今日はクラウンが泣いた日
「さぁ、皆々様に笑顔を届けよう!この日だけの特別な魔法をかけよう。」
鳩が飛び、トランプが舞い、色とりどりの花が散る。突如聴こえてきた声と、始まったパフォーマンスに人々は駆け寄る。今日は年に一度のビゼンデル国のお祭りの日。予告されていない道化師のステージが始まった。道化師の周りにはすぐに沢山の人が集まった。散った花びらを退かすような強い風が吹く。道化師の長い髪が閃いて顔がパッと笑顔になる。それにつられて円形のステージを囲む人々も、花が咲くように笑顔になった。
「そこのお坊ちゃま、ほらこのステッキを持って、少しだけ振るんだよ、三、二、一……!」
男の子がステッキを振ると、ステッキの先からは星くずの様な粉がキラキラと舞う。それを見た周りの子供達は目を輝かせる。
「お次はマダム、ああ失礼! マドモワゼル! このハンカチを持って…?」
女性がハンカチを持つと道化師はそれを強く引く。薄い生地のハンカチは千切れるかと思われたが、万国旗の様に繋がって伸び、道化師が手を話すと色とりどり小鳥になって飛び立った。
「さぁ笑って!楽しんで!貴方方の笑顔が、美しい花々がワタシの笑顔に繋がるのです。」
道化師は次々と芸を披露した。難しそうな技が決まる度にわぁっと歓声が上がり、拍手が空間を満たす。道化師を見る人々は皆笑顔だった。魔法のような時間はあっという間に過ぎて、道化師が締めの言葉を言う。
「本日はありがとうございました。ワタシの芸で皆々様が笑顔になる事、それが何よりの幸せでワタシの生きがいです。ああお金なんていりません、投げないで。貴方の笑顔だけで十二分。これからもお祭りは続きます、そちらを心から楽しんで。また来年、もし願いが叶うならお会いしましょう。」
大人しく止まっていた白い鳩が、色とりどりの小鳥が一斉に飛び立った!これは毎年同じ、この幻想のような時間に終わりを告げる合図。人々は幸せそうな顔をしながら出店や、お城へと歩き出す。
道化師と一人の少女だけがその場所に残った。
「キミはお祭りを廻らないのかい?」
道化師は笑顔の無い少女に尋ねた。
「お祭りは嫌い、か…ふぅん、そうか。ワタシの芸を見ていたのに笑わなかったのかい?」
少女はじっと道化師を見つめた。長い髪の綺麗な顔の道化師。男なのか女なのかよく分からない。白く塗った顔には笑顔が貼り付けられている。
「だんまり…かぁ、困ったな、ワタシの使命は人々みんなを笑顔にする事。それなのにキミは笑わない。ちっとも楽しそうじゃない。どうしたらいいのだろう?」
道化師が聞いても少女は黙ったままだった。道化師は思いついたように指を鳴らすと少女に目線を合わせて言う。
「そうだ! ワタシが、キミを笑顔にする素敵な旅へ連れて行ってあげよう!」
パッと道化師は笑う。少女は眩しいものを見るように、そして怪訝そうに目を細めた。返事を待たずに道化師は続ける。
「さぁ行こうか、後悔なんてさせないさ。」
少女の手を取り道化師は走り出す。道化師の髪が、少女の髪が、風に閃く。街にはパレードの楽器の音が聞こえ始めた。ビゼンデルのお祭りはまだまだ続く。
広場を抜けて、街を抜けて、たどり着いたのはビゼンデルの近くにある森だった。奥に入っていくと行き止まりに一軒の家がポツンと建っている。花壇には季節の花が植わっていて、その身を風に揺らしていり。庭の隅には小さな池もある。池には蓮の花が浮かんでいた。道化師の家は小さな洋館だった。豪華ではないものの、小綺麗で、おとぎ話に出てくる家のような装飾がされている。
「さぁお上がり。まずはお茶にしようか。」
少女を家に上げると道化師は上機嫌にお茶の用意を始めた。少女はぼーっと部屋を眺めていた。至って普通の部屋だ。本棚とテーブル。天井からは少しだけ豪華な装飾の明かりが部屋を照らしている。少し不思議なのは、その明かりからちらちらと何かが舞い散っては消えていっているようだ。星くずのような、なにか……。少女は手を伸ばして触れようとするがその粉は消えてしまう。
