短編詰め

呼京

紙飛行機は宇宙(ソラ)を飛ぶ


 この星の、この空の先には一体何があるのだろう。宇宙にはきっと別の星がある。見たことのないその星には自分とは違う生き物がいるのだろうか。あるいは自分と同じような生き物がいるのだろうか。もしかすると荒れ果てた大地だけがただひたすらに続いているだけかもしれない。どれが真相かはわからない。けれど何かしらの反応を求めて、空に流れる星に祈りを込める。いくら手を伸ばしても届かないその星は、虚しくも数秒で空の闇に溶けていった。




「ねえ、この星以外に私たちみたいな生命体っているのかな。」

 また始まった。エトワールの妄想話。俺は気怠そうに口を開き答える。

「知らん。」

「もう、どうしてそんなに興味が無いの。」

「俺には関係のない話だからだ。」

 いつも通りに俺はエトワールのことを突き放す。エトワールも俺のこの対応は毎日のことであるから、慣れたように一人妄想を始めた。エトワール・バーネット。とにかく夢見がちな少女だ。宇宙が大好きなエトワールは、暇さえあれば空を見上げている。青空でも、夕焼けでも、星空でも、選好みしないでいつでも眺めている。その中でも特に夜空が好きで、流星群の予告があれば必ず街のはずれの丘にまで一人出かけて行き、時間が終わるまでずっと眺めているのだった。空想や妄想も同じように好きで、最近のブームは宇宙に存在しているであろう自分たち人間以外の生命体についてあれこれ考えること。俺はそんなエトワールの友人の一人、シン・ハルフォーフ。エトワールの考えを基本的に否定している。俺は根っからの堅物で、自分の興味ないものに関してはとことん興味が無い。一方で興味を持ったものに関してはどこまでも追いかけ続ける。昔から言語について学ぶことが好きで、現在の研究分野もまだ見ぬ言語についてである。エトワールの言う通り宇宙に別の生命体がいるのなら、そいつらの使う言語について知りたいと俺は考えるが、言語機能を持つ生命体などなかなかいないだろう。仮に存在したとしても俺には関係ない話だ。俺が興味を持っているのは言語そのものだけだ。

「今日はふたご座の流星群だよ、シン。」

「相変わらず情報が早いな。」

「例年より多く流れ星が見られるんだって。見なきゃ損よ。」

「興味が無い。」

「またそれ。」

「俺のこの後の予定は、家に帰ってから本を読んで寝るだけだ。」

「つまらないの。」

「俺はつまらないと思っていないからそれでいい。」

「よし、できた。」

「……さっきから何か作っていると思っていたが、また意味もないものを作っていたのか。」

「意味はあるよ。これを今日飛ばすの。」

「飛ばす?この紙飛行機をか。」

「そう、流星群の日に紙飛行機に私のことを書いて飛ばしたら、宇宙の誰かが拾ってくれるかもしれないでしょ。」

「またくだらないことを」

「くだらなくない。絶対に生き物はいるもの。」

「翌朝近くの公園にでも落ちているだろうな。見られて恥ずかしくない内容にしておけよ。だいたい、そんな弱弱しい紙飛行機が大気圏を越えられるわけがないだろう。まず大気圏まで高く上がることは無い。仮に何らかの力で大気圏まで上がっていったとしても、すぐに燃え尽きて灰になって終わりだ。」

「……」

 一息に俺が言い切ると、エトワールは黙り込んだ。いつものことをまたやってしまった。加減がわからずに言いすぎてしまうのは悪い癖だ。自覚はしているが、早々に直るものではない。仕方ないので手元にある本に目線を戻し続きから読み始める。流星群に紙飛行機を飛ばす。そんな都市伝説でもあってエトワールはそれを見かけたのだろうか。それともいつもの妄想だろうか。どちらにせよ、エトワールの言った言葉が頭の中でぐるぐると回り続けて本の内容はほとんど入ってこなかった。


