第22話 Cut steel metal heart !!


 老齢の男性の身体から、赤の煌めきが床に散らばった。


「――!!」

「……!!」


 言葉を、紡ぐ暇も無い。エドアルドヴィチに駆け寄るローラには目もくれず、青年は少年へと距離を詰めた。


 放たれる銃弾を身一つで躱した少年の懐に入ったカラベルは、まだ融解が終わっていない灼熱の銃身を手に――破壊する。


「っ!!」

「あぁ!? 余所見する余裕があるのか!?」


 向けられた手刀は少年の眼前を空ぶ――ったかに見えた掌が「がぱり」と黒々とした穴を開け――コルヴォの顔面に突きつけられる。


 どばん!!


「――っ!!」


 紙一重。迷いなき引き金を避けるには、一瞬足りた。

 コルヴォはその場を転がって距離を取り、体制を整える。

 死霊滅殺銃グールガンは既に使い物にならないだろう。遠くの方へ叩き付けるように投げ捨てた。


 乾いた喉が貼り付き、変な声が零れる。


 開いた間合いは距離にして五メートル――空間把握が鈍い。どうやら今の衝撃で片耳が馬鹿になってしまったようだ。


(しかし、一瞬の攻防でこれほどとは……!)


 追撃。足元に突き刺さる銃弾を飛び退くことで避けるが、そもそも飛び道具を相手にするのに後退は悪手である。


「――逃げてくれるなよ!! カラス頭!!」

「ふ、はっ! 逃がすつもりも無い奴がよく言ってくれる!!」


 状況は最悪。しかし少年は悲観することなく後退を続け、壁を蹴り飛ばした。青年の反射は追いつかず、少年の膝蹴りが顎元に振るわれる!!


「ぐ、う!」

「……っ!!」


 カラベル青年は脳と骨以外を機械化された人間である。逆に言えば、脳そのものは只の人間のもの。


 撃ちこんだ右足を起点に左回し蹴りを青年の頸に叩き込むコルヴォ。だが、流石に二度も同じ攻撃を喰らうカラベルではない。受け止めた少年の足を掴むと地面に叩き付ける!!


 全くの鈍りが見えないその動きに、コルヴォは戦慄する。床に叩き付けられた衝撃で視界に火花が散った。


「ははっ、そう言えばあんた、俺に初めて会った時、自分のことをっつってたよなぁ――ありゃあどうしてだ?」


 少年を床に足で縫い付け、抵抗しようと伸ばされた手首を撃ち抜くカラベル。腱が千切れると同時に髄を走り抜けた高熱にコルヴォは顔を歪めた。


 青年は少年のもう一方の腕も同じように撃ち抜いて、それから腕を組んだ。足は少年の背に乗ったままだ。


「俺が人型をしていたからそう言ったのか……いや、違うよなぁ。多分、異端であることと人間である事があんたの中で矛盾していないんだ。それなら色々と頷ける」

「戦闘中に思案とはふざけた真似をしてくれる……!!」

「思案っつーか、答え合わせ的な? だって今あんたを殺しちまったら俺が答えを聞けねぇじゃんか。なぁー。四の五の言わんで答えてくれよー」


 ぐりぐりと背骨にかかる負荷が増していく。


(こいつ……! こちら側に来てから何か事故にでもあったのだろうか!? 性格に著しいバグが発生しているように感じられるのだが!!)


 背中は痛いし両腕は痛いし倒れた方向が悪くてローラの安否は確認できないしで、明らかに思考が雑になっていくのを認識しながら、コルヴォは必死にこの場から逃れる方法を考える。


 ――カラベルが指摘したように。コルヴォはその性質の半分ほどを人間に割り振っている。異端と呼ばれるのは、明らかに人が生きる寿命を超えているという理由で暫定的に振り分けられているカテゴリに過ぎない。


 石になったコルヴォを拾った吸血鬼ローラは、死に逝く少年を完全に異端化させることができなかったのである。


(当時は大分謝られた気がするが。「御免! 失敗した!」とか言って。誠意は無かったな)


 コルヴォに出会った時点で数十年吸血鬼として生活していた彼女は、そういう場合の応急処置の仕方も心得ていた。曰く、「上手く混ざらなかったからいっそ継ぎ足せばいいじゃないか!」という理屈らしい。


(だが、素直に説明するにも面倒だ)


 既に期限が切れている筈の人間としての生を、吸血鬼の血を血清として投与することで延命し続けているだけ――コルヴォという怪物殺しブレイカーは、ちまたで流行るヒーローのように、仲間が危機に陥ったり自らが死の淵に追いやられるような悪条件下で、都合よく覚醒するような能力を持っていない。


 少年が時折血清を投与して戦闘に出るのは、一時的に身体を異形に近づけているのであって――酷い無理をしているだけなのだから。


「うぉい、聞いてる? 腕の穴が増える一方だぞ?」

「……はあ。まあ、痛いのは痛いんだがな。生憎私はお前が望むような大逆転の術を持っていないのだよ」

「は? 無策で突っ込んできたのかよばっかでぇ。で? あんたは人間なのか? それともエドさんみたいな状況なのか?」


(――ん? ……なぜ、そこでエドアルドヴィチの名が出る)


 口では理解できないといいつつ、興味と共感を示そうとする青年。

 ……そもそも、明らかな殺意をこちらに向けているにもかかわらず、どうして彼はコルヴォを蜂の巣にしようとしないのだろうか?