「気になるのかい?」
見たこともない位綺麗なティーカップを置きながら道化師は尋ねた。少女は頷く。するとそれを見た道化師は嬉しそうに近くの棚に置いてあった瓶を持ってきた。瓶の中には様々な色に輝く小さな星がたくさん入っている。
「この星くずは魔法の森の木から落ちたものなんだ。こうして集めて、明かりに使うロウソクに練り込むと火をつけた時にこうして小さな星くずが舞うんだよ。綺麗だろう?」
少女はじっと瓶を眺めていた。黙ってはいるが興味を示しているようだ。道化師は静かに少女の向かいに座りお茶を飲む。そして思い出したように指を鳴らすと星くずの入っている瓶を少女の手からひょいと取り、蓋を開ける。ティーカップのそばに置いていたスプーンで、少しだけ星くずを掬いお茶の中にさらさらと入れた。
「びっくりしたかい?この星くず、実は食べられるんだ。あんまりたくさん入れるのは良くないのだけれど……ほら、見てごらん。」
ティーカップの中に星空が広がっている。お茶には到底見えない濃い青に染まった液体に小さな星が浮かんで煌めいているのだ。
「…こう見えても美味しいんだよ?」
道化師はティーカップを少女に手渡す。少女は静かにそれを口に運んだ。少女は驚いたように目を見開く。
「ふふ、甘いだろう?お砂糖みたいなんだよねぇ…。でも甘いだけじゃなくてフルーツみたいな酸っぱさを感じる時もあるのさ。」
道化師には少女の顔が少しだけ明るくなったように見えた。二人だけのお茶会は柔らかい空気のまま進むのであった。
「さて、そろそろ出掛けようか。」
少女の持ったティーカップが空になると道化師は待っていたように立ち上がる。きょとんと見つめる少女。それを見て道化師はまた笑った。
「まだ始まったばかりだよ?キミを笑顔にするための素敵な旅は。」
少女の手を取り、道化師は玄関とは逆の方向へ歩く。ドアを開けて短い廊下を真っ直ぐに進む。突き当たりの古臭い木のドアの前で道化師は止まる。少女のほうに振り向くと目線を合わせるためにしゃがんだ。
「いいかい。ここから先は不思議の森だ。普段生活しているだけでは到底出会うことのできない不思議な体験にキミは今から出会う事だろう。それは美しいだけだはなく、時に恐怖であるかもしれない。たとえそうであっても一つの非日常としてキミの目に映してくれ。この体験はいつかきっとキミを笑顔に導くはずだ。」
そう言ってから道化師は少しだけ少女の顔を見つめる。その顔は真剣で、どこか悲しそうで、今までのお気楽な道化師とは別人のように少女は感じた。束の間、道化師はいつものようにぱっと笑う。本当の自分を隠すように、笑う。
「それでは、行こう。」
古臭いドアが音を立てて開く。ドアのフレームに四角く切り取られた世界が映る。そこはもう別世界だった。まるでおとぎ話の世界だ。空は夕焼けのようなオレンジ色。背の高い木々が空を隠すように枝を広げている。木の色は、葉の色は、普通の森を連想するような緑はほとんどない。夜空のような暗い青、毒沼のような紫、南国の海のような淡い緑……。溢れんばかりの色が枝についている。オレンジ色の空をキャンバスに見立てて、まるで絵画のように空間を彩っていた。非日常が少女の瞳に映る。見上げていた夕焼けのような空を、翼の生えた四本脚の動物が横切り影を映す。静かな森に、時々どこからか轟音が聴こえてくる。道化師は少女を眺めていた。少女は道化師を見上げる。すると道化師は笑った。そして森に踏み出す。軽いステップを踏んで道化師がくるくると回る。止まって指を鳴らせば道化師の手のひらにはたくさんの花びら。それを空に向かってぶわっと投げるともう一度指を鳴らし、そして手をたたく。キラキラと輝く風が吹き、木々から鳥が飛び立った。道化師と少女の周りを色とりどりの小鳥たちが飛び回る。さえずりは音楽だった。少女にも聞いたことのある有名なクラックのワンフレーズから始まり、情熱的なメロディ、不思議な旋律、眠たくなるような楽器の音など様々な音色を次々に歌っている。道化師はメロディを口ずさみながら少女の手を取る。そして森の奥へと歩き出した。不思議な森はどこか不気味にも感じる色合いなのに、興味を引くのだ。時折輝く風が強く吹くと、木々は怪しくざわめいた。押し寄せる不気味さを払うように小鳥たちはくちばしを開き音楽を奏でた。