「ただいま。」

 誰もいない部屋の中に小さくつぶやいた俺の声が響く。明かりをつけて、机の上のパソコンを起動する。インターネットは開けば昼間エトワールが言っていた流星群についての記事が目に入った。今日の夜中過ぎがピークのようだ。記事にざっと目を通してから検索エンジンを立ち上げずっと気になっていた言葉で検索をかける。すぐに検索は終わる。ヒット数は無し。やはりデタラメか、エトワールの妄想か、どちらかであるようだ。まぁそんなもんだよなと思いつつ、読みかけの本をカバンから取り出して読み始める。しばらくすると、閉め切ったままのカーテンがぶわりと風を受けて膨らんだ。朝開けた窓を閉め忘れていたのだろうか、我ながら不用心すぎて不安になる。幸い二階に住んでいるので空き巣の心配は玄関の鍵を閉めている限りは無いのだが……。本にしおりを挟んで、窓を閉めるためにカーテンを開ける。案の定窓は半分ほど開いていた。夜風が静かに入ってきて、俺の頬を冷たくなでる。月がくっきりと浮かぶ星空をふと見上げると一筋の光が流れた。流れ星だ。願い事を三回続けて言うなんて子供じみた真似はしないが、久しぶりに見た流星は美しくて思わず息を飲んだ。すると続けて二つ、三つと流星が流れる。壁掛け時計に目をやると先ほど見た天気予報サイトに載っていたピークの時間間近だった。

「流星群の日に紙飛行機に私のことを書いて飛ばしたら、宇宙の誰かが拾ってくれるかもしれないでしょ。」

 昼間、エトワールが言っていた言葉が頭の中で再生された。宇宙生命体の言語。それを知ることができたら。興味に駆られた俺は急いで机の上にある真っ白な紙と手近にあったペンを取る。

『私はあなたとは違う星の人間です。あなたはどこにいますか。』

 走り書きして、紙飛行機を折る。端と端を几帳面に合わせて、しばらく切り忘れて長めに伸びた爪でしっかりと折り目をつける。紙飛行機なんて作ったのは何年前が最後だったか。適当に折り方を思い出して、それらしくなるように折った。すごく長く飛び続けるような格好の良い形ではないが、しっかりと几帳面に折られた紙飛行機は不器用な俺にしては上出来だ。くだらない妄想で構わないからやってみようと思った。気まぐれだ。エトワールが流れ星に俺が自分の話に興味を持つように、とでも願ったのだろうか。そんなことを頭の端で考えながら半開きであった窓を勢いよく全開にする。夜風が吹き込んで、俺の髪をくしゃくしゃにする。風が止むのを待って空を見上げると、いくつもの流星が雨のように流れていた。

「すげえ……」

 思ったことが口に出る。誰にも聞かれない独り言は夜風が消し去った。手紙を書いているうちにピークの時間になっていたようだ。絶え間なく流星は流れている。なんとなく目を閉じて、なんとなく大きく息を吸い込む。ゆっくり目を開けて、右手に持っていた紙飛行機をスッと星の流れが速い夜空へと飛ばした。もしこの紙飛行機がどこかの誰かに届いたのなら、いつか返事が来るかもしれない。俺の見たことのない言語でそれはきっと書かれているのだろう。飛ばした紙飛行機はうまく風に乗ったのか、勢いを失うことなく高く高く上がっていく。柄にもなくその形が見えなくなるまで俺は眺めていた。空には無数の流星が川のように流れている。




 今日は流星群だった。星空は宇宙をさまようゴミが燃えながら走っていく姿を映し出していた。この空の向こうの誰かも、この光景を見ているのだろうか。夜空の川を流れる流星に向けて伸ばした手は相変わらず何も掴めない。でもその先に何か別のものが見える。




「ねぇシンー。聞いてよ。」

「なんだまたくだらない話か。」

「まだ何も話し始めてないじゃない。」

「お前の話は聞くだけ無駄だろう。」

「そんなことないよ、今日は笑い話。まだ話してなかったよね。この前話した流星群の日にね、紙飛行機飛ばしてみたの。でもねその次の日には家の近くの公園にぐしゃぐしゃになって落ちてたんだよね。やっぱり無理でしたーって報告。」

「……やっぱりくだらないじゃないか。」

「いいじゃんべつに、くだらない話でも。別の友達に話したらめちゃくちゃに笑ってくれたんだよ。」

「そうか、よかったな。」

 そういえばあの日飛ばした紙飛行機はどこに行ったのだろうか。あんなことを言っている以上エトワールにだけは見られたくはない。幸い家は遠いから大丈夫だとは思うが。自宅近くの道にも落ちていなかったし、あの流星群の日からはもう一週間が経とうしている。きっとどこかのゴミ捨て場に落ちて他のゴミと一緒に収集されて燃やされて灰になっているのだろう。あるいは路地裏の片隅になんて埃と一緒にたまっていたりしてな。