「……いいや。気になった事は後であんたらを解体して解明するとして。そろそろ構わないか? 最大火力にすりゃあ、あんたの頭、一発で吹き飛ばしてやれそうだぞ」


 カラベルは言う。銃口を少年に向けて言う――その行動自体に違和感がある。今度はしっかりと、その声音まで耳に届いた。


 鉄がかち合う様な音がする。エナメル質が震えている。

 感覚が戻って来た鼓膜にそれが届いた時、コルヴォはそれまで抱いていた迷いを切り捨てることを決めた。


 ああ、そうか。分かった。。と。


「……気が変わった。答えてやろう」

「おっ、らっきー」

「……私は化け物を殺す者だ」

「おう」

「……これは、有名な劇作家の台詞にも繋がるんだがな」


 コルヴォは、青年の心に釘を穿つことを選んだ。


!!」

「――――は」


 虚を突かれたカラベルの足がほんの少し浮いたのを見計らい、コルヴォは青年の足を払い飛ばす。肩から地面に叩き付けられた青年は衝撃で意識を取り戻し、引き攣った顔のまま体制を立て直す。


「なっ、ん、それ――答えになってねーじゃねーかよぉおおお!?」

「それが回答だと言っているんだ馬鹿野郎!! 行間を読め!!」


 特攻をかける少年の肘を捌き、今までのように銃を構えれば良いものを、何もできずに後ずさる。額には脂汗が浮いていた。


「行間!? 今の会話の中に行間とかあったか!?」

「――あった!!」


 コルヴォは振り下ろされた青年の手刀を受け止め、逆に引き摺り倒す。起き上がろうともがいたカラベルの首を掴むと、体重をかけて床に叩き付けた。鈍い打撃音が響き渡る。


「いっだぁ!?」


 同時に腹部に乗った革靴が食い込む。鳩尾がみしりと音を立てる。

 カラベルは肺の空気が叩きだされたことを感じて反射的に口を開けた。しかし声を出そうものなら首が締まる!


「ってめ」

「ブリキ――お前は、酷い勘違いをしている」


 肌が泡立つ。そんな機能は付いていない筈なのに。

 目の前で見開かれた義眼は、照明の光に鈍い陶器の肌を反射する。


異形化け物にならなければ人間狂人が殺せないとでも思ったか!!」

「な、に言って……! 俺は、元の俺、に! あんたらに出会う前の俺に、戻っただけだっつーの!!」


 青年の瞳孔が開いた。喉ぼとけが上下する。脈が速くなる。


「健忘のフリも死んだフリもそのくらいにしろ。そして、今ここで抵抗を諦め、お前が計画して来た全てを放棄することを私は勧める」


 少年は右目を血走らせ、薄い唇で言葉を紡ぐ。

 直感ではない。推測でもない。それは、ただの観察の結果だった。


「人間だろうが機構だろうが、この世に法があろうがなかろうが、お前が人であることを辞めようが辞めまいが、お前が自分を殺そうが生かそうが、我々にとっては全く関係がないことだ」


 だが。


「勘違いしてくれるなよ――怪物殺しブレイカーは人間を殺す為にここに来たわけではないのだから!!」

「……っ!!」


 青年は歯を噛みしめた。顎が軋む程に、脳が千切れるほどに、きつく、きつく、それこそ、歯が割れるほどきつく!


「お前がしようとしている事は誰が許そうとただの人殺しだ!! 化け物に成ったという大義名分を抱いて自らと他人を道連れにしようと画策した穴だらけで成功の光明すら見えない散々で哀れで目も当てられん復讐劇に他ならない!!」

「っぐ」

「舞台で踊らされていることに気づかなかった己の愚かさを顧みてはどうだ!? まさかとは思うが我々がお前とエドアルドヴィチを殺した挙句!! 事の発端を作った研究者をなぶり殺しにしてくれるとでも期待したのか!? 馬鹿か!! そんなことするものか!! 我々を一体何だと思っているんだお前は!?」


 首を抑えていた小さな手は、いつの間にか胸ぐらに移って青年の上半身を揺さぶっている。


 少年の目を見ていられないと、錆色の瞳は明後日の方向を探す。だが、逃げられない。盲点のない機械仕掛けの視界では、どうしても彼の顔がはっきりと認識できてしまう!!


