第7話 Donut crust !!


 はあ、事情を聞きたいと言われましても。ワタクシにはとてもとても、説明のしようがないと言いますかね?


 その日だって突然、空からノートの切れっ端が紙飛行機になって飛んで来まして、それが窓から入ったんで変に思って開いてみれば、まあ、こんな風な事が書かれていた訳なんですよ。


『あの丘は動く。立ち去れ、直ちに。なに、三日は猶予があるだろう』


 突然の事でワタクシも何を言われているのか理解しかねまして、どうしたものかと困っていたら、主人が慌てた様子で部屋に飛び込んできたんです。どうしたと聞いたらまあ、「そこの丘が動いた」と言ったんですね。


 それを聞いてワタクシ安心してしまいました。紙飛行機もきっと主人の悪戯なんでしょと思ったのですが、はて、手先の不器用な主人が、ナプキンの折り方でさえあんなに苦労する主人が果たしてこのようなぴっちりきっちりとした紙細工を折れるものなのかと疑心致しまして。


 ものの興味本位で聞いてみる事にしてみれば、あれま、彼の手にも同じ紙飛行機が届いていたというのだから仰天しました。

 聞く限りではワタクシの部屋に飛び込んできたそれと同じ時間に彼もそれを受け取った何て言うんです。……。 


 流石に変だと思ってご近所様に聞いて回ってみれば、またこれも不思議な事に、全く同じ折り目の、全く同じ紙細工が空から降って来たと皆さん言うんですよ。


 あまりにも容疑者が浮かばないので、渋々というか、何となく嫌な予感もしましたし、ワタクシたちの町の人間はその、郊外にあることもあって元々住んでいる人が多い方でもありませんので、一週間くらいなら離れてもいいだろうという話になりまして、皆して町を離れることにしたのです。


 ――そしたら、まあ、三日後にはあの土地、使い物にならなくなったじゃあありませんか。これには確かに驚きまして。


 あのお告げにも似た紙飛行機がワタクシたちの手に届かなければ、今頃どうなっていた事か……まさか本当に、町の裏にあった丘が動くなど誰が思うでしょうか?


 一体何者の警告であったのか、ワタクシたちには想像もつきませんが。

 しかし。あの場所にはワタクシたちの思い出が詰まっておりました。宝箱を壊して回ったそれを許すわけにはいきません。どうか、どうか、お力添えを。


 どういうわけなのか、お金だけは手元にあるのです。これらでワタクシたちのささやかな老後の安寧を、どうにか保証して頂けないでしょうか?







「という訳で、早くも新しい仕事だカーベル。前回の後始末に時間を食った以上、装備にも余裕がない」


 黒い液晶画面が割れてしまうかと思うほどに強く握りしめたカラス頭の少年は、長らく油を差していない絡繰りのように首を回した。左方、郊外へ向かう列車の中に相席している青年を案じての視線である。


 少年は床につかない足をぶらぶらと揺らしては目の前のテーブルを固定するパイプを蹴りつけ、ふてくされた様に指を躍らせた後、スマートフォンを机上に伏せた。


 一方、車窓の向こうに流れゆく広大な自然を目にして騒ぐわけでもなく、かと言って何かに怯えていたり恐怖している様子はないものの確実に何物かに打ちひしがれている様子の青年は、頬杖と共に窓枠にもたれている。


 向けられた少年の視線に思うところがあるのかないのか、それすら考える余裕がないのか――いや、ただ単に顔も見たことがない現在の雇い主の横暴さにどう対応するのが正解なのか、暗中模索しているようにも見えた。


「痛むか」

「そりゃ、まあ。一応人間だからな?」


 外に投げていた視線を少年に移し、目上の相手に敬意を払う様な口調で返す青年。赤毛の後ろ髪は腰につく程長いが、今は真ん中あたりで一つ結んでいる。先日の銃撃戦を経て、走るとばさばさ跳ねてうっとうしいと感じたらしい。


 そこまでするのであれば切ればいいのではと少年は提案したが、それはできないのだと彼は言った。


 願掛け、なのだとか。


 青年は胸部をさすりつつ、五日前の蝶狩りで負傷した部分を気にしている。プシュケに侵された住民たちの供養をしたときには気にするそぶりも無かったが、一件が終わった今になってようやく、僅かに凹んだそれが気に障るようだ。


