第7話 敵襲

目的地は決まってはいたが、そこへ辿り着くのは容易ではない。

ここは迷宮内で、辿る道は直線ではないし、

しかも、先ほどの様にいつ黒い塊や他の怪物に襲われるかもしれないからだ。

迷宮にあんな化け物が一体だけ彷徨うろついている訳がない。


ニコルとヤギョウは慎重に辺りを警戒しながら進んでいた。

無論、印を付ける事も忘れてはいない。

ヤギョウには迷わないためにと説明したが、印にはもう一つ意味があった。

一縷いちるの望みだが、賭けてみる価値はある。


そんな緊張感の中、ニコルはヤギョウの動きに驚いていた。


音がしないのだ。


仲間である『音無』ゴールドと引けを取らない無駄のない動き、

指示の正確さと判断の速さで、一廉ひとかどの人物だと見て取れた。


実は、何度か迷宮内を徘徊しているモノの気配はあったが、

ヤギョウの指示でそれを回避できていた。


「ヤギョウさん」

「なんじゃ?」


小声でやり取りをしながらも、ヤギョウが周りに神経を走らせているのが肌でわかる。


「転移門までは、まだ距離があるんでしょうか?」


角を覗き込んでいたヤギョウは首を巡らせ。


「もう少し先に行ったところじゃ。何じゃ小便か?」

「違いますよっ!」


慌てて大声を出しそうになるのを堪えるニコル。


「はっは。冗談、冗談」


まったく、と顰め面をしながら、この老人にはからかわれてばかりだな、そう思う。

その途端、ニコルの脳裏にゴールドとサニア・シルビアの顔が浮かんできた。

3人は、そして他のメンバーはどうしているだろう?そう考えると不意に寂しさが込み上げてきた。


「ニコル。お主まだ冒険者になって間もないじゃろう?」


ヤギョウの問いが意識を引き戻す。


「え?・・・あ、はい。村から出て1年も経っていません」

「そうか。殊勝な事じゃな」

「何がですか?」


ヤギョウは向き直り、ニコルを正面から見据えた。

圧をかけられた訳でもない。

傍から見たら単なる立ち話のようだが、見据えられているニコルはヤギョウの雰囲気に抗えないものを感じていた。


「今のような質問に対し、大方の冒険者は見栄を張ることが多い。なめられるのを嫌うから、自分は経験を積んでいる、とな。ましてや儂とお主はおうたばかりじゃ、そんな事はない、と言ってもバレはせんしな」


ニコルは、不意に向けられた老人からの言葉に、教えを請うように耳を傾けていた。


「嘘偽り無く答えることは、相手に向ける言葉と同時に自分自身へも向けられておる。己の未熟さを理解しておる者の証拠じゃ」


その言葉が、ニコルの胸深く刺さった。

自分を肯定してもらえた気がした。

未熟なことに焦りを抱いていたニコルだが、その一言で救われた気がしていた。


   ◇


柄にもないことを言った、とヤギョウは内心で照れていた。

こんな事を言うつもりは無かったのだが、この状況下で気丈に振る舞う若い剣士を見て、心を動かされたのは確かだ。


『儂も、まだ若いな』


そう思い、苦笑いしたヤギョウの目前、つまりはニコルの数歩後ろに奇妙な物が見えていた。

何かが中に浮いている。

その浮いた物体の周りが黒い影を纏い、段々と収縮されていく。


ヤギョウはこれが何か知っていた。

自分の感知が遅れたのではない、これは突然現れるからだ。

だが、ヤギョウは自分の失態であると悔いていた、まさかこの状況で現れるとは思っていなかったからだ。


間に合うか?

いや、間に合わなければ若い剣士に危険が及ぶ。


『ニコル!敵じゃ!』


そう言って危険を知らせねば!

