第24話 Odr World Breakers !!


 灰色の床に、自分の指が転がっている。掌の中にあった怪鳥の緑眼は既に銀に溶けて痕形なく、傷口に塩を塗るように固まったそれが鈍い金属光沢を放つ。


 視界を遮るのは黒い泥。目の前に立つ光の柱。天幕の如き帯。


(――間違っていなかったはずだ。間違っていなかったはずなんだ)


 鷲鼻の男は、その人生を夢に捧げて生きてきた。


 思えば初恋の運が悪かったのである。あの日見た幻のような現実を追い求め、遂に辿り着けたと思えば――研究室のシリコン瓶には膨大な数の死体と、肢体と、内臓が、鱗が、魚体が、ひしめき合っていた。


 どれだけの人間に手をかけただろう。生きの良いサンプルを求めるあまり、確かに人を殺しすぎてしまったように思う。


 いや、彼からしてみれば人の下半身ばかり余るので、魚類の異形を吊り上げる餌には困らなかったのだが。


(結局のところ、臓物の引き渡し先が見つかったあの時には。私の夢は壊れていたのかもしれない)


 一年前。黄色い煉瓦でつくられた観光地にやって来た若い男女。シルバーブロンドの髪は美しく、彼女をターゲットにすると決めるのにそう時間はかからなかった。


 女を攫って湖の近くに買ったプレハブに引きずり込んだ。麻酔薬を投与して自我を奪い、まずは異形とつなぎ合わせて適合できるかどうか、実験を繰り返した。


 男の方は――詳しくは覚えていないが、激情して襲い掛かって来たのを果物ナイフで。心臓を真っ先に潰したような気がする。赤毛で、後ろ髪だけ長く伸ばしている青年だった。


 女性は晴れて人の足を捨てて人魚となり。異形としての存在を確立させるに至った。


(人の上位互換とも言える存在に進化した彼女はしかし――決して私を許そうとはしなかった)


 愛した男を目の前で殺され。シリコンの中でひたすらに生かされている光景を目の当たりにした人魚は、壊れた。そして、ある日を境に姿を消した。


(私はそうして、異形を刺激する周波数を発する機械を作ろうと思いついたのだ。材料は奇しくも揃っていた)


 残った男の身体を使って死にかけた脳を刺激すると。全く新しいまっさらな人格を持った人間が産まれた。だが、長らく使われなかった筋肉や肌はボロボロで、とても人間の姿を維持できない――だから作った。


 歯車とコードとオイルとで形成した身体は。死にかけた人間の脳を過不足なく動かした。


 声を聴くだけでは足りないと思い至ったのは、臓物の売り手と話をした際のこと。石像にして手元に置くには、その手の能力を持った異形を召喚する必要があった。


(異形を引っ張り出すには何か、それらしい物語が必要だと、言われた)


 まずは手近な港町に、「案山子マリオネット」を流行らせた。


 少し離れた林業の村に、「人狼ウェアウルフ」を放った。


 黄色い煉瓦の街に、「蒲公英ライオン」を配置した。


 銀の踵を持った「少女」に引き合わせ、こちら側に誘導するように仕掛けさせた。


 シナリオ通りに事を運び、次の実験体とする可憐な少女を此処までおびき寄せる計画の実行役。それが、「鉄くずブリキ」の正体で。コイン集めは儀式的に必要だったというだけの事だった。


 無辜の民を見殺しにし、見殺しにし、見殺しにし。


 それだけ目立つことをしでかせば、その手の専門家に目をつけられるだろうと予想する事は容易だった。


(私は二度と失敗しない――もう一度この手で人魚を作り出し、怪鳥コカトリスをてなづけた上で生きたまま石にして保存する。手元に置いて、死ぬ間際まで愛でてやろう)


 鷲鼻の男は、足元に広がる泥に自分の血肉が沈んでいくのを眺めつつ、その時が訪れるのを今か今かと待ち遠しくして――そう言えば。と、湖の人魚の最期を想起して、無意識に男の口角が上がる。


(ああ、人魚メロウよ――ついぞ聞けなかったが。一度は愛した者に真正面から撃ち殺される気分というのは一体――どのようなものだったのだろうか――)