「捻った足はテーピングで誤魔化しちゃあいるが、前回以上に無理はできねぇ。我ながら、引きこもり気味だったこともあって身体は脆いんだ」

「はて、人とはそのように怪我の治りが遅い生き物だっただろうか」

「派手な擦過傷を一日寝ただけで塞ぐような奴とは根本的に作りが違うんだよ……!」


 静かなツッコミを心掛ける青年。とはいえ、列車に乗っているのは彼ら二人だけであり、他の客の姿は見当たらない。

 全員ここに来るまでの駅で降りて行った。二人が向かう終着点は、現在立ち入りが禁止されている郊外の高級住宅街なのである。


 なぜ立ち入りが禁じられているのか。行間を読めば理由は明らかだ。


「……そういえばさ、異形殺しブレイカーってコルヴォ以外にどんな奴が居るんだ? 流石に、人間もいるんだろう?」

「勿論。とはいえ、私のような異端と純粋な人間との割合は半々といったところだな」


 少年――コルヴォは左胸の下にある拳銃サイズの銀鉄砲をジャケットの上からなぞって見せる。


 死霊滅殺銃グールガン。神秘、異形、化け物と呼ばれるそれらを殺す際に使用する銃である。弾頭はスライド内部の高熱で溶かされた銀と赤い粘着液――黒いバレルとグリップが少年の胸元から覗く。


「コルヴォはどうしてこの危険な仕事をやろうって思ったんだ? ……少なくとも俺みたいに、行き当たりばったりって訳じゃあないだろ」

「いや……お前と大して変わらん。理由をつけるとすれば、復讐のためだな」


 言いながら、スペアのスペアである義眼を指差す少年。

 伸びた前髪が陶器に刺さろうが気にならないようで、左側にかかる毛量は右側よりもやや多い。


「この目玉を食った怪鳥が居てな。それを食い返してやろうと思ったのがそもそもの始まりだ」

「食い返す……?」

「末代まで食い殺したい」

「食欲旺盛だな」

「現に目玉を食われているからな」

「だからといって相手が食える奴なのかすら分かんないじゃ?」

「……それは盲点だった」


 網膜が無いだけに、盲点。

 少年は顎の下に指を添え、ふむ。と考える。青年――カラベルは右胸の痛みよりも少年の胃袋を案じることにしたようだ。

 

「怪鳥って言うからには、そいつも化け物なんだろう? 銀弾で溶かしちまったら食うところねぇじゃんよ」

「ああそうだな。だが、生け捕りで捌けば無問題だ」

「生け捕り?」

「生け捕りだ」

「……本気か?」

「さあ。いっその事、卵からかえした方が早いかも知れん」


 列車に乗る前に調達した眼窩洗浄液をペットボトルに詰め替え、青年が背負うことになるリュック(現地調達した物で新品だ)に詰め込むコルヴォ。カラス頭がゆらゆら揺れる。


 カラベルは溜め息をつくと再び車窓の外へ目を移した。口の中に飴玉が放り込まれたのを鑑みるに、乗り物に酔いやすい質らしい。


「……つーかさぁ」

「今度はなんだ」

「いや、俺は出会ってから今日まで、あんたを人間じゃないって扱いをしてきたわけだけどさ。そろそろ厳密に何者なのかぐらい、教えてくれたりしないのか?」

「ん、言っていなかったか?」

「全くもって」

「ならば、無理に知ろうとする必要はない」

「あぁ?」


 捻くれたその返答に眉根に皺を寄せるカラベル。

 青年をからかうのが面白いのか、コルヴォは薄く笑ったまま手にしたコーヒー缶のタブをなぞった。


「知らない方が受け入れられる現実も、この世にはあるのだよ」







 乗客二人と大きなスーツケース二つを荷物として降ろし、無人運転の列車はそそくさと逃げるように発車する。


 列車から降りるとキサラギの文字――なんてことは無く。生活感のない閑静な住宅街を取り囲むポプラの並木が二人を出迎えた。

 所々ひび割れたアスファルトの上に薄く霧が立ち込めるその様子には、人が居なくなって寂れてしまったゴーストタウンのような印象を受ける。


 カラベルは区画整理がなされた道路の真ん中を歩きつつ、同じ様な形をした家の壁と屋根の瓦を交互に見比べて、それらに違いを見出すことに飽きたのかぐるりと回転する。手元の荷物もガラガラと音を立てた。


