第21話 SEVENTH = Tin


 湿気の多い冷たい空気。鍾乳洞のようなテクスチャ。

 目に見えるのは降り注ぐ粒子。白金の矢の雨。


『カラベル様。こちらです』


 一歩先を行くスーツ姿の男性。白髪交じりの長身で、その襟をぴしりと整えた様は一流の使用人そのものだ――が、異形である。


 黒い布に黒い糸で刺繍が施された眼帯の裏には、緑色をした「怪鳥の目」が嵌め込まれている。

 エドアルドヴィチは開いた赤い瞳をこちらに向けると、軽く礼をして先へ行くよう促した。


 カラベルは男性の前で立ち止まる。足元には気持ち程度の段差があり、その先が部屋ラボだという事を明確にする線引きがされていた。


「気が進まねぇな」

『……それは』

「はは。冗談だよ、そんな顔をしないでくれ。エドさん」


 青年はカラカラと笑って、それから笑う事を辞めて、一か月前まで自身が閉じ込められていた部屋に足を踏み入れる。


 成分も知らない溶液の瓶が、そこかしこに並べられている。浮き上がるのは、異形の肉片と人間の肉片。まるで料理をする材料を並べるように、臓器ごとに分けられたそれが静かに脈動を繰り返している。


 部屋の中は雑然としていて、何か細かい字で殴り書かれた設計図なのか落書きなのか、どちらにせよ失敗作だろうそれを踏みつけに、眼球周りを黒々と墨で塗ったようにやつれた男がそこに居た。


「よぉ、久しぶり。だが、わざわざ連れ戻すこたぁなかったろうが」

「……戻ってこないから新しい奴まで作って連れ戻したのだ。鉄くず」

「はっ。俺の作り手はえらくご立腹のようだな?」


 カラベルはくるりとエドアルドヴィチの方を振り返り、扉を閉めるように口パクで伝言する。


 ――しばらく外で待っていてくれ。あまり見せたいものじゃない。


『……』


 青年の言葉に相槌だけを打ち、扉が閉まる。

 扉の向こうからは、杖が肉を殴る振動がした。







「よお、待たせちまったなエドさん。もういいぜ」

『……』


 けろりとした顔で扉を開けたカラベルは、一時間ほど外で待っていたエドアルドヴィチに声をかけた。掠れた声が更に疲れを伴なって低い。


 喉ぼとけの下には、先程までは無かった銀色の武骨な首輪。

 頬の一部が捲れていて、肉の代わりに金属の機構が顔を覗かせていた。


『いいえ。カラベル様こそ大事無いようで』

「……はは! あんたも大概だな! それでこそって感じだが」


 これじゃあまるで溶鉱炉に落ちる末来ロボットだぜ――言いつつ、剥がれた人工皮膚を応急処置的に左手で抑えるカラベル。

 青年の立っている位置から離れた作業台に向かい、鷲鼻が曲がった研究者はペンを走らせていた。


「んで、ジジイよ。この人は何を引き換えに実験台になったんだ?」

「……だ」

「へー。よく分からんが、理解しようとも思わねぇな。で、どうするんだ。この場で処分するのか?」


 やり取りを聞いた老齢の男性の目元に、僅かに皺が寄る。

 鷲鼻の研究者は青年の発言に眉根を寄せ――首を振る。


「知らんな。彼はお前を連れ戻すために急を要して組み上げた失敗作だ。欠陥は多いし異形との混ざりも甘い……しかしまぁ、使い道はある。お前が使えないと判断するなら、勝手にするがいい。目は残せよ」

「全権放棄かよー。俺、指導とか苦手なんだがー?」


 カラベルは笑って、それから身に付けていたポシェットの中身を机に乗せる。宿り木、冥府の蝶、双頭の蛇、金切かなきりの人魚、群像する有翼種ドラゴン――しめて五枚。五体の異形が落としたコインである。


 片面には同じ花の絵が掘られていて、裏には『OdrWorld』の文字。


「ほう、人魚も殺したのか」

「そいつは知らねぇ、気付いたら死んでたらしいし。だが、必要なのはこれを集めるっつー過程なんだろ。で、残りの二枚は何処なんだよ」

「残りが二枚だなんて教えた覚えはないが」

「人魚の置き土産にそんな風な事が書いてあったんだよ。というか、俺の記憶を引き剥がしてまでさせる事だったのか? お蔭で随分と遠出する羽目になったんだぜ?」


 積み上げたそれをわざと崩す。褐色の指は宙を彷徨い、一枚選んで親指で弾いた。上手くいかずに床に落ちそうになったのを慌てて拾いあげる。


「……無論、残りの二枚もじきに集まるだろうさ」


 鷲鼻を触りながら老人は呟き、コインをカラベルに返す。


を引き摺り出すための材料は揃った。コインを揃えることさえ叶えば、呼び出すことが可能だろう」

、ねぇ。なあジジイ。あんたが石像にしようとした人魚は、声も出せずに泡に還ったらしいぞ」

「構わん。今の私には人魚を何体でも作れる技術がある。思想を受け入れてくれた協力者がいる。異形の調達先も、適合する人間の調達先も確保したからな。今更古型プロトタイプにこだわる理由も無い」


