第20話 Without scratches !


 街の外れ、湖のほとり。かつて美麗な人魚が潜んでいた場所。


 義眼の少年と吸血鬼の少女は、まだ日が高い正午過ぎに昼食を返上してその小屋の前に訪れた。掘っ立てられたプレハブ小屋は、多少なり掃除がされている街中とは正反対に荒れ果てたものだった。


 壁には蔦植物が這い、硝子に付着した汚れのせいで中の様子は全く伺えない。周辺には雑草を通り越した低木が生い茂り、名前も知らない花がぽつぽつと咲いている。


「自称科学者、オンス。彼は人魚の目撃情報を業界に流した内の一人だね。とはいえ湖の近くに住んだ人間なら、そこに何かが住み着いていてほしいという願望ぐらいはあるだろう。……そう楽観していたんだけど」


 言いつつ、資料から顔を上げたローラ。黒いフード付きパーカー(聞けば、これは魔女に借りた服だったらしい)と、その裾から覗く白のワンピース。さらに足には火傷をしないように黒いタイツが追加されていた。


 ローラはプレハブ小屋周辺を見回して、生き物が住み着いていないことを確認する。


「誰も居ないね」

「……そうだな。人間の気配はおろか、虫の気配すらない」


 コルヴォは拠点から調達してきた新しい義眼を涙液で潤しつつ答える。


 住民票と照らし合わせても、湖周辺に住み着いているのはオンスのみである。名目上は「別荘」という体をとっていたらしい。

 少女はフードの影で顔を隠しながら、当たり前のように鍵がかかっているアルミ扉のノブをガチャガチャと回す。少年の方を振り向いた。


「ねぇカラス君。アタシたちもしかして、今から人間の法律を破っちゃったりするのかな?」

「……」


 問いかけに答えることなく、少女をその場から退かすコルヴォ。腰元から引き抜いたナイフを躊躇なく扉と枠の隙間に突っ込む。青年ほど手際が良いわけでは無かったが、難なく錠は壊れた模様。


「……一応聞くけど、申し開きとかあったりする?」

「悪い奴を擁護する法が正しくて堪るか」

「ひゅう。昨今珍しくも無くなったダークヒーロー感満載だね!」


 二人は悠々と扉を開け放ち、薄暗い部屋の中を懐中電灯で照らした。


「……」

「……」


 期待していた光景ではなかったようで、ウキウキしていた少女の口角が下がる。


 三十一インチの薄型テレビと、硝子のテーブル、ソファは一人用。カーペットはないがフローリング加工はされている。壁には間接照明、天井には蜘蛛の巣が張ったプロペラ。


 まな板と果物ナイフとが流し台に放置されている。蛇口から水は出ないし、コンロはキャンプ用のそれが、ガス缶を抜き取られた状態で置かれている。バスルームとトイレ以外には収納スペースも無く、一通り見て回っても生活感が感じられないワンルームだった。


「思った以上に普通だね」

「……外れだろうか」

「いや、外に薬莢が落ちてたから、この辺りでカーベル君が襲われたのは間違いないと思うよ」


 何時の間にか拾っていたらしい銀の筒を指で弾き、握りつぶすローラ。


「カラス君。例えばカーベル君がここにいたとして、秘密基地を作るならどこにすると思う? 人間に近い君になら分かるんじゃない?」

「私は別に、人類の代表というほど常識を備えている訳ではないんだが」


 少年はそう言いつつも、思考を巡らせる。


(あの青年がやりそうな事――好みそうな事、か)


 言わずもがな、コルヴォはここ一か月の付き合いである青年のことをさほど知っているわけではないのだが。


「……いや、そもそもあの青年はあの村で、何かのコンテストとやらに参加する為に……作業場は、確か」


 少年は俯き、敷き詰められたフローリングの板材を観察する。流行の日曜大工で組み上げられたものなのか、配列には所々僅かなずれがある。

 コルヴォはその薄く埃が積もった中で、何故か埃がついていない一帯を見つけた。板数にして三十六枚ほどだ。


 しゃがみ込んだ少年の背後に、ローラが駆け寄る。


「下に何かあるの?」

「恐らくは」

「じゃあ蹴り破るね」


 ずどん。


 コルヴォの耳を掠めるようにして放たれた少女の踏みつけが、フローリング板を粉砕した。木っ端みじんになった木片と大量の埃がコルヴォの顔面に直撃する。

 フローリングを形成していた分厚い木の板が使い古した歯ブラシのような断面に形状変化したかと思うと、巨木の洞のように地下への口を開く。


「……おい」

「これで鍵を壊したカラス君とお揃いだね!」

「……辞めろ。冗談でも辞めろ。嬉々としてお揃いとか言ってくれるな」


 軽口を叩きながら咄嗟に少女の足が掠めた左耳を確認するコルヴォ。

 どうやら引っ付いているようだ。安心した。


「それじゃあ、行ってみようか。地下室!」

「調査を楽しむんじゃない」

「楽しむ? 何を言ってるんだいカラス君! 愛すべき身内に手を出した愚か者が隠した部屋なんだ。ここで弱みの一つでも握れたら嬉しいだろう? 個人的にさ!」

「思春期真っ盛りの男子諸君の隠し部屋であればそう思う場合もあるだろうが――きっとこのプレハブには、お前が思っているより気分が悪くなるものが埋まっていると思うぞ」

「?」

「……人間に想像できる範囲の事は、実現可能だと言われているからな」


 革靴が先行して地下へ潜った。その後ろを赤いスニーカーが追いかける。


 地下は上ほど綺麗にされてはおらず、土を手彫りして適当に固めたような雑な作りだった。頬に露がつくほどに湿気が溜まっている。


 地面には辛うじてタイルが敷き詰められているようだが、風呂場にある物とは比べ物にならない雑さで並べられていた。モルタルが溶け出して隙間があいたそれは、踏むと抜けかけの歯の如くぐらついた。


