第6話 FIRST = Mistletoe
植物は古くからこの世に存在している生物であり、性質は多様だ。乾燥地帯に適し、寒冷地に適し、熱帯に適す。
気温や湿度以外にも、土壌に栄養があるという前提すらも時に覆すそれは、はっきり言って奇異な進化と言えるだろう。
滅びる道を避け、そこで呼吸を繰り返すだけの静物。その様な評価が相応しいとはいえない。
生きのこるプロと呼べる生き物が神秘性を獲得したなら――まず、弱点を隠すように進化するだろう。
「……でっかぁ……」
「……でかいな……」
溜め息混じりの感想しか出て来ない。蔦を切り分けて登ったその先、宿舎の屋上から臨む巨大な疑似花の海は鮮美で花々しく圧巻の光景であった。
黄色の菊が一面に敷き詰められた様なその光景は、今彼らが立っている場所が地上数メートルの高さにある屋上であるということを忘れさせるぐらいには強烈である。
花弁の様に見えている筒状の花の一つ一つが奇妙にも人が腕を振るようにゆったりと揺れている――。
「らん……らんらら」
「辞めろ。せめて金の麦穂が踊るようだとだけ言っておけ」
黒髪を揺らして呟く少年に、口を尖らせることで答える青年。
襟足だけ伸びた赤毛の長髪が吹き抜けていく風に舞い上がる。
「見た目は
「
少年は蒲公英の綿毛が風に乗って飛び去る様子を思い浮かべる。もし下に生えている宿り木の栄養がこの大輪を咲かせる為だけに使われているとすれば、その脆さの理由にも頷ける。
「どのみち、さっさと刈り取った方が良さそうだ。しかし、この一面の大花を切り落として回るには恐らく蔦の強度が足りない」
やはり核を探すしかないか。と腕を組むカラス。右目が瞬かれ、周囲を観察し始めた。
宿舎の屋上を含め、村一面を飲み込んで咲き誇る黄色の花は、真昼の太陽光を浴びても平気な様子だ。この花弁だけが耐性を持っているのかと思い、その辺の花を一つ引っこ抜くカラベル。不用心である。
掌に取った花弁は日の下にあっても燃え上がることなく、手触りは高級な百合でも撫でた様に肉厚。
この様子なら花の上に乗っても大丈夫じゃないかとやはり思ってしまう。まあ、網状に張り巡らされた蔦が壁に貼り付いている蔦のように脆いかも知れない可能性を考えると、一つしかない命を賭けるべきではない。
蓮の上を渡れるのは仙人ぐらいのものであろう。
「……」
それにしてもこの花。村の住民を死に追いやったとはいえ綺麗なものだ。
青年は手に取った幾つかの筒状の花を手に束ねポーズを取る。
馬鹿馬鹿しくなったのでその辺に放り投げた。
「どうした?」
「何でもねぇ。で、核っていうのは見つかりそうなのか?」
「いいや。しかし、これからこの屋上を降りるという選択肢も我々には残されていない。下の空気は濃すぎる」
そう言われ、青年は目を丸くする。
下の空気が濃い。少年が言うそれは酸素濃度の事をいっているのだろうと勝手に判断していたのだが――。
「……待てよカラス。よく考えてみろ、植物が酸素を放出するのは光合成の時だけだぞ。日の光に弱くていちいち緑色に燃えるような葉っぱが、光合成なんてできるわけがないと思わねぇ?」
植物は光合成だけをする訳じゃない。
「呼吸をする――酸素を吸収して二酸化炭素を放出する」
「……ああ」
「下の空気が濃い訳がない。異様に匂いがきつかった」
「……死体は一つも残されていないな」
「植物の養分摂取の方法は何も、水と太陽光だけじゃない――大地、土」
「「
顔面蒼白になった青年と、言わないようにしていた少年のため息が零れる。
すかさずカラスは腰を落とし、青年のケツにソバット式の蹴りを叩き込んだ。
「自分から地雷を踏む方向に行くな馬鹿め。このタイミングで正気度を減らしてどうする」
「正気度ってなんだよ正気度って……!」
革靴が見事にヒットした尻を労わりながら、現実に引き戻された青年は苦笑した。
村中に散らばっていた見覚えのない黒い土――見覚えが無くて当然である。あれらこそが、住民が生きていた証だったのだから。
カラベルは複雑な気持ちで、靴についた黒土を指で払い落とした。
「しっかし、こんなことで活路が見いだせるとは思わなかったぜ」
「……今までの会話の中に活路なんぞあったか?」
「あるだろ、だってさぁ。この花は栄養の供給源である宿り木部分が大事で仕方がないんだろう? なら燃やしちまうって手はどうだ」
「燃やす? この目に痛いほどのアンモニアと、発酵ガスにでも着火するつもりか? そもそも二酸化炭素は燃えないだろう」