 ――その言葉を耳にした青年の表情は、その場にいた誰もが見逃した。


「どうした。鉄くず」

「いいや? 損得勘定がジジイらしいと思っただけさ」


 カラベルはそう笑って、踵を返した。鷲鼻の男性はそれを引き留めようとして辞める。作業台の横に置いたレーダーが、何かを探知したからだ。


「鳥か? いや、それにしては巨大だ」

「――あぁ、それ。俺が連れてきちまったかもしれねぇな」


 まるで散歩のついでに犬を拾ってきたと言わんばかりだが、その目は剣呑として鋭い。


「反応は二つだろう?」

「ああ。なんだ、取り入っていた怪物たちか?」

「まぁそんなところだな。……ってーか、思ったよりしぶてぇな。街の住民ごとエドさんが石にしたって言うのに」

「もしそうだとして、発信機の類は妨害を効かせているはず。何故この場所が分かった……?」


 鷲鼻は首を傾げるが、瞬きをすることなく顔を上げる。どうやら考えるよりも排除が先だと結論付けたらしい。


「まあいい。彼らの情報はあるか。殺せる相手か?」

「んー……詳しくは俺も知らんが、女の子の方はパワーキャラでカウンターしか通用しないから俺には相性が悪い。身体ごと捻じ切られたらおわりだからなぁ。中身鉄だし」

「もう一人の方はどうなんだ」

「ん? あー、そいつは殆ど人間と変わんねーよ。死ににくいだけで、しっかり怪我もする。武器は銃だが、使っているのは銀弾――異形じゃねぇ俺には効かねぇな。当たったら熱いだろうけど」


 青年は過去の自分を想起しながら情報を組み立てていくが、考える端から集中が途切れてしまって結論が出せなかった。健忘にしては人間らしい忘却率である。その様子を観察しつつ、鷲鼻の男は溜め息混じりに指示を出す。