「ち、違う――俺は、そんなこと」

「何が違うものか!! 一体どのタイミングで記憶を取り戻したのかは知らんがこちらに相談の一つも無しに潜入自爆巻き込み大作戦を実行するだと!? 巻き込まれたエドアルドヴィチの身にもなってみろ、お前は――」

「――ちげぇよ、エドさんは関係ねぇ!!」


 胸ぐらを掴む少年の腕を引き剥がし、青年は叫ぶ。赤毛が背中に落ち、瞳には熱がこもっていた。


「あの人は――選んだだけだ。あんたらがここに辿り着いた時に!! ここで!! あんたらの目に届く場所で死にたいと願っただけだ!! 俺の復讐とは関係ない!!」

「……!!」

「異形に変わる時、人間の自我は! 摩耗して消えていくんだよ……! あの人はまだ、異形になりきっていなかった!! ――だから!!」


 ――復讐を肯定し。自死を肯定し。その引き金を押し付けられて。

 ――作り物の心臓は、鉛でできているように重いくせに、空っぽで。


「――何が正しいかなんて俺には分からない!! 俺があの時と一緒に居た事が間違いだったのか!! をバラバラにしたジジイの夢が悪いのか!! そんな技術の欠片が世界にあった事が悪いのか!! エドさんが街の人間と自分を天秤にかけたのが間違いだったのか!! 俺がここに戻って来たこと自体が間違いなのか!! 最適解なんか知らねえよ知りたくもねぇ!! 俺はただ、あの日守れなかったものに報いたいだけだ!!」


 ――どうしようもなく、心が寒い。

 ――口をつく言葉は、吹いたら消えてしまいそうなほどに軽い。

 ――間違っているのだろう。間違っているに違いないのだから。

 ――否定されて構わない。それが最善だとする彼らと、自分は相容れないというだけの話。


「いっそ、忘れたままでいられれば!! のことも!! 俺の事も!! 全て!! 知らないままジジイ目がけて引き金を引けたってのによお!! どうしてくれるんだ!! 全部滅茶苦茶じゃねーか!!」


 削れていく。カラベルという人間性が壊れていく。

 知らないままでいてくれたらどんなに幸せだっただろう。理解されないまま命を奪ってくれたならどれだけ幸せだっただろう。


人間オレはどうしようもなく弱くて、醜くて、そんでもって非力で、覚悟の一つも持てない雑魚で、誰も救えなくて、自分すら信用ならない、出会ってきた異形のどれよりも


 ああ――思考が摩耗する音が――。


「カーベル君」


 砂嵐の耳鳴りを遮るように。

 離れた位置から、聞きなれてしまった上司の声がする。


「大丈夫だよ。もう、エドは助けたから」


 銀の爪の上に、黄金のコインが舞う。


 血塗れたそれは、エドアルドヴィチを異形たらしめていたものだ。取り除かれて適切な治療がされれば、彼は人間に戻ることができるだろう。


 ローラは酷い顔をしていたが、直ぐに普段通りの笑みを取り戻す。

 白いシャツを赤く染めたエドアルドヴィチは、床に寝かせられて浅い息を繰り返している。


「だから次は――ブリキ心臓こころを取り戻す」

「……!」


 そう。コルヴォは囮だった。カラベルを激情させ、引きつけるのが彼の役目。それはエドアルドヴィチが撃たれた時に決まった作戦の一つ。


 彼らは、青年の自我が残っている可能性に賭けたのである。そして、見事に勝ち切った。


 青年は彼らと対面したその時から――掌の上だったのである。


「は、はは……ははははははははは」


 顔面が引き攣る。全てを台無しにされた憤りなど、そこには無い。

 負けた。全身全霊でぶつかって、完膚なきまでに叩きつぶされた。


「笑うしかないな? そうだろうそうだろう、しかし、追い詰められた人間の策略ほど読みやすく、裏をかきやすい思考はあるまいよ」

「ははっ……ははは、いや、何ていうか、心は脳にあるもんだろ」

「知らんな。なら何故心臓の事を『ハート』と呼ぶのだ」

「ははははは、発想がピュアだぜ全く……」


 掴んでいたコルヴォの腕を手放し、背後に回ったローラの気配に降参の意を示すカラベル。その開閉式の腕を恐れることなくぎゅっと握る少女。


 青年に戦闘を再開する意思がないと、信頼しているようだった。


「よし、それじゃあ人数が揃ったところで、やらかした科学者をとっちめに行くんだよ! その身体の仕組みじゃあ、カーベル君からコインを引き抜くわけにもいかないしね!」

「機構の働きをコインが制御している可能性があるのか……全く、厄介な身体をしているなお前は。我々に迷惑をかけまくりだ」


 コルヴォはそう言って立ち上がり、すっかり血も止まった腕をカラベルに差し出す。引き起こすつもりのようだ。


 カラベルはその手を取ろうとして――辞める。


 その耳には、聞きたくも無い別の音が届く。近付いて来る足音。そして、これから起こる逃れられない現実の兆し。


 あのジジイがここまで読んで、時間制限を設けたのかと思うと――すえ恐ろしいことだ。


「……コルヴォ。ローラさん。今ここで何が起きても、あんたらならきっと動じないで居てくれるだろうから――言っておくぜ」


 カラベルは、後悔しないように目を開ける。せめて最後の時ぐらいは、彼らの顔を忘れないように。


「俺を化け物で終わらせないでくれて、ありがとう」


 そう笑って。心から笑って。

 耳鳴りのような金属音が一際大きくなって。







 青年の首は。鉄の刃に切り落とされた。







「「――は?」」





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