れてしまう。アニメの時間なら覚えているけれど)


 クモ姫はみんなにおそれられている。けれど、そんなにひどい人には思えなかった。一緒に歩いていたら、足のみじかい自分に歩幅を合わせてくれるし、転びそうになったら、手をつないでくれる。その時にふれる長い指が太陽のようにあたたかくて、ついつい、うっとりしてしまう。


(だから、冷たくされたら、さびしくなってしまう……)


 今日は手を握ってもらえない。


「……」


 そっと手を伸ばすと、クモ姫が手をかわした。


(あっ)


 見上げると、クモ姫がセンスをもって、あおぎ始めた。


(……)


 そっと手を戻した。今日は握ってもらえない。


(わたし、最近手を握ってもらってたからって、とんだ阿呆だわ。自意識過剰もいいところよ)


 夫婦とはいえ、なぜ求婚されたかも実はあまりよくわかっていない。アーマイゼはクモ姫を妻として見ていないし、クモ姫も自分を妻として見ていないことなどわかっている。ただ、心からの恩人と思って慕い、強くてりりしい彼女にあこがれているだけ。


(いつでも凛としてて、堂々と立ってて、かっこいい)


 だから、手を握ってもらえると、すごくうれしい。


(お母さんはいつでも弟妹に取られてしまっていたから、年上のかたに手を握ってもらえるのは久しぶり)


 このあいだは、キスをしてもらった。やわらかい唇だった。


(唇にキスだなんて、何年ぶりかしら)


 昔、母親にしてもらった以来、されたことはない。だから、唇を重ねたクモ姫と、少しは仲良くなれた気がして、アーマイゼはうれしかった。


(でも、とんだお角ちがいの勘ちがい者だわ。クモ姫様はお姫様で、わたしはしょせん貧乏人。だめね。わたしったら天狗になって。恥ずかしい。天狗は鼻をおられるもの。わたしは貧乏人。思いあがってはだめよ。わたし)


 一方、クモ姫はセンスをあおぎながら、思っていた。


(……光ってる)


 アーマイゼがきらきら光ってる。


(見れない)


 目を向けたら、心臓が止まりそうになる。黒くてみじかい髪はつやっぽくて、赤い唇は色っぽい。ほんのり赤い頬。見えそうで見えない胸元。ぺったんこなくせに、触るとやわらかい罪な胸。最近、本当にどうしてしまったのだろうか。アーマイゼを見ているとクモ姫のあそこがじんじんして、心臓がどきどきしてくるのだ。手がけいれんして、そのまま伸ばしてしまったら、アーマイゼの胸をもみしだき、ドレスを乱暴に脱がせてしまいたくなる。そして、女であるからわかる気持ちのいいところにふれて、アーマイゼの大人の顔を見たくなってしまう。アーマイゼはどんなふうに自分を見つめてくるのだろう。普段は見上げてばかりで、にこにこ可愛らしい笑みを浮かべているけれど、あえて自分の上にアーマイゼを乗せたら、彼女はどんな顔で自分を見下ろしてくるのだろう。


「クモ姫様……アーマイゼの……いけないところ……見てください……」


 クモ姫様は真顔で壁に頭をたたきつけた。アーマイゼがぎょっと目をみひらいて、悲鳴をあげた。


「姫様!」

「蚊がいた」

「蚊でしたら、わたしがたたきます!」

「もうつぶれた。ぺったんこだ」


 壁が崩壊している。使用人達は頭を抱えた。すぐに直さないと壁を壊したクモ姫様に殺される。給料上げてくれねえかな。

 クモ姫が大股で廊下を歩く中、アーマイゼがちまちまとついていく。


(今日は、足が早い)


 アーマイゼが少しだけ、さみしくなった。


(わたし、反省しないと。これがあたり前なのよ。最近のわたしはクモ姫様に甘えすぎてたんだわ)


 せっかくひろっていただいた身。自立しなくては。そう思ったアーマイゼは、今まで以上にクモ姫に尽くすことにした。


「クモ姫様は、今夜、お背中をお流ししてもいいですか?」

「……今夜はやめておこう」

「……そうですか」


 断られてしまった。


「……わかりました……」


 アーマイゼは笑顔で下がった。断られたら何も言えない。しかしアーマイゼははたらき者。ここであきらめるもろい心はもちあわせてはいない。ならばと、寝る前に、クモ姫にマッサージを提案した。


「クモ姫様、マッサージをします! さあ、横になってくださいな!」


 クモ姫が意気込むアーマイゼの手を掴んで、ひっぱった。


「あっ……」


 腕の中にひきよせられ、そのまま、閉じこめられる。


「ここにいなさい」

「……はい……」


 やさしく抱きしめられたら、つい甘えてしまう。だって、手がとてもやさしいから。とてもあたたかいから。


(だめです。姫様。そんなふうに抱きしめられたら、……あなたに、甘えてしまいます……)


 アーマイゼが反対がわを向いた。クモ姫がきょとんとした。


「お、おやすみなさいませ!」

「……ああ。おやすみ」


 クモ姫の胸がしゅんとした。


(アーマイゼの寝顔が見えない)


 しかし、すぐにはっとする。


(別にかまわないではないか。どうせ離婚する妻なのだから)


 けれど、抱きしめた手が彼女から離せない。


(くそ)


 後ろから強くアーマイゼを抱きしめれば、アーマイゼが体をぴくんと跳ねさせた。


(ひゃっ)

(あ)


 クモ姫が手の力を弱めた。


「……痛かったか?」

「い、痛くありません……」

「……そうか」


(別に痛くしてもかまわないではないか。この女は、ただの使いすての糸だぞ)


 クモ姫が抱きしめる。しかし、その手はとてもやさしくなってしまう。


(……っ)


 やさしく、腕の中にアーマイゼを閉じこめる。


(な、なに……?)


 アーマイゼの心臓が、どきどきと震え始める。


(心臓がうるさい……)


 そんなに鳴ったら、クモ姫にきこえてしまう。


(きっと、緊張してるんだわ。落ちついて。わたし)


 アーマイゼが深く呼吸している間、クモ姫はアーマイゼの頭の匂いをたんのうしていた。


(……シャンプーの匂いがする……)


 背中、流してもらえばよかった。


(でもそしたら、アーマイゼの肌をもろに見てしまうではないか)


 タオル一枚体に巻いて、自分の肌にふれてくるのだろう?


(タオルを溶かしたら)


 アーマイゼがはずかしそうに裸になるのだろう?


「やっ……姫様……アーマイゼ……はずかしい……」


 クモ姫がカッ! と目を大きく見開いた。


(……眠れない)

(眠れない……)


 翌日、クモ姫とアーマイゼは寝不足になった。クモ姫は書類をかたづけながらあくびをして、アーマイゼは勉強しながらあくびをしたのだった。

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