「ならお前はその銃使いを相手にしたらいい。女児はそこの新入りに任せろ。良いな」


 青年は内容をそのままに理解し、首を縦に振った。後ろに控えているエドアルドヴィチにも目線がうつる。スーツ姿の男性は、髪を整えていた手を胸に添えて会釈した。


「ういっす。じゃあ、ちょっくら殺してくるぜ」

「コインは陣に嵌めて来いよ」

「っは、言われなくとも」


 カラベルは部屋を後に、エドアルドヴィチと外に出た。


 温い風。肌に粒を作るそれが、汗の代わりに流れ落ちる。


「……」

『……』


 青年と老齢の男性は無言のまま鍾乳洞染みたテクスチャの上を行く。天井は妙に雰囲気があるのに、地面はモルタルで固められている。

 青年は「それもそうか、ここは元々石切り場で、中途半端に埋め直したに過ぎない場所なのだから」――と、自分を納得させた。


『カラベル様』

「……いや、エドさん。その敬称辞められねーの? 呼び捨てにしてくれると嬉しいんだが」

『いえ、そういうわけには』

「真面目だなぁ。エドさんは異形に向いてないと思うぞ、俺は」


 頭空っぽにするの、苦手そうだし。

 カラベルはそう言いながら、通路を抜けた先にあるロビーに辿り着く。


 外と出入りする為の扉はもちろん、ここには唯一外の光を取り込むための天窓がある。今は日光の代わりに月光が差し込んでいるが、昼間はこれだけでも明るい。


 ここに何年も閉じ込められていた青年にとっては、見飽きた光景だが。


 月の光が降り注ぐその場所には、下水道の蓋のような丸い溝と模様とが刻まれている。


『……陣というのは、こちらの円盤ですかな』

「ああ、そうだよ。七芒星っつーの? 俺はよく知らねぇけど、これが呼び出しに必要なんだとさ」

『呼び出し』

「ああ。異形を石化させることができる強力な異形――今のジジイのブームは石化らしいからな。大方、作った人魚を手元で愛でたい欲が勝ったんだろう」


 手にしたコインを眺めながら、定位置に嵌め込んでいくカラベル。花の柄を下にして、表面には不揃いの絵と「OdrWorld」の刻印。


「……全く、全容が掴めねぇ絵の切り取り方だよなぁ――まさかコインの柄がコカトリスの絵のパーツになってるなんて誰が思うよ?」


 パチン、と。手にしていた五枚のコイン全てを嵌め込んだカラベルはやれやれと肩を竦めて見せた。


「んなの、元の絵を知ってる奴にしか分からねーっつーの。ヒントが適当すぎるんだよなー、あのジジイ」

『……カラベル様は、何度もこのような事を?』

「ん? ……ああ、『カーベル』の事を心配してくれてんのか。ありがとな。でも俺は『カーベル』じゃあねぇよ。今回の一件であいつは遂に死んじまったようだしなぁ」


 青年はひたいを抑え、自分の脳から記憶を引き摺り出す。「カーベル」という青年が生きたこの一か月を思い出す。


「そもそも『カラベル』って言うのは、俺が人の子としてこの世に生まれ落ちた時に親がくれた名前でな。あのジジイからは別の名前を貰ってる」

『私が「コカトリス」と呼ばれたように、ですか』

「おう、そんなところだ――んで、こんな事を毎回やってるのかっていうと、そうでもない。というのもジジイがあんなだからさ、俺は『カーベル』っていう疑似人格を作るぐらいには追い詰められててな? たまらず逃げたんだよ。ここから」

『は、はあ。逃げた』

「逃げた。んで、長いこと泳がされた。


 かつん、と。金色のコインの一つに爪を立てる。


「あのジジイは夢見た人魚の為なら何でもやる馬鹿みたいな科学者――つまるところ、ただの趣味で組み上げられた俺やエドさんは、アウトオブ眼中。まあ、利用できればしようか。位の注目度な訳だ」


 がりがり、と。金色のコインの一つに爪を滑らせる。


「そもそも、どうして異形の脳波を乱す周波数の音源を俺に搭載したのかっていうところがまた、異常なんだよなー。聞きたいか?」


 がりりり。


 爪が剥がれそうな勢いではめ込んだコインに爪を立てるカラベルに、エドアルドヴィチは目元を引きつらせる。


『……いえ』

「そっか。まあ、そういう背景もあって、俺にはGPSっつーのがついてなかった訳だ。だから、ここを探りに入ったエドさんをとっつかまえて異形化させて俺を捕まえさせたんだろうよ――」


 そうして青年は立ち上がり、伸びをする。体操をするような気軽さで、機械仕掛けの身体を解していく。


「――さて。ようやく客が来たようだ」


 青年の錆色の瞳が閉じられ、長い赤毛が降り注いだ衝撃で舞い上がる。

 天窓があった位置を突き破り、天女のように神々しい白のワンピースが舞い降りた。


 その背中には竜か蝙蝠の如く膜がある翼、金の髪は頭の上の方でツインテールに。見開かれるのは黄金の獣眼。

 一方少女の華奢な腕には、左目が義眼でカラスのように黒い髪をした少年が抱かれていた。


 お互い、再開の挨拶を交わすような雰囲気ではない。


「――」

「――」


 無言のままエドアルドヴィチが構えをとった。ローラが腰を落とす。

 対してカラベルは口を開いた。コルヴォも肩の力を抜き、ニヤリと口を歪めて見せる。


「よお、コルヴォ。昨日ぶりか? 元気そうだな!」

「あぁ。カーベル、お前も元気そうで安心した。これで気兼ねも同情もなく銃を向けられるというものだよ」


 じゃっこん――銀弾のスティックを詰め、スライドが上下する。

 黒いバレルはゆったりとした動きで、カラベルの脳天に狙いを定める。


「おうおう、こえーな! 何だよ、ここは感動の再会シーンじゃねーのか!?」

「……お前は違うだろう? 我々が知っている彼は、消えたのか?」

「まあ、その辺りは想像に任せるさ。で? あんたらの目的は何だ?」


 笑うのは辞めずに、丸腰の青年は手荷物を壁へと放り投げる。

 少年は笑うことなく、歪めた口を開く。


怪物殺しブレイカーとして、異形を無為に刺激する科学者――オンスを止めること」

「そうかそうか! それなら俺とお前は敵同士だな! ははは!」


 視界を制御するゴーグルは既に無いにもかかわらず、癖で掌が目元にあてられる。左右のこめかみと目の間に走る傷痕。笑う時に細くなる錆色の目。よく見れば、その瞳すら機械仕掛けで動いている――。


「ははは……はあ。もういいか? 十分笑ったもんな?」

「……ああ、十分笑ったさ」

「よし。それじゃあ殺し合おうぜ――俺は『鉄くずブリキ』っつーんだ――宜しくなぁ!!」


 カラベルは

 手首の裏に仕込まれていたのは凶悪な形状をした大経口の散弾銃。


 そして。


 





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る