第8話 Invisible trigger !!


 結局はこれといった打開案を考えるカロリーすら残っていない脳味噌にカフェインで無理矢理に鞭を打った結果、二人は朝を迎えてすぐ、力尽きて爆睡してしまった。


 「長い夜」という洒落ではなく、丸一日寝過ごしたのである。


 一つ幸運だったのは、彼らが寝過ごしたところで状況は大した変化を見せなかったということだ。


 青年カラベルの記憶に新しい「ミスティルテイン」や「プシュケ」。あれらの異形は一日二日で村や町といったコミュニティを占拠するという凶暴な侵略性が目に見えていた――が。そのような異常性は、この住宅街からは感じられない。


 静かなのである。

 文字通り閑静な。いや、静寂を破る気配が感じられない。

 初日に遭遇した地震のような揺れが嘘だったかのように思えるほどだ。


「ふぅ、必要な作業が夕方で済んで助かったぜ――コルヴォ! こっちは組み立て終わったぜ!」

「何故……何故私までケーブルを剥いて繋げてはビニルテープを巻き付けるを繰り返しているのだろうか……?」

「お互いに寝過ごしたあげく、起きたのが昼過ぎだったからだろーが」

「寝過ごしたのは事実だがな……」


 まさか自分が二十四時間以上も眠っていたとはつゆほども思っていないコルヴォはそう言って、腕に抱えていた照明器具を芝生に下ろして点灯するかどうかを確認する。


 時計の日付を見て一日寝過ごした事を知っているカラベルは、言わぬが花だとその事を知らせずにいる。

 二人共長い間列車に揺られていた所為で思う様な休息が取れていなかったのだ。これは寝た者勝ちである。


 そうしてしっかり休息をとったおかげか、青年の足首も快調に向かっていた。これなら何か起きてもある程度の距離を走ることができるだろう。


「これでいいんだよな?」

「ああ」


 最後にスイッチを確認して、カラベルは額の汗を拭う。


 彼らが組み立てた物。それは、照明弾の発射装置だ。

 用意した弾頭を空高く打ち上げる為に設置されたそれを、決まった時間に発動させるのが今回のミッション。


 つまるところこの二人は、動く丘とやらを退治せよとは命じられていない。理由は、列車に乗るまでの道中で交戦した異形を相手に、過剰なほど調達したはずの銀弾が大量消費されてしまったから――そして、そのほとんどはカラベルの無駄撃ちである。


 プシュケの一件以来、銃が全く使えないと判明したカラベルは積極的に死霊滅殺銃グールガンを使用させられていた。上達を促すためでもあるのだが、銃の腕が数日程度の期間で目まぐるしく変化するはずもない。負傷部位を庇いながらの戦闘となれば、尚更だった。


 カラベルは人間である。異形殺しブレイカーの荷物持ちとして雇われている彼を医療機関に連れて行くには、それ相応の規模の街や都市に出向かなければならない。なにより彼自身が「雇い主」に一度も顔合わせをしていないのはどうにかならないものか。


 少年が仮宿のベッドに寝転がってそうぼやいたのが三日前の話。

 呟きが地獄耳で拾われたのがその数秒後。

 テーブルに置いていた黒いスマートフォンがバイブしたのを聞いて、彼らは恐る恐るスピーカーモードをオンにした。


『分かった! それじゃあアタシから迎えに行かせてもらうね!』


 開口一番言い放たれた。そんな馬鹿な。


 彼女は照明弾の打ち上げの準備をするように口早に告げ、通話を切る。

 依頼内容をメール添付で受信したのは数分後のことだ。

 どう考えても来るつもりである。そして止められる気がしない。


 止められる気がしないなら――現実を受け止めるしかない。故に、青年の調子が優れないことを承知で少年は「異形が寝ているかも知れない丘の上で照明弾を発射する」という、実行する側が頭を抱えるしかないとち狂った依頼を受けたのである。


 正に鬼畜。


「案外、鬼と呼んでも差違さいないか」

「何か言ったか、カラス頭」

「独り言だ。そしてカラスは余計だカーベル」

「カラスを抜いたら頭だけになるじゃねーか」


 軽口を叩きながら指示された機材を全て配置した青年は、赤い髪を振って背伸びをする。住宅街の裏手、先日動いているのを目撃した丘の上には小さな大砲のようなものが組み上がっていた。砲の斜線はやや斜めに空を向いている。


 ただ、設置に時間がかかったのはこの砲台ではない。


 丘をぐるりと一周囲うようにして、舞台用の照明が設置されている。

 東西南北に一台ずつ、それらの間に一台ずつ。計四台の超強力LEDスポットライト――夕日に焼ける芝生には場違いなその光は、丘の中央に設置された大砲に焦点を向けるように調節されていた。


