第23話 Useless silver bullet !


 ――ごとん。ごろごろごろ。


 モルタルで舗装された灰色の床に、赤毛の髪が転がり落ちる。

 一滴も傷口から血が流れない。溢れた赤は、青年の涙腺や口や耳といったあらゆる場所から零れた。


 虚ろな瞳には、未だ呆然としている少年少女の姿を映しているのだろうか。一度、二度とゆっくりと瞬きをして、鉄のように赤い目を閉じた。


 そして、開かない。


「……か、カーベル君……」

「……鉄の首輪が似合わんとは思っていたが――」


 少年は右目を見開いて、首を失った身体の方を見ていた。


 鉄くず――ブリキ。物語に語られるそれは、心が欲しいと嘆くサイボーグ。かつてである。


 だとすれば。こころを切り落とした今、これは完全に――。


 異常に冷静な思考が、一つの結論をはじき出す。


「――青年の身体から距離を取れ!」

「!!」


 青年の頭部を脇に抱え、咄嗟に後ろへ飛ぶコルヴォ。革靴の先には、司令塔を失った機械仕掛けの身体が穴を穿つ!!


「……っ!!」


 青年の身体だったものの指先が開き、小さな経口の銃が仕込まれていた事に気付く。先程彼が戦っていた時には使用していなかった武器だ。


「カラス君!」

「私の事は気にするな。それより、来るぞ。お前はそこに寝転がっている使用人をどうにかしろ!」

「そ、んな無茶を言わないで欲しいなぁ!? ――っ何!?」

「!」


 首を失ったカラベルの背後には奥へと進む暗い道が続いているが、その奥から音がする。人の足音と混ざって、何かがしきりに羽ばたく音――。


 ざり、と。

 影の内側から、ボロボロになった作業靴の先が湧き出た。


 肩にかけた白い研究服は色とりどりの鱗粉に彩られ、老いを感じさせるその肌の色を余計に病的にする。


 腰が曲がった鷲鼻の男。自称科学者オンス。またの名をOzオズ――カラベルとエドアルドヴィチを改造して異形へ近づけたマッドサイエンティストにして、人魚に心を奪われたその人である。


「お前が……!」

「……ほう、試運転には丁度いいかと思ったんだが――やはり若造は死を選んだか」


 コルヴォやローラの姿は視界に入っていないらしい。問いかけを無視する形で『鉄くずブリキ』の背後に立つと、そのうなじをなぞる。


 それはまるで、黒板に爪を立てたかのような――!


 余りの轟音にローラは思わず耳を塞ぐが、掌一枚で収まるものでもない。脳味噌がかき混ぜられる様な気持ち悪さが身体を支配していく。


(この音……!! カーベル君の意思が無くても発動するの!?)


「……ふむ」


 鷲鼻の男はふと、たった今気が付いたと言わんばかりに右を確認する。


「……『破壊の歌デストロイメロウ』は異形分子を取り込んだ者には見境なく響くはずなんだが」

「っ!?」


 振り返った鷲鼻に、少年の顔が引き攣る。間に割って入ったブリキの身体は、音も無く放たれたコルヴォの蹴りを難なく受け止めた!!


「――成程な。君にはこれが聞こえないのか」

「……っ!!」


 少年の踵を受け止めたブリキの身体が「びきり」と血管を浮かせる。そして、おおよそ人の動きではない駆動をもって少年の躯体を弾き飛ばした。


 コルヴォは飛ばされた先で腰を低くするが、小脇に抱えた青年の頭部が長い髪を揺らす。しかしその髪先が地面に着く前に、意志無き人形が追撃の構えを取る。


 カラベルの頭部が無くなった故に動きが単調になっているが、それは容赦がないこととイコールである。

 研究者の隣に立って離れようとしないブリキは、鷲鼻の男の傑作――最悪のボディーガードと化していた。


 機械仕掛けの右腕が開く。先程まで少年に向けられていた大経口の銃口ではなく――黒光りするガトリング砲!!