「……まさかな。」

「なに?どうしたの?」

「いや、お前には関係がない。」

「またそれ。」


 いつもと変わらない一日を過ごして帰宅した。今日はいつもより早く帰ってこられたのでまだ夕焼けが見える。ベランダに干してあった洗濯物を取り込もうと窓を開けるとどこか見覚えのあるものが落ちていた。ぐしゃぐしゃの紙飛行機だ。あの日飛ばしたものが今更風に乗って帰ってきたのだろうか。それともどこかの子供が頑張って作って飛ばしたものが運悪くこの部屋のベランダに落ちたのか。手に取ってみると自分が飛ばしたものより紙の色が明らかに緑かかっており、あの日空に向けて飛ばしたものではないとわかる。よくわからない期待をした俺が馬鹿だった。柄でもないのにこんなくだらない期待をしてしまったのは何故だろうか。やはりエトワールのせいだな。アイツ以外に考えられない。放っておくのはなんとなく気が引けたので机の上に置いておく。洗濯物を取り込んで、たたむ。さして代わり映えのない毎日の生活と同じことをして、時間が余ったので机に向かい本を広げた。続きから読み始めようとして、視界の端に先ほどの紙飛行機が映る。何とも言えない不思議な緑色。遠目から見れば明らかに白く見える。しかし手にもって目に近づけて見ると淡い緑色だ。縁日で売られているわたあめよりももっと薄い緑。やわらかく目に優しそうなその色が俺の目を引き付けて離さない。何か不思議な力があるような気がしてくる。……こんなことを考えてしまうのはエトワールの日々の妄想を聞かされすぎたせいだ、きっとそうだ。お世辞にもうまいとは言えない形の紙飛行機をせめてましな形に折りなおそうと開いていく。ざらついた紙の手触りが心地よい。きっといい紙なのだろう。和紙のようにしっかりとしていて、繊維が混じっていて、先ほどベランダで見た時には気づかなかったが星のように金色の模様が入っている……

「なんだ、これ……」

 あれこれ考えながら開いた紙飛行機には見たことのないものが書かれていた。これは一体何なのだろうか。記号のように見えるが俺の知っている記号にこれに似たようなものはない。複雑な計算式にはよくわからない記号が出てきたりもするが、ここに書いてあるものは本の中でも見たことは無い。そう考えると記号ではないのか。そう考えると象形文字のようにも見えてきた。もしかするとこれは人間のまだ知らない、他の星の生命体の言語だったりするのだろうか。だとしたら、世紀の大発見じゃないか。でも読み解くことができない限りこれはただの形でしかない。意味を読み取れないのなら文字に意味はない。どうにかして読み解けないものだろうか。三十分程考えを巡らせて、あることを思いついた俺はエトワールに電話をかける。




 見た目はちゃちなのに実際に生成しようとすると難しいな。人間はこんなものを娯楽のために作るのか。データベースの隅々まで調べてやっと作り方を見つけた。これは「カミヒコウキ」というものらしい。「オリガミ」という行為で生成されるもので、空間に向けて投げると空気の流れを受けて一定時間滞空するものだそうだ。人間の幼体は「オリガミ」という行為でこの「カミヒコウキ」や他にもいろいろなものを作って楽しむ、そうだ。面白い。先日空から落ちてきた「カミヒコウキ」というモノに、人間からのメッセージが書かれていた。ずっと夢見ていたこの星以外の生命体。「人間」という存在についてはデータベースにたくさん情報がありずっと気になっていた存在だった。いつも夜空に手を伸ばしてはそんな存在のことを考えて、虚しくも何も掴めずに落ち込んでいたが……転機はあるものだ。人間については他のやつらも大きな興味を持っているようだが、「カミヒコウキ」を通してメッセージを受信するなんて、だれが考えただろうか。この大きな秘密を抱えて、偶然のコンタクトを確かなものにしようと同じように紙にメッセージを書いて「オリガミ」をして「カミヒコウキ」を生成しようと試みた。まず紙を入手することが難関だった。紙に文字を書くなんて行為はずっと前に姿を消した気がする。データベースに残されていた「オリガミ」という行為も、行ったことがなかったので時間がかかってしまった。不慣れなために不格好になってしまったが、まぁ、大丈夫であろう。テクノロジーは進化した。届けたい場所に必ず到着する。いつも眺めている夜空に同じように手を伸ばして、「カミヒコウキ」を飛ばした。いつもとは違う確かな手掛かりを感じて、「カミヒコウキ」を離したままの手をそのまま夜空にかざす。また一筋、流星が闇に溶けた。