 ちんまりと一台のみ設置された砲台が豪華にもライトアップされている。スポットライトを受けたスターのように整然と立つ主砲の周囲には哀愁が漂っていた。


 必要な電力は心優しい依頼主とその辺の住民の家から引っ張っている。

 たこ足配線はしていないがしこたま延長したので、電圧低下と発火の危険性は否めない。そもそも電力が足りるかどうか自体が怪しいのだが、カラベルはその辺りを気にしてはいない。


 彼にとっては、住み慣れた村が異形に滅ぼされてまだ二週間足らず。

 悲しむ間もなく異形に追いかけ回され続けた青年には「どうにかなるさ」精神が植え付けられてしまっていたのだった。


「よし、時間的にも良い頃合いだ。打ちあげよう」

「ういっす」


 カラベルは視界を腕で塞ぎ、コルヴォもその用意をする。

 月が輝きを増し日が傾いて落ちかけているその空に、派手な爆発音と共に虹色の花火が打ち上げられた。







 ――その日。


 ある郊外の高級住宅街の一角から六色の光源が打ち上げられたという報道が飛び交った。新型兵器の実験か、はたまた未確認飛行物体の離着陸かと憶測が飛び交ったが、数日後軍関係者の専門家が発言した「着色式照明弾」を使用したのではという意見が現在尤も有力な説となっている。


 しかし、なぜ郊外の中心部にある公園部分から発光体が空に向けて打ち上げられたのか。何故夜ではなくまだ明るい夕方だったのか。立ち入り禁止であったその区域で誰が何を行っていたのか等、詳細は闇の中とされ、遂に解き明かされることは無かった。







「……」

「……」


 無事に発射できたことに胸を撫で下ろす二人。しかし、空を覆った虹に見蕩れる間もなく、青年は眉を顰める。


「……コルヴォ。今回の仕事だけどさ、どうも上手くいきすぎてる気がしてならねぇ。映画で言うと『成功続きですが今から地獄に叩き落しマース!』って宣言されたみたく、妙な胸騒ぎがする」

「人生山あり谷ありという奴か? しかし元々、怪物殺しブレイカーという職業は実に地味かつ評価され辛い裏方のようなものだからな」

「あんたの勘はあんまり当たらねぇだろーが。死ににくいからって危機感が薄くなるのはどうかと思うぞ?」

「実際、何も起こらんという結末もまれにあるぞ」

「稀」

「極めて稀にな」


 シュレディンガーの猫箱。トスされたコインの裏表。開けなければ中身を知る事ができない玉手箱――不確定要素は用心するに限る。


「日没まで生きのこれば我々の勝ち。死ねばそれで終いという話だ」

「洒落になってねぇぞその言い方」


 カラベルはコルヴォの言葉に悪態をつき、それから空を見る。紅茶をこぼしたような鮮やかな色彩が空を染めている。丁度、マジックアワーが始まった頃合いだ。青年は長く伸ばした赤毛の襟足を結び直そうとして――揺れた地面に思わず膝を着く事になる。


「――!」


 コルヴォは身をかがめ、胸元の拳銃に指を絡めホルスターから引き抜いた。腕にはロンググローブを嵌めているが、ポケットに差し込まれたスティックは僅か二本。残弾数は十。抜き取ったそれの一つを素早く装填する。


「……構えろ」

「っちっくしょう、今回ぐらいはゆっくりしたかったってのによぉお!」


 揺れる地面、波打つ丘。割れた芝生と土の中に役目を終えた大砲が飲み込まれていく。金属がひしゃげる音、文字通りスクラップにされる音が響き渡る。


 ……目にとらえたのは長い

 ぬるりと光沢をもち、しかしスポットライトの光で浮き上がるのは分厚いがひしめき合う肌。

 延々と続くまるで蛇のような体躯の頭には、が、ない。


 つんつるてんな頭をもたげ、蛇が威嚇をするように肋骨と肉を左右に大きく広げる。口の形状は爬虫類のそれだが、肉に包まれた頭の形から想起されるのはやはりミミズ以外には見えなかった。


 しかし、尤も恐れるべきはその姿ではなく「質量」である。


 筒状の身体の直径が、如何なる数値においても平均的な西洋人である青年カラベルの身長の二倍ほどあると言えば。このミミズがどれだけ巨大なのかお分かりいただけることだろう。


