第8話 魔法生物

 仰向けに倒れた蟻は手足をバタつかせてもがいていたが、ヤギョウの指示を受けたニコルが頭側に回り、首の関節部に剣を突き立てるとその身体が砂のように崩れていった。

 突き立てた切っ先には赤黒い石が刺さっていた。


「ニコル、その石を踏み砕け」


 苦々にがにがしげに言い放つヤギョウの指示に従い、ニコルは石を踏んで剣を引き抜くと、そのまま体重を掛け石を踏み砕いた。

 若干の抵抗はあったものの、石はパキン!と甲高い音を上げて砕け散った。


 戦いが終わった。


 先程までの喧騒が嘘だったかのように、辺りは静まり返っていた。

 聞こえてくるのは荒い息遣い、それはニコルから発せられているものだ。


 蟻の突進により痛撃を被った左脇腹をニコルは撫でていた、幸い殆どは鎧に備わった加護によって吸収されていたが、それでもあの巨体の突進を受けたのだ、息苦しさは拭えない。


「痛むか?」


 労るようにヤギョウは尋ねた。


「大丈夫です。突進を受けた時に息ができなくなってしまって」

「頑丈な鎧で助かったな」

「はい。・・・あの、ありがとうございました」

「何がじゃ?」


 怪訝そうな顔をするヤギョウに、ニコルは頭を下げた。


「ヤギョウさんが言ってくれなければ、突進モロに受けてました」

「あれか。大方、振り下ろし攻撃だと踏んでおったんだろうが、見込み違いじゃったな」


 言い当てられたニコルは顔を赤らめていた。


「あ奴の攻撃が再三、腕からだったために自ら選択肢を狭めてしまったようじゃの」

「・・・そうです。なんと言うか、それ以外の攻撃はしてこない、そう考えてしまいました。腕以外ないだろうと」


 熟練冒険者との経験値の違い、そんな気がしていた。

 ニコルは、自分が絞り込んだと思っていた選択肢が、実は狭めていたと言う事を事実とヤギョウの言葉によって思い知らされていた。

 現に、ヤギョウは蟻の突進を予想している。


「考えることを止めぬ事じゃ。戦いにおいては常に何が起こるか分からん、間違えば自分と仲間の命に関わるからな」


 仲間の命、そう言われてニコルは背筋が寒くなった。

 そうなのだ、戦っていたのは自分だけだったが自分の後ろにはヤギョウが居た。

 自分の敗北は即、ヤギョウの危機に繋がる。

 そして、これがパーティーでの戦闘だった場合は、ニールセンや他のメンバーの危険度が増すことになるのだ。


「とは言え、お主は良くやった。初見であの蟻を討ち取るとは大したものじゃぞ」

「いえ、ヤギョウさんの的確な指示があったからです、自分ひとりじゃ多分死んでいました」


 ニコルは、今や砂となった蟻に視線を落とした。


「それにしても、は何だったんでしょう?」

「何じゃ、魔法生物を見たことが無いのか?」


 ヤギョウは珍しいものを見るかのように、ニコルに視線を向けた。


「いえ、魔法生物とは何度か戦ったことはあるんですが。自分が戦ってきたものは、なんというか、生き物・・・でしたよ」


 言い淀むニコルを尻目に、ヤギョウは砕けた赤黒い石の欠片を摘み上げ、それを彼に放り投げた。

 慌てて、それを受けるニコル。


「あれはな、魔法生物の中でも核有さねありと呼ばれるものじゃ。そういった魔石を核として魔法の力が実像を作り、石に込められた命令を忠実に実行する訳じゃな」

「忠実に、ですか」

「そうじゃ。先程のはさしずめ『迷宮内の侵入者を排除せよ』と、言ったところかの」


 初めて耳にする核有やその特徴を、ニコルは石を覗き込みながら頭に刻み込んでいた。

 先程、ヤギョウに言われた『考えるのを止めぬこと』これを実行する為には知識が必要だと思う。


「お主が以前戦った魔法生物とは、湧き出づる者たちの事か?」

「湧き出づる者たち?」

「大まかに言うと、亜人共じゃ」


 亜人とは即ち、ゴブリンやオーガなど二足歩行で行動する、姿形が人間に酷似した人間以外の生物の総称である。

 出自は不明だが、現在でも多く存在し、その殆どが人間に対し敵意を持っている。

 独自の言語を用いているため相互理解は難しいが、稀に人語を理解する個体も見つかっていることもあり、知能は低くはないと考えられている。


 だが、前述したように、その多くが人間に対する敵意を持っており、双方が出会った場合は血が流れることが必定となっている。

 最初は一方的に向けられた敵意だが、穏便に済ますには血が流れすぎた。

 今では人間の方も亜人に対し、敵意と恐れを抱いている。


「湧き出づる者たちは先程の蟻とは違い、ある程度の知能を持って産み出されたものじゃ」


 生徒に諭すかのように、ゆっくりとヤギョウは話し始めた。


「あ奴らと蟻とは、核がある・なし以外に決定的に違うところがある。分かるか?」


 そう問われ、ニコルは考え込んだ。

 自分の見知った魔法生物とは全く違った蟻、核があり、そこからの命令によって動くなど想像もしていなかった。

 ただ、ヤギョウの話を聞き、魔石の欠片を見て、それが自分の見聞きした事のある、ある魔法生物の特徴と似ていることに気がついていた。


「ゴーレム」

「ん?」

「ゴーレムも核有の一種なのでしょうか?」


 自分の求めた正解では無かったが、ニコルが自力で答えに辿り着こうとしていることにヤギョウは満足していた。しかもゴーレムを引き合いに出している、勘所かんどころは良い。