「さあ、どうだい? ここが不思議の森さ!」
道化師の上機嫌な声が響く。
「キミにはどう見えているのだろう? 美しく、楽しい森だと、そんな風に映っているといいのだけれど……いや、きっとそう映っているはずだ。」
いつしか小鳥たちの音楽は止み、静かになった森には道化師の口ずさむ歌だけが残っていた。少女が道化師に声をかけようとしたその時、轟音が響いた。道化師歌うのを止め、二人は立ち止まる。強風が吹き木々がざわめいた。ずしん、ずしんと地面が揺れる。何かが近づいてきた。道化師は後ろ手に少女を隠す。道化師の後ろから顔を少しだけ出し、少女は「何か」を見た。二人に対峙する「何か」は、怪物、化物というような生き物。四本の脚とキリンのような長い首。虫の羽のような小さな羽が背中から生えている。体は黒く、首から上は白い。ずいっと近づいてきた頭には口だけしかなかった。くわっと口を開き、鳴く。先ほどの轟音が二人の目の前で響く。
「ふむ、どうやら森の番人を怒らせてしまったようだね。」
見定めるように、生き物の頭が二人をじっと見ている。目はないのだが、どこか見られているような感じがするのだ。
「大丈夫、何かあったら私がどうにかしよう。きっとどうにかなるはずだ。」
空気が張り詰めている。二人は蛇に睨まれた蛙のようにじっと、生き物の品定めを受けていた。一歩、生き物はこちらに近づいた。道化師からは視線を外し、少女の方をじっと見つめている。何を思ったのだろうか、少女は手を伸ばした。道化師が止める間もなく、生き物の頭に少女の手が触れる。そのまま生き物の頭を撫でた。生き物は静かにしている。少しして少女が手を離すと、生き物は大きな口を笑うように三日月の形に曲げ、鳴いた。その声は轟音ではなく、包み込むような温かい低音だった。ホルンやユーフォニアムのような深い深い音。少女は生き物をじっと見返していた。生き物は満足したのか、小さな羽をはばたかせて、羽の大きさに不釣り合いな体をふわりと浮かせると、飛び去って行った。
「これはこれは! キミも私と同じ魔法使いであるのかなぁ! いやぁびっくりしたね。すごいな、キミは。あの怒っている番人に臆せず手を伸ばすなんて! うん、素晴らしいね。勇気の魔法かなぁ。」
ぽんぽんと、道化師は少女の頭を撫でた。少女があの生き物にしたように、優しく、そして少女を認めるように撫でた。少女の心に、少しだけ何か温かいものが触れた気がした。
その先に歩いていくと開けたところに出た。空はすっかり暗くなり、星が瞬いている。オーロラのような光のベールが漂い、夕焼けの時とは違う絵画を描いていた。しかし暗闇は無い。足元ははっきりと見え、視界には困らないのだ。ホタルのような小さな光が飛び回っている。道の両側には小さくて透明感のあるきのこが輝く胞子をふわふわと振りまいている。中心に枝垂れた枝の木が生えている。それぞれの枝が星のようにきらめき、地面にはその枝から落ちたのであろう同じようにきらめく粉が敷き詰められていた。風が吹くと舞い上がってキラキラと輝く。
「あの瓶に入っていたのはこの粉さ。」
道化師は言う。
「ねぇ、美しいだろう? この景色……ワタシのお気に入りなんだ。なぜだか上手くいかない日はふらっとここへ来て、この景色をぼーっと眺めるのさ。そうするとワタシの中のもやもやした気持ちが、この輝く星くずとともに風がさらっていってくれるんだ。」
掌に掬っていた粉を、道化師はふうっと吹き飛ばす。きらきらと星くずは舞い、きえていった。道化師は少女の手を引き近くの切り株に腰掛ける。
「ワタシも、キミと同じなんだ。」
