ブランシュ


この王国は昔から本をとても大切にしてきた。街には三つの図書館があり、あらゆる本を収集、貸出している。第一図書館の片隅に、ソフィアという女の子が寄贈した一冊の本があった。その本の名前は『ブランシュ』。何人かの人生が書かれている。伝記のようだが、図書館の方ではハッキリと分類されていないらしい。本が大好きでしょうがないソフィアと、「ブランシュ」が紡いだ、世界に一冊だけの本である。




トゥール・マレット


ある男性の話だ。僕が初めて記録した記憶の持ち主。僕が見た時にトゥールは既に死んでいた。彼は騎士だった。王国に代々仕えるマレット家の騎士。腕に大きな傷がある。この傷は、数十年前にあった戦いでできたものである。トゥールの名誉だった。僕とは全く違う逞しくて勇気のあるトゥールは数々の戦いに出向き、多くの敵を切り伏せ、いくつもの戦いに勝った。どの戦いでもトゥールは前線に出ながら、他の騎士を鼓舞し、勝利へ導いた。「不敗の声」。いつしかトゥールはそう呼ばれるようになっていた。

トゥールには悩みがあった。「命を奪う」という事についての罪悪感だ。彼は数々の勝ち戦を経験したが、その分自分の手が命を奪い、そのために負け、死んだ者もいる、という事であった。僕はトゥールの事を知った時、彼の誇り高い名誉に隠された辛い気持ちを見た。今まで、誰にも見せずに、墓場まで持って行った、不敗と謳われた騎士の弱さ。苦かった。すごく、すごく、苦い。トゥールはどれだけ辛かったのだろう、僕はそう考える事しかできなかった。

でも僕は、彼…トゥール・マレットの気高さを、




からす


そこら辺にいる、真っ黒な鳥の話だ。僕が憧れていたのは大空を自由にとびまわる、からす。もちろん別の鳥も美しい。でも、体中真っ白な僕には、真っ黒なからすはとてもかっこよく見えた。それに、空を飛べるなら、どこへだって自分の望む場所に行ける。僕は自由じゃなかった。だから憧れていた。

けれども、出会ったからすは飛べないからす。ぴょこぴょこと細い脚で跳び回るからすだった。全くかっこよくなかった。おいぼれの、いつ死んでもおかしくないような姿。そのからすも空をもう一度飛びたいそうだ。昔は飛んでいたのだ。大空に翼を伸び伸びと広げ、色々な景色を見たと言う。広い海、高い建物、どこまでも続いて行きそうな砂漠……。からすはどこか遠くを見つめてそう言った。何日間か、からすは僕に自分の思い出を語って聞かせてくれた。どの話もすごくおもしろかった。夢があって、世界が知れて、僕は毎日楽しみにからすに会いに行った。

ある日からすは動かなくなっていた。僕の大好きな、大切な友達は空へ帰って行った、大空にもう一度羽をはばたかせられたのだ。けれどもう二度と会えないのは悲しい。もっと話を聞きたかった。

僕は悲しいから、からすのことを忘れないように、




ソフィア・アネベルディ


ソフィアは僕が初めて出会った人間。綺麗な銀色の髪に僕の大好きな金色の眼。すごく本が大好きな女の子だ。僕を図書館から連れ出して、ソフィアはたくさんのことを教えてくれた。ソフィアの両親のこと、この王国の歴史、どこか遠い国のこと、他にもたくさん…。僕とソフィアは毎日色々なところへ出かけて、色々な本を読んだんだ。

そんなすごく仲良しだったソフィアに、僕は悪いことをしちゃった。僕の最後のわがままで、僕はソフィアの記憶を、




ブランシュ


僕のことについても書いておこうと思う。僕はこの本を書いた。そう、つまり作者だ。

なんの関係もない人々の話がこの本には綴られている。気まぐれのように書いてあるんだ。

何故なら、僕がその人たちの記憶を選んで食べたから。

僕は初め、真っ白な本だったんだ。題名も、本文も、作者も、何も書かれていない真っ白な本。気持ち程度に見えないくらい細かい金の細工がされている本だった。第一図書館の本棚に紛れていたら彼女が僕を手に取った。そう、ソフィアだ。本が大好きなソフィアは僕を読み解こうとした。色々な場所にソフィアと出掛けて読んでもらった。彼女の話を聞かせてもらった。僕はすごく楽しくて、幸せだった。

ある日ソフィアは泣いていた。訪れたある教会で彼女は泣いていのだ。僕はいてもたってもいられなくなって、気づいたら声をかけていた。驚くことに、僕は人になっていたんだ。信じられないだろうけれど、僕は人間と同じように声を発し、歩き、手を使えるようになっていた。どうして人間の形になったのかはわからないけれど、あの日の事は今でも覚えている。泣いていたソフィアに本当のことを話した。そしたら彼女は驚いて気を失ってしまった。でも次の日、ソフィアは僕に会いに来てくれた。今まで通りに接してくれたんだ。ソフィアは好奇心がすごく強い子だった。

そしてすぐに、僕は死んでしまった人の記憶を食べられることが分かった。驚いたし、怖かった。記憶を食べると、全身真っ白だった僕は色付いていった。初めて食べたのはトゥール。彼の記憶を食べたら、それまで不健康そうな真っ白な肌が温かな肌色になったんだ。この話をソフィアにももちろんした。恐怖より興味が強いんだよ、ソフィアはね。僕の事を全く恐れずに今まで通り仲良くしてくれたんだ。

そうして僕は教会の墓地にある様々な十字架から、そこに埋まっている人の記憶を食べた。僕の体にはすっかり色が戻ったんだ。真っ白だった肌は健康な肌色に、真っ白だった髪はやわらかな青に、それでところどころ緑が少しだけ混じっている。唇は優しいピンク色。服も僕に似合うような色のついた服になった。でも、どうしても僕の瞳は真っ白なままだった。

その事について悩んでいると、ソフィアは私の記憶を食べてみたら?と言った。僕の心臓は凍りつきそうなくらいヒヤッとした。ソフィアの記憶を食べたら僕の事を忘れてしまうじゃないか。でもソフィアは譲らなかった。だから、最後に僕はわがままを言ったんだ。

「あの木陰で一緒に昼寝しよう。」

あの日みたいに…ソフィアが僕を木陰で読んでいた時みたいに。


その間に、ソフィアが寝ている間に、僕はソフィアの記憶を、食べた。


僕はもう二度とソフィアと話す事はできなくなった。そう、僕は本に戻ったんだ。すやすやと眠るソフィアのすぐ側に僕は落ちていた。

本に戻る前、ソフィアの記憶を食べた後、僕の真っ白な眼はソフィアと同じ金色になった。そして僕は最後の力で僕自身の記憶を食べたんだ。この本の、『ブランシュ』というこの本の、ソフィアの隣に僕がいられるように。




「司書のおじさま、この本、とても面白かったわ。やっぱり、読み直してよかった。」

「そうですか、それはようございました。」

「また明日、きっと来るわね。」

そう言い残して女性は帰って行った。残されたのは、返却された本を手に持った司書。図書館の静けさに彼の小さな声は消えていく。

「あなた様も、随分と大きくなりましたね、ソフィア嬢……。」

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