「動作確認には丁度いい。せいぜい私の為に戦ってくれたまえ『鉄くず』」

「――っ!!」


 放たれた銃弾を躱そうとするも肩に、膝に、腕に、瞬く間に被弾していく。常人離れした回復能力を持っているとはいえ、コルヴォはローラほど早く再生できるわけでも、怪力が使える訳でもない。


 そして、止めと言わんばかりに通路から大量の羽音が鳴り響く!!


 奥の通路から飛び出して来たのは大量の蝶――それは、冥府の蝶プシュケそのものだった。群体するそれは、見境なく鱗粉をまき散らし、血肉をむさぼろうと口を伸ばす!!


 コルヴォは散弾を躱しながら、蝶の群体にも追われる事になった。

 羽は依然戦った時よりも固い脈で張られており、殴る蹴るでは穴すら開く気配がない。


 少年は青年の首を一時的に赤毛の髪でグルグル巻きにし、小脇に抱えたまま大きく後退する。ローラとの距離が開くが、それ以外の方法が無かった。


「っ何故こいつらがここに――母体はすでに狩ったはず!!」

「女王が居なくなれば群れの中から新たな女王が産まれる。それだけの事だ。その程度も理解していないのか?」

「違う、周期の事を言っているんだ! こちら側に沸くには早すぎる!」

「……はぁ。たかが虫、されど虫。羽化の時期がこちら側と重ならないならば調


 余所見をしていていいのか? と焚きつけるような言葉を最後に男は踵を返す。少年はその白衣に銃を向けようとするも、その胸元には空のホルスター。

 黒い死霊滅殺銃グールガンをカラベルに握り潰されてしまっていた事を思い出す。


 そも、その銃が手元にあったとしても。

 銀の弾丸は「人間狂人」には効果が無いのだが――!!


「このっ、粉ばかり散らす共が!! 道をあけろ!!」

「っ、ぐう――カラス君……!」


 絶えず思考を乱す怪音に立つこともできず蹲る少女に向かって、男は恐れる様子なく足を進めていく。


 足元に転がるエドアルドヴィチを一瞥すると顔の方を何やらまさぐって、それから抵抗する力も無い少女の足元に落ちた、血まみれのコインを悠々と拾い上げた。


 ピンッ――爪の伸びた親指で弾かれたそれは、不格好な軌道を描いて男の掌に舞い戻る。


 既に全身を蝶の鱗粉で覆われているからか、鷲鼻の男に冥府の蝶プシュケが襲い掛かることは無い。交戦を続ける黒髪の少年を横目に、男はロビーの中心に行くと、二枚分あるその凹みに黄金のコインを埋め。


 義眼の少年の標的が、ブリキから蝶に変わったことを確認すると、男は首の無いブリキを呼びつける。


「では、私の願いの為に」


 もう一度死んでくれたまえ。


 切り落とされた首の中央。男は金色の輝きを一切の躊躇いなく抜き取って見せた。


 心と身体。二度殺された青年は、呆気なく機能を停止して床に倒れ込む。だが、その衝撃で怪音波が途切れたのが好機だった。


 瞬きの間に、少女の姿が移動する。男への動線を阻害する全ての蝶を銀の爪で殴り潰し、盤上に罅を入れんと足を床に叩き付け――。


「!?」


 ――ようとして、その足は踏み込むことができなかった。少女のつま先から膝にかけて白いワンピースの端も含め、下半身が一瞬で灰色に染まったからである。


「っ、なん、!?」

「……異形を作る人間が丸腰という訳にもいかないのでな。先程あの老人に貸していたものを返してもらった」


 鷲鼻の下、裂けたような口が笑う。ローラの目の前には緑の瞳――エドアルドヴィチの左目に埋まっていた筈の「怪鳥の瞳」が握られていた!!