「……届いた。」

 そんなまさか、とは思うがまた同じようにベランダに紙飛行機が落ちている。はやる気持ちを抑えながら丁寧に手に取り開いていく。初めてベランダに紙飛行機が落ちていたその日、エトワールに電話をして次の流星群の日を聞いた。急に電話をかけるとエトワールは驚きつつ、やっと興味を持ってくれたのねとはしゃぎながら次の流星群を教えてくれた。運よくまた一週間後に大きな流星群があるそうで、俺は柄にもなく楽しみに待った。読めないのであれば辞書のようなものを要求すればいい。俺が思いついた手段はそれだけだった。でもこれならいけると確信をもって二通目の紙飛行機を折った

『返事をありがとう。でも俺には読めなかった。辞書のような対応表をくれないか。俺は君と話がしたい。』

 そう綴った紙飛行機を半信半疑のまま流星群の日、ピークの時間に空へと飛ばした。同じように空高くに舞い上がり落ちるようなそぶりは全く見せずに見えなくなった。きっと届く。そんなよくわからない自信が俺の中には確かにあった。

 その確信は見事に実を結び、今日またベランダに紙飛行機が届いていたのだ。開いてみると、見慣れたアルファベットが並んでいる。俺の要望した対応表が送られてきた。本文も記号ではなく英語でつづられている。慣れていないような筆跡で書いてありわざわざ俺のために翻訳して書いてくれたということが伝わる。あまり上手くないアルファベットをたどって読むとこんなことが書かれていた。

『下記に対応させてアルファベットというものを書いた。私は人間の文字を読めたが人間は私の文字を読めないのか。理解した。これからはなるべくそちらの言語に合わせよう。私はCliutee。人間、あなたの名前は何だ。』

 随分と気遣いのできる存在のようだ。そして同時にとても好意的に感じる。要望をかなえてくれるのもそうだが、俺の折った紙飛行機に合わせてぐちゃぐちゃになりながらも同じ形で返事を返してくるあたり、敵意は見て取れない。あちらが俺の書いた文字を読めて俺が読めないということは、あちらの文明レベルが人間を越えているということだろう。それか、果てしない過去の歴史の中で失われた言語を使用しているもの好きであるのか……。興味は絶えずわいてきた。「Cliutee」というのは種族名だろうか、それとも俺の紙飛行機を受け取り返事を書いてくれている個人の名前なのか。名前の読みも解らない。アルファベットで書かれてはいるが英語の単語ではないようだ。仕方がないので頭文字を取って勝手にシーさんと呼ぶことにしよう。実際に会って話すことができればいいのだが、宇宙を越えた文通にはそんな気軽なことは言えない。前回届いた紙飛行機を引き出しから取り出して、対応表にそって訳してみた。内容はこうだった。

『私はヴェルという星のCliutee。人間とのコンタクトができてうれしい。』

 ヴェル星に住むCliutee。人間に対して敵対心は見えない。むしろ好意的。ということが一通目からも読み取れた。どんな姿なのか考えながら新しい紙を出して返事を書く。次の流星群の日は既にエトワールに聞き出してある。三週間後だ。

『俺はシン。対応表をわざわざ書いてくれてありがとう。あなたの名前の読み方がわからないから、シーさんと呼ばせてもらうことにした。直接に出会って名前を聞くことができたいいのに。俺は流星群の日に紙飛行機を飛ばしている。何故そちらに届くのか、原理は全くとしてわからないが不思議な力でも働いているのだろう。そうだ、紙飛行機を作るのなら、紙の端と端をしっかり合わせてちゃんと折り目をつけるときれいにできるぞ。』

 蛇足だと思ったが消さずに付け加えた一文の効果か、次に来た紙飛行機は少しだけきれいに折られていた。




 それからシーさんとの文通は一年ほど続いた。

 そのうち流星群の日が来ない限りこちらからは紙飛行機を飛ばすことができない、ということがわかった。一度、どうしても早く返事が欲しくて、曇り空の夜の日に飛ばしてみたのだがすぐに家の前に落ちてしまった。誰にも見られないようにすぐさま回収したがあの時ははらはらした。だが、流星群の日に飛ばすと紙飛行機は落ちるそぶりを見せずに空高く上がっていった。

 シーさんに名前の呼び方を尋ねると、『音声は文字に乗せられない』と言われてしまった。確かに難しいことだ。文明が進化していても流石に無理なのか……。仮にそのような技術があったとしても発音の違いなどから聞き取ることは難しそうだと考える。