 銀の閃光が瞬いて――それから収まる。

 急激な明順応を避けるために目を背けていたコルヴォ達は、周囲の光が落ち着いた事を確認して目を開けた。


 七芒星の陣は、パリパリと音を立てながら緑の雷を帯びている。


 怪鳥の絵に被さるようにして倒れた灰色の男性は既に息をしていない。三人は目の前に現れたそれに、言葉を失う。


 現れたのは、尾がひたすらに長い鶏だ。


 背が高いエドアルドヴィチでも二人分はあるだろう巨躯に、黄の羽毛が敷き詰められている。赤く立派な鶏冠とさかは雄鶏である証だ。


 鉤爪のように湾曲したくちばしと、鱗が生えた猛禽の足。


(石化眼光もそうだが、爪に襲われればひとたまりも無いだろうな)


 緑の瞳はきょろきょろと辺りを忙しなく見回しており、鱗が生えた緑の尾は長い飾り羽の動きに混ざって、ゆったりと蛇行する。


(あの尻尾、鞭みたいに相当な威力を持っていそうだ。用心しないと)


 背中に折りたたまれているのは蝙蝠のような皮膜の翼。


(ああ、お嬢様もコルヴォ殿も先の戦闘を終わらせて間もない。果たして相手はどのような手段で我々を倒さんとするのでしょうか)


 それぞれ、思うところはあるものの。


 怪鳥は、広いロビーの隅で固まる三人を補足すると、おもむろにそれを広げ――。


『コッカトラ――――――――――――――――――――イスッ!!』


「「「     ―― へっ !?  」」」


 鳴いた――!!






 ――その日、大陸全土で謎の声が観測され大きな話題となった!!


 波長は鶏の早朝発声パターンと差が見られないにも拘らず大声量故に大気を震わせるほどの地響きを生み!! 大陸の端から端まで丁度五時半の超早朝に叩き起こされる羽目になった一般市民は騒音被害を訴え、各地域に詳しい説明を求める運動まで起こった――が。まさかその正体を知る人物が居るわけも無い。


 以後同じような騒音被害を訴える者も、耳にする者も居なかったので、騒動の記録もまた、大量のニュースと憶測に紛れて消えていくのだった。







 とはいえ。


 当事者たちは堪ったものではない。小細工無しの暴力的な叫び声に天井には罅が入り、天窓は砕け散り、三人は硝子の雨に降られる事となった。


 勿論、全員が人間を辞めている彼らが、硝子に降られた程度で死ぬはずも無い。


 がしゃがしゃと音を立てながら硝子に埋もれた青年の生首を回収し、コルヴォは信じられないものを見るように目を細める――。


「鳴いたな」

「鳴きましたね」

「というか、コカトリスって鳴くんだね!?」


 全身に擦過傷を作りながら、それでも彼らは目の前に現れた巨大な異形と対峙することを辞めようとしなかった。異形殺しブレイカーの本分は「人に仇なす異形を狩る事」なので、目の前の鶏もどきはもれなく討伐対象なのである。


「しかし、図体がデカすぎるな。何処に当てても銀弾は弾かれそうだぞ」

「私が爪とかかとで削ってあげるよ。陽動は任せた!」

「――いえ、お待ちくださいお二方」


 今にも飛び出そうとした二人を引き留めたのはエドアルドヴィチだ。スーツの襟はぴしりと決まっていて、白髪交じりのオールバックに血がついていなければ完璧だったが、それを直すほど余裕はない。


「どうしたの、エド。流石に異形を放っておくのは異形殺しブレイカーとして信頼に関わるというか……私の異形狩りの数も稼げないし、カラス君の呪いを解くにもコカトリスの肉が必要だし」

「それです。コルヴォ殿、一つよろしいでしょうか」

「……?」

「今の貴方にとって、コカトリスの肉は――急いでまで必要としている物なのでしょうか?」


 コルヴォはエドアルドヴィチの言葉に目を丸くすると、「いや、一応あいつは仇敵なんだが」と言いかけて辞める。


 少年がこの世界で怪鳥を食らわんとする理由は、。つまるところ、少年は願いを叶えたその瞬間に成仏する。ようはこの世とおさらばする運命にあるのである。


 その為に、銀弾を使用せずに怪鳥を捌く技術が必要なのだ。


 コルヴォは、少し前に青年と話をした事を思い出す。列車の中で、どうやってコカトリスの肉を手に入れるのか、銀弾を使わずに生け捕りとか、卵から孵したら早いとか、そういう突飛な話をした覚えがあった。