そう、道化師は話し始めた。
「ワタシの幼い頃、ワタシの住んでいた村は火事に見舞われた。何もかもが焼けて灰になった。父も、母も、隣人のアイツも、全て焼けた。幸か不幸かワタシは火事から逃れられたんだよ。その時近くの森で一人、遊んでいたからね。何も知らないまま、幼いワタシは暗くなって村に帰ると残った火と、瓦礫しかなくてね、ワタシはどうしたらいいかわからなかったさ。何も、無いんだよ。」
今までとは別人のような悲しい道化師の声を少女はじっと道化師を見つめ聞いていた。うつむいている道化師の顔は少女には見えない。
「ワタシは村であった場所で一人泣いていた。しばらくすると、隣町の住人が騒ぎを聞きつけてやってきた。その中の一人の老人にワタシは拾われたんだ。
「老人は手品師だった。いつも暗い顔をしていたワタシに様々な手品を見せた。見せては面白いだろう?と聞いた。ワタシはいつも決まって『そうですね』と冷たく返事をしていた。そして老人は少しだけ悲しそうな顔をしてワタシを見る。それでも老人は毎日毎日、暇さえあればワタシに手品を見せ続けた。そしてある日、老人はワタシに手品を教えてくれた。すぐにワタシはコツを掴んで出来るようになった。老人が時々開催する近所の子供たちを集めてのマジックショーで、一緒に手品を披露したんだ。そこで、ワタシは人を笑顔にさせることを知った。子供たちはワタシが帽子の中から鳩を出したり、指を鳴らして花を咲かせると手をたたいて喜び、溢れんばかりの笑顔を見せたんだ。
「その時からワタシは、老人に手品を習いながら、教わった手品を披露して、時には自分で新たなものを考えて。そんな風にして人々に笑顔の魔法をかけているよ。老人は私に手品という魔法をくれた。ワタシは自分の悲しさに蓋をして、ワタシは人に笑顔を届け始めた。それでいつの間にかワタシ自身も楽しんでいた。悲しみに蓋をしたことを忘れるくらいに楽しんで、笑って、そして人々に魔法をかけて生きてきた。」
道化師は顔を上げて、少女を見つめる。
「代わりに涙はどこかに置いて来てしまったみたいなんだ。辛いことがあっても、怖いことがあってもワタシは笑うよ。人に笑顔を分けるために、時には偽物の笑みを張り付けてでも、ね。」
どこか悲しそうに道化師は笑い、言った。
「だからキミが笑わないことが何故だかわからなくて、辛いのだけれど、ワタシが笑っていればいつかキミは笑うんじゃないかって、この景色を見せれば笑うんじゃないかって…思っていたんだけどなぁ……久しぶりに失敗してしまったね。……どうしたんだい?」
少女は立ち上がった。やわらかい風が吹き、地面の星くずが舞い上がる。
「道化師さんも、私とおんなじなのね。あのね、今日は今までにないくらいとても楽しかったの。きれいな景色も見たし、ちょっと怖かったけれどお友達もできたわ。あの子、嬉しそうにしてた。道化師さんの笑顔もとってもすてきだったわ。」
少女が道化師に振り返る。最初にあった時とは違う、楽しそうな少し高い声。
「魔法って、本当にあるのね。本の中だけだと思っていたわ。道化師さんの手品も、案内してくれた不思議の森も、すごく素敵だった。ありがとう、道化師さん。」
そういいながら、少女は笑った。冬の間、春を待ち続けていた花が咲くようにふわりと笑った。道化師が何よりも望んでいた、少女の笑顔は幻想的な木と輝く星くずとともに道化師の目に映る。
「あぁ……! 笑ってくれたんだね、キミを楽しませることがワタシにはできていたのだね…! うれしいよ……ありがとう。」
「どうして道化師さんがお礼を言うの? 変なの。」
「はははそうだな…うん、可笑しいね。でも、ワタシは道化師だから…、クラウンだからおどけて当然さ。」
道化師は笑って言った。つられて少女も笑う。道化師の頬を一筋の涙が伝う。
今日はクラウンが泣いた日、そして少女が笑った日。
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