「ちげぇよ。この村の人間をそのまま栄養にしたっていうんなら、やってみて損はない手が一つはあるってだけの話だ」
カラベルはそう言って、何処からともなく瓶を取り出す。何やら手持ちの材料を組み合わせて物を作るつもりらしい。
「へい、出来上がり」
「なんだそれは」
数本の瓶と、その中に液体。青年はこよりを手に、にやりと口を歪める。ゴーグル越しではっきりとした表情は伺えないが、その表情は物を作ること自体が楽しいというよりも。
「仇を打つためのパーティーグッズさ」
火薬をはじめとする発火物そのものを、愛しているかのような。
――その日。
太陽が西に傾き白い月が顔を出すと同時に、西方の大陸のある地方で大規模な火災が発生した。後日調査隊が派遣されるも、後に残っていたののは黒土の山と煤汚れてしまった黄色い煉瓦の道だけだったという。
テロか放火かと様々な憶測が飛び交ったが、人々はあっという間に別のネタに飛びついて結局のところはうやむやになった。
火の手が上がったとされる地域には小さな村があったとされるが、住民の生存確認はおろか亡骸が見つかったわけでもないので行方不明として扱われることになる。調査隊は近くにある二つの村でも人が消えるという現象があると知って生き残りの捜索と原因の究明に挑んだが、何らかの圧力で捜査はあっという間に打ち切りとされた。
「見事に燃えたなぁ」
「そうだな……しかし生木にも拘わらず何故ここまで勢いよく燃えたのだろうか」
「酒だよ」
「酒?」
「ああ。……いや、瓶の中に詰めたのは液体燃料だったけどさ」
カラベルは轟々と燃え上がる村を見渡せる屋上で、舞い上がる火の粉を眺めながら胡坐を組む。
「ここの人間は酒豪が多かった――それこそ、毎夜毎晩酒に漬かって楽しく騒ぐような陽気な人たちばっかりだったのさ」
「成程……しかし、博打みたいなものだったのか。蔦の中に酒精が残っている保証も無かった」
「まぁ一応目的は果たせたみたいで良かったんじゃねーの? 多分、このままだと巻き添えを食うとは思うけどよ」
そう。結局のところ、この逃げ場のない屋根の天辺で青年は人生を終えるに違いないのである。カラベルは首の後ろに指を組んだ。
火の手は上へ上へと昇る。そして、青年と少年は、黄色の
生き残る末来があるとすれば、それは奇跡の結果に他ならない。
「あんた一人なら逃げられるんじゃないのか? カラス」
「いや、無理だろうこの惨状の中を駆けるなど。生憎、火は苦手な方でな」
少年は言って、座り込んでいる青年の隣に立つ。
中途半端な開発でコンクリ建てになっているこの宿舎の屋上は、下からの熱気で酷い熱さになっていた。粒の汗が流れ落ち、煙が喉を焦がす。
べこんっ。
背後から金属の板が反り返った様な音がする。少年は振り向いたが、青年は振り向かなかった。彼からすれば、耳馴染みのある生活音である。
「あぁ、貯水タンクが熱くなった反動で、膨張したんじゃねーの? 都心ではあんま見かけねーもんな。金属の貯水タンク」
この火の海の上でどうせ助かる訳も無いと自虐気味にそう呟いたカラベルに、振り向いたままの少年は胸元に腕を入れる。
「待て。今、貯水タンクと言ったか?」
例え少年と言われようと、カラスは神秘の化け物を殺す者である。故に、核を破壊するその時までは気を抜くことはしない。
しかし成程、これは足元を掬われていた。はじめから村に火を放つ必要すら無かった――そも、水の中にあれば燃え尽きることも無かった!!
「――弾頭装填!」
言うなり肩甲骨を強く蹴り飛ばされ、目玉焼きができるぐらいには熱いコンクリート(敷き詰められていた花々はとっくの昔に毟り取っていた)に顔を擦りつけるカラベル!!
強烈な摩擦熱に晒されるついでに説明すると、青年の胸部装甲は薄手のタンクトップと薄手の白シャツの計二枚!! 故にダブルデリケートゾーンが荒いコンクリートの床に容赦なく叩き付けられる!!
言うまでも無いが、死に際に胸元を隠して逝きたいわけも無いカラベルは、顔面と胸部の絶望に似た痛みを堪えながらその場でのたうち回る!!
「ぐぉおおお! いきなり何しやがるこのっ」
「っつ、間に合え――融解、かんりょ」
青年が身体を起こすよりも、少年が撃鉄を起こすよりも早く。ステンレスの銀が軋み、水風船のようでそれとは似ても似つかぬ爆発が起こった。
村で一番高い位置。水の中に沈んだ瓜の種――村を蹂躙した
見た目に振り回されているようでは神秘とは戦えないというのに、実に初歩的な勘違い! 現実の生態系がそれら化け物に適応されるとは限らないというのに!