「尤も、生き物と混ぜる余裕も無い只の遺物だが――そうか、これは面白い発見だ。まさか人間にも扱える代物だったとはなぁ!!」

「……!!」


 唇を噛みしめ、少年の方を流し見るローラ。ブリキの追撃が無くなったとはいえ、銀弾が無い状況で異形に対抗するのは自殺行為だ。

 どうにかして彼に武器を渡したいが――硬直した下半身は、少女の意思に反するのみである。


「……っ、貴方は人間だろう!? どうしてそこまでして……そんなにまで人魚が欲しかったのか!?」

「ああ――欲しい。何をしてでも手に入れたかったとも!!」


 少女の石化が腰辺りで止まる。男は最後のコインを乱暴に嵌め込むと振り返り、身動きが取れない少女の表情を見て悦に入る。


「解剖と理解を繰り返せど人魚を作る事はおおよそ人の所業では無かろうさ。だが私は協力者の力添えでそれを可能にした。童児だったあの頃に見たあの人魚を再現する技術を手に入れた!!」


 ……少女の表情が焦燥から、心底理解できない生命体へ向ける軽蔑の視線に切り替わる。


 ――もしかしてこの凶悪猟奇殺人者、ひたすらに変態なのでは――。


「無論!!」


 鷲鼻の男は、その年齢に比例しない大量の涎をまき散らす!!


「私が見た人魚は女体だった故それなりに裸体が整った女性を選別するのにも一苦労、また人体の仕組みを理解する為に何度も開ける人間が必要だがそんな存在は一人も居なかった!!」

「うっわぁぁぁこれは超絶嫌な予感が」

「検体百四十八は今までで唯一の成功例だったが、やはり人体に異形を合わせると浸食が激しい!! ならば!! 人の形をした異端でもいいではないか!? そうならば、君こそが――検体百五十七こそが真の人魚足りえるやもしれん!!」

「はぁ!? アタシを!? 何言って――本気!? 馬鹿か!?」

「本気さ。私は人魚に魅せられた者――吸血鬼が捌けずに何を今まで捌いてきたというのだろうか!?」

「いやぁー!? 結構こいつマジで気持ち悪い近づくな息を吐きかけるな!! 私の下半身を硝子窓みたいに扱うなぁあああ!!」


 足元では七芒星の魔法陣が何やら光を放っているが、そんな事はお構いなしと言わんばかりにローラに這い寄る混沌!!


 一方鷲鼻の男と距離を取る事すらできず、かと言って人間である怨敵を殺すこともできない少女は、ジレンマと恐怖とでない交ぜになった感情を糧に必死に身を捩って抵抗の意を示す――!!


「そもそも!! 貴方はすでに人を殺しすぎている!! 人魚が実在したとして、そのように血と死の匂いを纏った人間に寄って来るとでも思っているのかい!? 頭の捻子足りてないに違いないよ!? それでも研究者を名乗るつもりかい!?」

「創造主である私を愛せないというのならそれでも構わないさ、私は人魚の歌が聞きたい!! あの歌で私を殺して欲しいだけだ!! 鳴かずとも!! 鳴かせる為の機械を私は作った!! あの女性の彼氏の声であれば必ず振り向くだろうと仮説を立てた!! 結果としては予想を上回る効果が見られたのだから、例えば君の背後に横たわる男性を材料に使えば君専用の『破壊の歌デストロイメロウ』を作ることができるだろうさ……!!」

「狂ってる……!!」


 そうしてようやく、少女の目には七芒星の円陣に、何者の絵が刻まれているかを認識する。


 雄鶏の頭。蝙蝠の翼。蛇の尾。太い猛禽の足。


 義眼の少年が追い求める異形。世界の均衡を崩すとされる災厄の鳥!!


「まさか、そんな願いの為だけに貴方は――怪鳥コカトリスを呼び出そうというのか!?」

「ははははは!! そうだ!! そうすれば、好きな時に鳴き声が聞けるだろう!?」

「……!」

「さあ、君はどんな声を聞かせてくれるかな――」


 鷲鼻が少女に触れそうになったその時。少女の遥か後方から、もの凄い勢いで物が飛来した!!


 具体的に言うと、男の顔面にクリーンヒットする形で、勢いよく回転がかかった、どこかで見覚えのある――。


「お嬢様!! それをコルヴォ殿に!!」


 エドアルドヴィチの、十五年ぶりに聞く肉声。

 人間を無事に捨てたその声に、少女は三日月のような笑みを作る!


「っあはははは――!! 今世紀最高のタイミングだよ、エド!!」


 顔面を抑え立ち眩んだ鷲鼻など目もくれず、ローラは金の髪を振り乱し、自由な腕で少年へ銃を投擲する! 