 少年は、記憶の中のカラベルに悪態を吐く。


 さて、今彼がこの場に居たとしたら。何というだろうか? 嬉々として送り出してくれるか、命惜しさに必死に引き留めにかかるだろうか――。


「今日は、昔ほど急いではいないな。だから私は死霊滅殺銃グールガンを手にしているのだろうよ」


 それが、コルヴォの出した答えだった。


「大丈夫だよエド。カラス君はそう簡単には死なないからさー。えっと、カーベル君の頭をお願いしてもいいかな?」

「……承りました」


 エドアルドヴィチはカラベルの頭部を抱え、深く礼をする。死にたくても死にきれない、生きた屍。その生き様を目に焼き付けようとする――。


『コッ――』


 コカトリスがまた、あの声を上げようとしている。直感的に人間に良くない音であろうと感じていた二人は、同時に駆け出した。銀弾を放ち、灰色の床を駆け、その黄色の羽に少しでも届かんと。


 しかし。


『コォ――――コッコッコッコッ!!!!』


 巨大な鶏は、放たれた銀弾も、向けられた銀の爪も気に留めることなく、大きなくちばしで足元に石化した召喚者を


「――」

「――」

「――」


『コォ――――コッコッコッコッコッコッコッコッ!!!!』


 木っ端みじんに、粉砕されていく鷲鼻の男。後で怪物殺しブレイカーの本部に引き渡そうとしていた三人は、あまりの事態に固まってしまった。


 人を呪わば穴二つ、とはよく聞く話。過ぎたる力を得ようとした者への天罰に似た因果応報。それが悲しいかな目の前で行われている。


「ええっと……この怪鳥自身もいきなり引っ張り出されてご立腹だったんだろうねぇ……分かる。怒るよね普通は……」

「……なんだ。また陣が光っているんだが」

「帰るんじゃない?」

「そんな馬鹿な」


 キラキラと輝きを纏いながら、結局陣の上から一歩も外に出ることなく、コカトリスは退場した。呆気なく。泥のような黒い何かも、供物として嵌め込まれていた黄金のコインも、召喚陣も、消えている。


 後に残ったのは割れた天窓の硝子片と、巨大な鶏のくちばしに止めを刺されたマッドサイエンティストの石像片。


 窓があった方向には、満天の星が煌めいている。


「……」


 コルヴォは一人、溜め息をついた。無言のまま立ち尽くしていても、物事はしまらない。


「ひとまず、日が昇る前に帰るとするか」

「賛成!」

「……このような終わりも後腐れ無く、案外すっきりしたものですね」

「確実に不完全燃焼だがな」


 少年は使用人からカラベルの頭部を受け取り、それからそこに倒れている青年だった身体を流し見る。どうやらコカトリスの「つつく」攻撃に巻き込まれたらしく、メカニックデザイナーが悲鳴を上げそうな勢いで破壊されていた。


(これでは、容易に運び出すこともできないか……)


 コルヴォは腕に抱いた青年に目を落とした。

 持ち運ぶ為に巻き付けていた髪を解くと、長い赤毛が床に落ちる。ゴーグルをかけていない青年の目線には一直線に痛々しい傷痕がある。


 そう。唯一人間だった青年がこの会話の輪に加わる機会は――永久に失われてしまったのである。しかし、青年はその異常性で誰かを脅かすことなく。事の黒幕は鶏がついばんで止めを刺した。


「……お前は十分健闘したさ。立派な怪物殺しブレイカーだったぞ。カーベル」

「……そうだね。帰ったら、せめてゆっくり眠れる場所に埋めてあげないといけないや。誘ったアタシにも責任がある」

「……できれば高級枕に寝かせるにとどめて欲しいぜ……」

「……あの、皆様。もしかして、わざとやってらっしゃるのですか?」


 感動のシーンに突き刺さった横槍。


 涙を零さないなりに悲しんでいたコルヴォとローラは顔を見合わせて、やはり意気消沈している現実は変わらない。


「何の話なんだよ? カーベル君は人間だから、生首ジョークは使えないの。普通に死んだに決まってるんだよ」

「そうだぞエドアルドヴィチ。首のみで生きるなど、どんなマネキンだ」

「そーだそーだー」

「いえ、別にマネキンは首だけで生きている訳ではありませんが」


 使用人は黄色の目を細め、少年の腕からカラベルの頭を受け取ると、少年少女と対面させる。


 赤い血の涙を流し、絶命した青年。


 使用人は、重い口を開く。


「お嬢様、コルヴォ殿。どうやらカラベル様は――悪運がかなり強いようですよ?」







 こうして激情の世界オーズワールドは幕を引く。供物の黄金に記された花はカラベル。

 花言葉は――「暖かいこころ」らしかった。




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