ヤギョウが考えた刹那、ニコルが剣を抜き後ろを振り向いていた。


   ◇


背中に悪寒を感じた。

先程まで何もなかったはずの通路、しかも今通ってきた後ろに何かが居る気配がする。

そして、この感覚は知っている。

自分たちに向けられているのは敵意、つまり後ろにいるのは敵だ。


ニコルは松明を左手に持ち替え素早く剣を抜き放つと、盾を構え敵に向き直った。

目の前では、宙に浮く石の様なものが影を纏い、その影が膨張し形を成そうとしていた。

恐らくは、小部屋で見たあの黒い塊か、それと同等のモノだろう。


肌に刺さる敵意が眼前の異形の強さを彷彿とさせる。

だが、こちらは自分とヤギョウの二人、

先程からのヤギョウの立ち居振る舞いを見れば、相当の実力者だと伺える。

自分がしくじらなければ十分戦える、ニコルはそう算段していた。


「ニコル」

「はい!」

「もう間もなく、あ奴は実体化する。その外皮は固く容易には傷がつかん」


後ろにいて姿は見えないが、その声からはヤギョウの緊張が伝わってくる。


「だが、その分動きは鈍い。隙を突いて脚の関節を狙え」

「分かりました!」

「それともう一つ」

「はい!」

「悪いが、儂は戦えん。武器が無い」

「はい!」


勢いよく答えたニコルだが、発せられた衝撃に後ろを振り向いてしまう。


「はい?!!!」

「来るぞ!」


ヤギョウの言葉で前に向き直るニコル、その頭上から爪が振り下ろされる。

横に飛んでそれを避けたが、爪が当たった床石が甲高い音を立てて割れた。

実体化した黒い塊は大きな顎を持ち、黒光りした甲殻を持つ昆虫を彷彿させていた。


「・・・蟻?」


蟻に似た黒い塊は、顎をギチギチと鳴らしながらニコルを見据えていた。

床石を割った爪は鋭利で太い。

モロに攻撃を食らったら只では済まないだろう。


ゆっくり距離を取るが通路の幅は広くない、下手に動けば壁際に追い込まれてしまう。

関節を狙うならば後ろに回り込む必要があるが、未熟な自分にそれができるのか。

いや、できるできないの問題ではない、やらなければならないのだ。

ここには頼れるパーティーのメンバーは居ない。

しかも、ヤギョウは武器を携帯していないという。

驚いたが、その一言で逆に覚悟が決まった。


「ヤギョウさん、指示をお願いします!」

「任せておけ、とりあえずは出方を見てからじゃ」


軽く頷き、ニコルは蟻との間合いを詰める。

こちらから仕掛けずに、敵を誘い攻撃をさせる必要がある。

ヤギョウの方に意識を向けさせないよう、適度に剣で盾を叩いて注意を自分に向けさせる。


その音に反応し、蟻が動いた。

両腕を振りかぶりニコルに襲いかかる。

先程は振り向きざまに受けた攻撃だが、確かにヤギョウの言うようにその動きは鈍い。

攻撃を避け、壁との間を抜けニコルは蟻の後ろに回り込むと、左脚の関節を狙い剣を振り下ろした。

ザクッとした感触が伝わるが、切った箇所からは何も出ない。


「そやつは魔法生物、切ったとて何も出ん」


見透かしたようなヤギョウの声が聞こえる。

と同時に、蟻が嫌がるように振り向きざまに腕を水平に振ってきた。

それを盾で防ぎ、ニコルは後ろに飛び退いた。

盾を着けた左腕に重い衝撃が残っている、軽く腕を振って痺れる痛みを緩和させる。


「攻撃は効いておるぞ、同じ所にもう一度見舞ってやれ」


言うわ易しだな、とニコルは思う。

正直、新米である自分には荷が重い役割だ。

今までの戦闘では、相手の注意をそらすのが自分の役割だった。

攻撃するのは主にハシュやゴールドの仕事だったのだ。

もちろん、自分も攻撃はするが、あくまでそれは相手への牽制の意味合いが強い。


だが、今はそんな状況ではない。

自分が攻撃し、自分が倒さねば道は拓けないのだ。

再度、盾を叩く。

この音が嫌いなのか、また蟻が反応して襲いかかってきた。

このまま腕で攻撃か?・・・左か?右か?


「突進じゃ!馬鹿者っ!」


ヤギョウの言葉に理解が追いつき、すんでのところで身体を捻ってかわす。

だが、突っ込んできた蟻の頭がニコルの右脇腹をかすめた。


「ぐっ!・・・・」


鈍い音がし、左脇腹に鈍痛が走る。

低いうめき声を上げたニコルだが、ここでうずくまる訳にはいかない。

見ると蟻は勢いのまま壁にぶち当たり、もがいていた。

今が好機だ。


蟻の後ろに回り、先ほどと同じ左脚の関節に剣を突き立てた。

鈍く貫通する感覚が手に伝わり、蟻の左の関節から下が砂のように崩れていった。


均衡を崩して倒れ込む蟻を見ながら、ニコルは荒い呼吸を繰り返していた。




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