「受け取れないなんてことないよね! カラス君!」

「っち、舐めてくれるなよ小娘があああ!!」


 熱を持ったスライドが瞬く間に火を噴く。撃ちだされるのは吸血鬼の血液と溶解した銀の弾丸!! 異形の身体を蝕む赤と銀が、少年を食い殺そうと襲い掛かる蝶の胸に突き刺さっていく――!!


「――滅殺キル!!」


 銃を持てば強いもので、自らにたかっていた冥府の蝶プシュケを全て撃ち殺すのにさほど時間は要らなかった。コルヴォは粉まみれになった頭を振り、ゴロゴロする義眼を気にしつつ、満身創痍で腕を上げる。


 かつて青年カラベルの手に握られていた死霊滅殺銃グールガンを――カラベルを殺した男に突きつける!!


「……はは、はははははは!! だからどうしたというんだ? 銀弾では人間を殺せないだろうに!!」

「人間は殺せずとも」


 少年は引き金に指をかける。


「目玉一つかすことは難しくない」

「……あ?」


 音が遅れて聞こえ、乾いた発砲音がロビーに響き渡る。


 おおよそ人間を殺せる威力を持たない銀鉄砲。

 音速で撃ちだされるからには肉の壁を破壊する程度の威力を持つそれが、男の指先ごと握り込まれていた怪鳥の眼球を撃ち抜いた。


「ぁあ?」


 痛みを知覚するまでに数秒。指が落ちた事実を認めるのに数秒。


「……あああああああああああああああああああああああ!!??」

「っははぁ! ナイスショットなんだよカラス君!」


 床に縫い付けられていた少女の体が、あっという間に色彩を取り戻す。

 一方、装填していた銀弾を撃ち尽くしたコルヴォは呪いから解放された少女を巻き込むような形で抱きかかえると科学者から距離をとり、エドアルドヴィチの元に合流した。


 エドアルドヴィチの瞳は、少女と同じ金色に変化していた――緑の瞳の面影はなく、しかし左目を失った使用人は、襟を正す余裕も無いままにローラの目の前に膝を着く。


「お、お嬢様……! 申し訳ありません私は……! いかような罰をも受けますので……! そ、それはそうとお怪我はありませんか……!?」

「うわぁ! っちょ、アタシは大丈夫だから! そんな、泣く事なんてないよエド!?」


 見慣れた元の主従関係を横目に、一人冷静を保ったままコルヴォは青年の頭部を床に置く。持ち運びやすいようにと髪を顔に巻き付けているので傍目にはシュールな光景であった。


「……」


 無論。赤毛の青年は身体の大半を機械化されていたとはいえ、只の人間。生首になった今、彼が口を開く事は二度とない。


「私なりにの仇を取ってやろうじゃないか。カーベル」


 身軽になったコルヴォは、オンスの方へ視線を移す。一度はOzオズと呼ばれた男は、千切れた指を拾っては必死に引っ付けようと躍起になっていて――その血が光り輝く七芒星に散らばった事に気付かない。


「あああ……あああああああ!! ああああああああああああああ!!」


 光が強くなるにつれて、男が叫ぶ声量も増していく。七芒星はどす黒い石炭かヘドロのように泥化して、男性の足元をじわじわ飲み込んでいく。


「……ねえカラス君。アレ、ちょっとやばいよね?」

「だとしても、我々にアレを止める義理などない」

「……確かに、そうだねぇ。こっちは身内を一人殺されちゃってるし」


 でもその後はどうしようか? ローラが呟き、コルヴォは黙ってスライドを上下した。新しい銀弾が装填され、発砲を可能にする。


「異形は殺すだけだ。上手くいけば、私には怪鳥コカトリスの肉が手に入る」

「うーんぶれない。本当君、怪鳥関連だと見境がないよねー。骨は拾うから安心してよ!」

「……状況を考えろ。返り討ちにあう前提で話を進めてくれるな!」


 陣が一際強く輝いて。科学者は叫びながら光に呑まれていく。

 左眼窩の幻肢痛が、彼に残った人間性を自覚させる。


 ロビーは、瞬く間に銀の光で覆われ――。




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