ならば、自分のすべきことはその思考を流れに乗せることだ。


「なぜゴーレムじゃ?」

「前に聞いたことがあるんです、ゴーレムの話を。今思い出すとその時の話がさっきの蟻と似ているので。額に赤い石があって、それを破壊したら砂のように崩れた」

「それで?」

「即ち、それが核有の特徴なのではないでしょうか?核があり、それを壊すと破壊できる。核に命令が吹き込んであり、実像を作るのに魔力が必要。・・・・魔力。」

「そうじゃ、魔力じゃ」


 ニコルが導き出した流れをヤギョウが加速させる。


「して、核有が魔力で構成されているとして、湧き出づる者たちはどうじゃ?」

「・・・湧き出づる者たち」


 ニコルは再び考え込んだ。

 魔法生物と呼ばれる怪物は、実は核有や亜人以外にも複数存在する。

 ヤギョウはそれを、『核有』と『湧き出づる者たち』の2つに分けていた。

 自分が今まで見てきた魔法生物の姿形を思い返してみる。

 人型、動物型、昆虫型、異形。

『核有』と『湧き出づる者たち』の形状には、さほど違いはない気がする。

 あの二足歩行の蟻の様な形が、特出して珍しいとは思えない。


 それならば、行動だ。

 核有は、その核に吹き込まれた命令を忠実に実行するらしい。

 我々を襲ってきたことも、『迷宮内から敵を排除する』といった命令が吹き込まれていたからだろう。


 一方、湧き出づる者たちはどうだ?

 今まで自分が戦った魔法生物は、各々が考えて行動していた。

 形勢が不利なら逃げ出した連中もいたからだ。

 という事は、当たり前だが命令されている訳ではなく自己の判断で行動している?


 そう考えたニコルは、ふと。ある事に思い至った。

 実体化し、維持するために魔法を使う核有に対して、湧き出づる者たちは何故、魔法生物と呼ばれるのか?

 もちろん、中には魔法を使う連中もいるが、それは補助として魔法を利用している人間も同じではないか。

 生きてゆくために人や動物を襲い、捕食して増える。

 生き物を食べて生きている、人間とどこが違うのか。

 そもそもが生物だろう・・・・・・生物?

その答えに行き着いた瞬間、ニコルの顔から血の気が引いていた。


「気付いたようじゃな。湧き出づる者たちとは、即ち『魔法によって産み出された生物』じゃ」


 ニコルにとって、それは衝撃的な答えだった。

 今まで、一括で魔法生物と呼称していたが、実際にそれが何であるかは考えたことが無かったのだ。

 当たり前だ、人間と同じ様に自然界に存在する生き物として捉え、呼称として魔法生物として括っていただけなのだから。

 漠然と、怪物=魔法生物と認識し、漠然と倒すべき相手だと思っていた。


「魔法から産み出された生物」

「そうじゃ、ゴブリン・コボルド・オーガ、その他諸々の魔法生物の全てが魔法によって作り出された生物じゃ」

「自然界に生息していた訳じゃ無いって事ですか?」

「そうじゃ、ある時を境に文字通り『湧きいでた』のよ」

「それって・・・」


 そう言いながら、ニコルには思い当たる節があった。

 いや、この世界に生きている者ならば、今ヤギョウから突き出された断片に思いを巡らせれば気がつく筈だ。

 それこそ、つまり。


「・・・大いなる戦の時に」

「うむ。魔法生物は昔からこの世界に生息していた訳ではない、戦の際に奴によって産み出されたのじゃよ」

「奴?誰のことですか?」


 ニコルにはヤギョウの言葉が特定の個人に対して向けられているようにしか思えなかった。ここに居ない誰かに対して、忌々しげに毒を含んだ言葉を投げかけているような。


 そして、それは凶事を孕む言葉のように思えてならなかった。

 聞いてはいけない、思い出してはいけない、そう自分の中の何かが警戒音を鳴らし、蟻と対峙した時のように全身が総毛立っていた。



「ガロアじゃよ、魔法使いガロア」



 ヤギョウは憎々しげに、この世界の誰しもが不自然に記憶の彼方に追いやられた魔法使いの名前を呼んでいた。

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新米ソードマン、剣豪と行く ろくろだ まさはる @rokuroda

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