 揺れが収まったかわりに裂けた舌を出し入れしつつこちらへ顔を向ける怪物を前に、口元を一の文字に固めた二人は無言のまま死霊滅殺銃グールガンを握りしめる。


「……おいおい……あんなのが出てくるなんて聞いてねーぞ。あれが動く丘の正体ってか? 蛇? ミミズ? いや鱗があるからやっぱ蛇か!?」

「――!」


 呟いた青年の隣、無言のまま発砲するコルヴォ。義眼が軋む程見開かれるが、銀と赤の銃弾は巨躯の鱗を滑って何処かへ消えてしまった。


「……参ったな、鱗付きが相手だと銀弾が滑って敵わん」

「マジか」

「大いに真面目だ」

「っち、あいつこっち向いたぞ……生き延びる手は?」

「天に任せて逃げる!!」

「ここまで来て運頼みかよぉ!?」


 脱兎の如く走り出した少年に続き、青年は赤い髪を翻し住宅街へと踵を返す。相手の図体が大きいだけならまだしも、ここは芝生だ。鱗に油を塗っている大蛇を相手にするには足場が悪すぎる!


 巨大な桃色の大蛇はもたげていた首を下ろし、徐々に蛇行を始める。周囲の熱源と比較して、エネルギー源になる生命体は彼らだけだと判断したらしい。

 全力で住宅街のメインストリートを下っていく少年と青年の後をおもむろに追いかけ始めた。


「――隻眼という点では半分ほど気が合うかも知れないんだが」


 叫びつつ、靴になじんだアスファルトに足を止めるコルヴォ。カラベルの足にかかる負担を最小限に抑えるため、減速させずに自らの先に行くように促す。


「いいから行け、退路を確保しろ!」

「ひ、い、余裕があればなぁああああ!!」

「ふん」


 あらぬ方向へ四発撃ち放ち空になった死霊滅殺銃グールガンに深紅のスティックを差し込みスライドさせ。使用可能のコールを待たず、コルヴォは自らの右腕に

 一瞬の痛みと共に消失する痛覚。目眩がしたが、副作用はその程度だ。


 少年は手袋越しに地面に開いた穴へ指を差し込み、持ち上げる。

 鉄の円盤――本来は下水道への道を塞ぐ蓋であるが、それを軽々と振り上げたかと思うとフリスビーを投げるかのように腕を回す!


「当たってくれよ――!」


 おおよそ常人のそれではない腕力で放たれた直径六十センチの鉄の円盤は空中に弧を描き、住宅街の坂を遡る。

 鉄の塊が空を飛ぶのは翼に揚力が働くからだが、これはそんな計算も無く「ただ力任せに投げただけのもの」である!


 そうして重さ四十キロはあろうかという鉄の塊が、奥の芝生からアスファルトの道路に侵攻し始めていた桃色の頭に突き刺さった!!


 ミミズのような巨躯にも、流石に脳天に鉄隗を叩き込まれれば痛かったのだろう――暴れる!!


「っち、やはりこの程度では仕留めきれないか」


 カラベルの後を追うように道を進み、次の円盤を投げるが結果は同じである。頭に突き刺さった二枚の鉄蓋をどうにか外そうとのたうち回るその様子は生きようと足掻く虫の姿その物であった。


 手負いの獣は恐ろしい――相手を一撃で沈黙させられなかった現実に、コルヴォは唇をかみしめる。


(下水道はそこら中にあるだろうが、その出入り口は思う以上に少ないものだ。武器にしようにも一枚につき一回の攻撃回数では割に合わない!)


「ぅぎゃあああああああ!!」

「!」


 前方からの悲鳴に、コルヴォは思わず顔を引きつらせる。

 少年はともかく青年は人間である。限りある命を簡単に散らされてもらっては寝覚めが悪い。


 後方から詰め寄る桃色の大蛇を尻目に、コルヴォは先を行った青年を追いかける。長い坂を下った先に、彼の悲鳴を引き出した元凶が居た。


 黒く艶めく鱗を身に纏い、短い腕には鋭利な爪。

 双眸は赤く、瞳は黒い。

 マジックアワーの紫によく映える白い蛇腹――土に身体を埋めた、得体の知れない大蛇の姿がそこにある。


(二匹目だと!?)


 青年は喉を枯らしたのか、息をすることも苦しいのか、単にパニックになっているのか、頭を押さえ、尻餅を着いて必死に後退している。

 しかし背後は駆け下りてきた上り坂だ。思うように距離が稼げないカラベルのゴーグルを、裂けた赤い舌がべろりと舐めまわす。


 後方、狂い猛る手負いの蛇。前方、目の開いた黒鱗の蛇。

 完全に挟み撃ちだ。


 ざあ、と。青年の血の気が引いたのが、遠目でも分かった。






 そして。空が、黒になる。







 夜の訪れ。

 太陽が月と入れ替わり、闇が全てを支配する。

 その瞬間、空から落ちた閃光が黒い大蛇の頭部を






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