そして、日の下にあれば燃えてしまうというのなら、暗くて水がある場所に核を潜めておけばいい!!
派手な金属音を立てて跳ねたステンレスの板は無残にも引き裂かれ、その内側から現れた肥大する被子の一部は既に弾けていた。内側の綿には石器のようにとがった黒曜石がこれでもかと詰まっている。
これからあの種子を拡散しようというのか、それとも現れた外敵を駆除しようと――あわよくば栄養分としようと活動を再開したのか。
確かに、死に瀕した生物として最善の行動。しかし
「ひいっ!?」
「雛のように喚くな青年よ。……尤も、鳥自体ウンザリなんだがな!!」
陶器の瞳には、被子の中に埋まる化け物の核が捉えられた。
「融解完了――おい、カラベルとやら! お前はここに骨を埋める気はないとほざいていたなぁ! なら腕を貸せ! アレを殺すぞ!」
「……っ!!」
少年の右腕には巨大な黒曜石が穿たれている。カラベルが伏せていなければ、その斜線には青年の頭部があった筈である。
腕の腱までちぎれてしまっているだろうその小さな掌に、震えの止まらない作業用の革手袋が重なる。
傍目には水鉄砲のように見えるだろうその小さな銃のグリップと、赤熱するそれを支える少年の腕を添え木の如く固定する。
煙が晴れる一瞬。
毒々しく赤黒い瓜状の核が見えた――引き金は、カラスの手の中に。
「――
銀と赤入り混じる流動体の弾丸。それは今にも弾けそうだった寄生植物の核を見事に打ち抜き。ミスティルテインは銀色に
村中にあがる火の手はそのままに、この場に存在していた神秘が欠片も残さず消えていく――青年は少年の腕を支えながら、恐怖していた過去を忘れてその様を見届ける。
銀に溶かされ枯れていく、華々しい化け物の末路を。
「……さて、腕に取り付いた種もどうにか消え失せてくれたようだな。傷は残るだろうが、致し方ない」
少年の言葉に振り返ると、すっかり覇気を失った義眼がゴロンと零れる所だった。それを受け止めた青年は、出血が止まらない細い二の腕を強く抑えることで止血を試みる。
「この辺りには医者が居る町が無いんだ。治療は難しいと思うぜ」
「構わんよ。そも、私は人とは少々離れた身体の作りをしているからな――だがまあ、状況は悪い。ははは、死んだなこれは」
カラスは言って、尚も燃え盛る村を眺める。カラベルは眉を顰めつつ、ゴーグルに付いた
とはいえ少年が言うように、二人して一酸化中毒になるのも時間の問題である。
適当に止血を済ませた少年は青年を連れて、つい先ほどまで化け物が鎮座していた場所に登ることにした。せめてもの悪あがきのつもりだった。
金の煌めきが目に入る。
「――コイン?」
そうして。溶け消えた化け物が居た場所に、それは現れた。
少年は見覚えが無いと首を振り、青年にもまた心当たりがない。
「今まで長いこと
呟きながら煤を払うと、鮮やかな黄色が顔を見せた。
記念貨幣だろうか。外側には「OdrWorld」の文字。
「……『激情の世界』」
「なんだそりゃ」
「知らん。知らんが……まあいい、雇い主に聞いた方が早いか」
少年は落ち着き払った様子でメダルを少年に手渡すと、真っ黒の衝撃耐性付きスマートフォンを操作して何処かに通信を繋げる。
電話の向こうからはあっけらかんとした若い女性の声が響く。何やら一言二言話すと、少年が空を指差した。つられて青年が上を向くと、顔に冷たい雫が落ちる。
雨だ。
晴れ渡る夕空から大粒のスコールが降り注ぐ。燃え上がっていた村の火は次第に収まり、やがて燻りすらも残さず収まった。まるで魔法のような雨だと、カラベルは思った。
「……おい、青年」
「ん? ああ、どうした」
「話があるそうだ。聞いてみる価値はあると思うが」
カラベルにスマートフォンを向け、カラスは言った。距離があるので本心から渡したいという訳では無いようである。
少年は案の定、空っぽになった左目を見開きながら「戻れなくなるぞ」と口を動かして見せた――恐らくはそういう事で、ただしそれ以外の選択肢は彼には無かった。
「……聞こう」
「そうか」
面接は電話越し。雇い主は年端もいかぬ子どものような声をした女性。
彼女はカラベルが名乗る前に、用件を告げる。
『はぁい初めまして。それじゃあ早速だけれど、君達には急いで次の狩りに行ってもらおうかな! これからよろしくね! 新人君!』
(…………この人、部下の話を聞かねぇ上司だ…………!)
そして、物語は冒頭へ戻る。面倒な自己紹介やらお互いの信頼や理解をする前に飛び越えて、如何にもできすぎたこの出会いから全ては始まる。
或いは。
既に始まっていて、そして終わっていた。そんな気がしてならない。
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