 文通に書くことは互いの生活についてだった。シーさんは長い間人間の歴史について興味があり、研究しているそうだ。ヴェルにはもうほとんど紙に書くという慣習は無いそうで、毎回紙を調達するのが大変らしい。情報はすべてデータベースで管理されており自由にアクセスできるという。俺たちの世界の図書館がすべて電子化したようなものなのだろうと俺は想像している。未知の世界の文化に触れられることは俺にとって素晴らしい経験だった。言語以外にも文化について聞けばシーさんは楽しそうに綴って教えてくれた。他愛のない話もシーさんにとっては物珍しいことらしく受けが良かった。俺たちの普通はシーさんたちにとっての普通ではない。その逆も然りで、シーさんの日常は俺は一度も出会ったことのないくらい、想像をはるかに超えた毎日だった。




『ごめん、シン。私がいけなかった。コンタクトはこれで最後だ。シン、ありがとう。キミのこれからの未来が平和であると祈る。』

 ある日届いた紙飛行機にはそう書いてあった。まだ俺の番の返信を流星群を待って飛ばしていなかったのだが、シーさんから急に紙飛行機が届いていたのだ。いつも書ききれないくらいの文章量であるのに、初めのやり取りの時を思い出させるような短い文。読み取ることのできる感情は明らかに違う。いつもの楽しそうな雰囲気ではなく、寂しそうで暗い気持ちを醸し出すような文面だった。あんなに仲良くなったのに、どうして。興味ではなくシーさんを疑う疑問がわく。何かあったのだろうか。俺のせいでヴェルの法に触れてしまったのか。絶えない疑問に追われながら、何かを読み取れるかもしれないと何度も何度も読み直した。シーさんの考えは読み取れずに、悔しくて紙を机に放りだした。まっすぐになった折線と、俺が握りしめてついたぐしゃぐしゃの線が不釣り合いに重なっている。手で持っていたぐしゃぐしゃになってしまっている部分に小さく何か書かれていることを見つける。記号だ。シーさんの言語で走り書きされている。引き出しから対応表の書かれた紙を取り出して急いで翻訳する。久しぶりに見たけれどアルファベットと同じだ、大丈夫、落ち着け、急げ。


「…I…K…I…N…O…B…I…R…O……」


『生き延びろ』


「生き……延びろ……?」

 そう書いてあった。ほとんど読めないような、ギリギリの形を保った記号でそう綴られていた。なんのことだか俺には全くわからない。大きな災害も起きていないし、予報もない。じゃあ何か起きるのか……?

 急にサイレンが鳴り始めた。




 いったいいつ気づいたんだ。痕跡は残していなかったはずである。シンから届いた「カミヒコウキ」も個人の貴重品をしまっている、家の鍵付きの箱の中に入れておいた。鍵のパスワードは自分以外認証しないし、二段階の鍵だ。抜かりはなかったはずなのにどうしてばれたんだ。いつもは見向きもしないで、ごみを扱うように対応いてくるのに。どうして今回は……。コンタクトを取れた人間の、「トモダチ」という存在との平和な「ブンツウ」という行為であったのに。なんで、どうして壊されなくてはならない。次返事を書く用に準備しておいた紙を怒りに任せて薙ぎ払うと、ばさりと音を立てて床に落ちる。薄い緑、淡い桃色、クリーム色、様々な色が床に虚しく広がった。

 同じ種族の他の奴らは「人間」という存在の有用性に気づいたと称して、彼らの星へと向かう準備をしている。このままではシンが危ない。シンの友人も危ない。歴史を紡いできた人間が危ない。自分のせいで何の関係もなかった遠く離れている星を危険にさらしてしまう。返事はまだ来ていないが手紙を書き「カミヒコウキ」を折って急いで飛ばす。上の奴らがシンのいる星に辿り着く前に、行かなくては。早く……。




「んん……」

 目を覚ますと自分の部屋にいた。サイレンが鳴ったのは覚えている、でも何をしてたのだろうか、思い出せない、頭がぼーっとして視界が悪い。やけに静かだ。今は何時だ?いつのまにか寝てしまったのだろうか。壁掛け時計は一八時を指している。秒針が動いていない、止まっているのか。気怠い体を起こしてカーテンを開ける。外は真っ暗だった。夜空を彩る無数の星だけがこの静けさに不釣り合いなくらいに輝いている。停電でもしているのか……。スマホからネットを開こうとするが、電波が悪いようで一向につながらない。