「ここの住民は全員、避難してるんだよな?」

「渡された情報によるとそうらしいが……」


 コルヴォは言いながら、砂埃をかぶった芝刈り機や放置された高級車、そして新聞が入っていないポストを見て首を傾げる。


「もしかすると、長らく住んでいないのかもしれないな」

「うん?」

「我々が受けた依頼が生者からのものであるとは限らない」


 コルヴォは言うと、道路上にあった握りこぶし台の石を蹴る。

 カラベルは足元を追い越したそれと、自身に追いついた少年とを見て目を丸くする。


「……えっ、相手が幽霊とかでも受けるのか?」

「そこに異形がいると分かればな。あの娘ならやりかねん」

「神秘と異形に対しての殺意が凄ぇな」

「あれも私と同じように異端ではあるが、それ以前に異形殺しブレイカーだからな……思うところがあるんだろう。とはいえ、今回の目的はその雇い主に我々の現在地を伝えるだけだ。気負うことは無い」


 少年は義眼の位置を調整しつつ、雲の薄い空を見上げる。

 特に異常な雲行きでもない。強いて言えば、鱗雲が雨の湿り気を伴なった風を吹かせている事実を危惧するぐらいか。


「しっかし、丘が動いた事によって土地が使い物にならんくなったとは、とんだ言いがかりだなぁ。俺が居た村は煉瓦道ではあったけどこんな近代的な舗装はされてなかったしよ。……無い物ねだりとはこのことか」


 放置されていることで割れた灰色の地面からはところどころ単子葉類が顔を出しているが、文字通り異常事態が起きているようには感じられない。こうして歩いている分には至って平和なのである。


 青年はうなじの後ろに指を組んだ。褐色の掌が行き場を失う時、彼はよくこうしている。物思いにふける体制だ。


「あの村は忘れられそうにないか」

「一、二週間程度で忘れられたら、それは超人か薄情者って言うんだよ」

「……確かに。受けた恩を忘れることほど罪深いことはないな」

「?」


 含みを持たせるその言葉に、いつも通りツッコミを入れようとしたカラベルは、少年の肩を掴もうと解いた指を――


 地面が揺れたのである。

 それこそゴムが跳ねるようにアスファルトが波打ったように錯覚する。


「!?」

「!!」


 彼らが住んでいる地域には大陸プレートの継ぎ目が無く、地震は殆ど起こらない。現に今居るこの住宅街もプレートの端から大分離れた位置に鎮座しているし、この一帯でそのような地震が起きたという事例も聞いた事がない――!


 身をかがめて暫く待っていると、揺れは次第に小さくなり、収まった。

 縦揺れと横揺れが交互に襲い掛かってくるような、非常に悪趣味な揺れであったが。少年と青年は顔を見合わせ、互いに同じ方向を見据えた。


 波打つ地面の先、住宅街の向こう側。

 かつての住民が共用の公園として使用していたらしいなだらかな丘陵、その波形の一部は確かに。先程見た時より明らかに盛り上がっている。


 動く丘。揺れる地面。閑静な住宅街の一帯は、恐らくこの揺れが原因で、碌な休息を取る事ができない土地になったのだろう。


 黒髪の少年と赤髪の青年は立ち上がり、依頼人の家を探した。名前を照合すれば直ぐに見つかる。芝生が敷かれた広い庭には雑草が幾らか生えているものの、テントを張るには十分な面積がある。


「……」

「……」


 無言のまま、テントを組み立てロープを固定するピックを四隅に突き差す二人。今までで一番素早い組み立てかつ、見事な四角錐が完成した。


「……作戦会議が必要だ」

「全身全霊で同意するぜ」


 初めて体験した大規模な揺れに怯えつつ、強がりな少年と青年は閑静な住宅街でテントを張り、一夜を明かした。





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