「でかい災害でも起こったのか……」

 そう呟いた瞬間、轟音がした。窓ガラスが割れてしまいそうな地響きと共にサイレンが再びなる。よろけた俺は机に手をつく。淡い緑色の紙とよくわからない記号が目に入る。


『生き延びろ』


 そうだ、シーさんからの手紙をよんで、それで。

 人間の声ではないなんかしらの音が俺の後ろで聞こえた。玄関の鍵は閉めていたはずなのに、なんだこの気配は……背筋が凍り付いていく。振り返りたくても、自分の意志が振り返ることを拒む。腕か何かが伸びてきて、ひやりと冷たいものが背中に触れる。殺されるかと思う、張りつめた空気の中に俺は立ち尽くしている。今までにない恐怖で動けない俺は、背中に添えられた何かに抵抗することなく立ったままでいた。


『S……シ、……ン……』

 俺の名前を呼んだ……?どういうことだ、いや、聞き間違いだろう。背中の感触は人間の手の感触とは全く違う。人間ではないのだから人間の俺がわかる言葉をしゃべるなんて……。

『シン……WA……ワタ、S、シハ、Cliutee。』

 はっきりと聞こえた俺の名前。聞き取ることのできない単語。小学生が初めて学んだ英語を話すように、滑らかではない発音。これは、まさか。

「シーさん……もしかしてシーさんなのか?」

 確信が俺の恐怖の恐怖を溶かす。俺はゆっくりと振り返る。そこには人間ではない生物が立っていた。ハロウィンの仮装で、シーツを被っただけのお化けのような体。白いシーツのような部分に顔はなく、のっぺらぼうそのものだ。シーツのお化けで言う裾の部分からは足ではなくうねうねと動く黒い触手が伸びている。その一本を俺の背中にそっと当てたシーさんは、本来顔であるのであろう部分をこちらに向けてじっと俺を見ていた。全長は180cmくらいだろうか、少し頭を垂れて見下ろす。「宇宙人」「地球外生命体」という単語が似合わないゆるキャラのようなフォルムだ。

 シーさんは頷いた。いつの間にか、不思議と恐怖は無くなっていた。やっと会えた星を越えた文通友達。俺は話したいことをまとめる前に名前を呼ぶ。

「シーさ」

 俺が言い出すと同時に、シーさんの体にいくつもの穴が開いた。機械音のような、轟音のような、呻く声がシーさんから聞こえて、どさりとその場に崩れ落ちた。その後ろにはシーさんと同じ姿の生き物が立っている。シーさんよりもひとまわり大きい。横幅もあり、がっしりとしている。伸ばした触手の先から硝煙のような煙が立ち上っている。明らかにうかがえる殺気。シーさんがまとっていた雰囲気とは全く違う。膝をついたようにうずくまるシーさんの足元には緑色の液体が広がってく。人が撃たれた時、血が流れて海を作るように、じわりと、音もなく液体は広がっていく。あいつががシーさんを打ち抜いたのか。

「シーさんっ」

『シン……セ、K、ッカク、アエタノ、二……M、マ、二アワN』

 後ろに立っている同じ姿の生物が、触手の先からさらに光弾を撃った。言葉にならない声が俺の部屋に満ちる。






 あの後俺は何もわからないまま、シーさんを打ち抜いた生物に連れていかれた。他の人間も幽閉されているらしく、いくつも部屋があった。幸い死体は見かけていない。きっとみんな生きているはずだ。エトワールも無事であってくれ。個体差はあるものの、生物の姿は同じであった。シーさん一人を見た時にはかわいらしいとも思ったが、ここまで数がいるとさすがに怖い。下手に抵抗することもできなかった。

 数分だけの出会い。七夕よりも残酷な出会いはシーさんが打ち抜かれて終わった。あの時しゃべったシーさんの声を俺は決して忘れないだろう。ぎこちない話し方。その中でも俺の名前は他の単語より聞きやすかった。きっと何度も発音の練習をしたのだろう。そういえば発音のコツを質問してきたこともあったっけ。お人好しのシーさんはそれを参考に、俺の名前を星空に向けて何度も呼び掛けたんだろう。なんでシーさんは殺されたんだ。俺が気まぐれに飛ばした紙飛行機さえなければ、シーさんは殺されなかったかもしれない。

 無機質な白い部屋の天井には星空が投影されていた。偽りの星空に俺は手を伸ばす。星にはもちろん手は届かないし、何も掴めない。からっぽの手のひらを握りしめて、友人を想う。きらめいたのは流星ではなく溢れてこぼれた涙だ。

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