 ただ、その足場の悪さがどうでもよくなるほどには。

 目に入って来た光景は異常極まりなかった。


 水槽。縦長の水槽が三本と、魚を入れるような横長の水槽が二つ。

 内部には液状の何かが詰められている。透明に調合されたシリコン材だろうか――ホルマリンよりよっぽど透明度が高いその内側には。


 脈打つ臓器が、びっちりと詰めこまれていた。


「…………」

「…………」


 二人は言葉を発することなく、他の水槽にも目を移す。縦型の水槽には、部位は違うがどれも同じようなものが詰め込まれていた。


 そして横長の水槽――こちらは魚形の異形も沈められている。


 人の下半身。そして魚の頭部。

 水槽に保管されているのはそれぞれ半分ずつ千切られた肉体だった。


 「惨い」と呟きそうになって、言葉を飲み込むコルヴォ。

 普段異形を狩る側にいる彼がそのような感想を持つ資格はない。


 ローラも思う事はあるようだが、ひとまずは鎮魂だと考えたらしい。

 宙に二重の円を描き、祈る。コルヴォも同じようにして、けれど直ぐに顔を上げた。


「……探すか」

「……うん、そうだね」







 ――幼い頃、人魚を見た。私の夢はそれ一つである。美しい声を持つ神秘の生物。ライン川のローレライ。船を沈める海の精霊。彼らをこの目で一目眺められたならば、この命に悔いはないだろう。


 ――人魚は居ないと事あるごとに馬鹿にされる。どうしてだ。彼らは見えもしない神を敬い、心の存在を肯定するのではなかったか。なぜこうも上手くいかない。私にとって人魚は存在するものであるのに。


 ――両親が私を施設に入れようとしている。そんなことはさせない。私は人魚をこそこの目に――そうか。いっそ思い知らせればいいのか。


 ――まず、飼っていた魚を解剖するところから始めた。魚の命を絶やさずにどれだけ解体することができるのかを学んだ。生き生きした心臓が脈打つ様は美しい。人の物とはえらく違う。


 ――次に研究するべきは人だと考えた。手順は魚をそうしたのと同じだが、いささか検体数が足りない。一度や二度の解剖では生かしたまま捌く為の経験値が足りないのだ。集めなければ。そして、研究しなければ。


 ――住んでいた村から、人が居なくなった。どうしたものか――仕方がない。外から収集することにした。


 ――検体五百八十七の魚類。二百余りある作業工程を経て、遂に生き残る個体を発見した。風の噂で、この個体が「異形」とされる神秘の領域の生き物であることが判明した。神々しさは並みの生き物ではない。耳元で潮騒が聞こえる。そうだそうだ、早速生きたまま保存した。


 ――検体百四十八、百四十九の人間。遺跡巡りをする観光客から生きの良さそうな二名を確保した。カップルのようだが、必要なのは女性の上半身なので女性を解体した。うるさい男は溶液に突っ込んでおいた。静かになった。


 ――検体百四十八。ついに人魚が完成する。喜びを分かち合う相手がほしい。これまでの暇つぶしに作った色々な生き物と交流させようとしてみたが、中々気に入る相手が居ないようだ――人魚は昼夜を問わず泣いている。


 ――人魚は四六時中泣いている。融合は上手くいったらしいが、異形の鱗が上半身を浸食し始めたらしく痛みに悶えている。頭皮を掻き毟って感染症になっても困るので、尾に鎖をつけ、両腕を水槽の縁に繋いだ。泣く事は辞めないが、大人しくはなった。


 ――人魚が泣くのを辞め、鳴きだした。美しい声に鼓膜が爆ぜた。申し分ない声量だ。この声であれば、世界に人魚が居ると知らしめることができるに違いない。


 ――人魚が姿を消した。私が買い出しに行った間に、研究室を抜け出したらしい。異形化を安定させるために協力者と取引して作ったコインを埋め込んだ矢先の事だ。


 ――人魚の居場所が分かった。脊髄に挿し込んであったICチップが役に立った。問題は人魚が逃げた先が汽水域の湖の底であり、彼女は滅多に鳴くことがない。私はストックしていた鼓膜を自分に移植した上で、また彼女の歌を聞きたいと強く願っているというのに。


 ――頑なに鳴かないというのなら、鳴かせる機械でも作ってみようか。







「全く、この世には恐ろしい人間がいたものだな」

「そうだねぇ。まあ、異常性が分かりやすい研究ノートを残していてくれて助かったよー。人間を相手にするとなるとほら、本部もうるさいしさ」

「まあ確かに」


 見つけた手記を腕に抱き、日が傾き始めた湖畔を行く二人。

 プレハブ内で確認したものの、二度と読みたくない内容だったことは確かである。


「ね、カラス君。良いの? 水槽の中に居た魚の異形や人の臓器はどれもこれも――あのまま放置したところで、誰の命が救われる訳でもないと思うけど」

「……この一件が終わって、街の住民を解放する間に片付けよう。今はエドアルドヴィチとカーベルを追うのが先だ」


 みし、と。紙束が少年の掌で握り込まれる。証拠として保管する物なので破られると困るのだが、ローラはあえて止めようとはしなかった。


「カーベルはここの老人を尋ねた後に何らかしらのトラブルに遭ったと考えられる――人魚と共に見つかったとはいえ、満身創痍だったあの異形自身が散弾銃を青年に向けたとは考えにくい」

「そう言えば、カーベル君が怪我をしていたのは足と腕ぐらいだったもんね。はっきりしたことはアタシには想像できないけれど、その人魚は青年を庇ったのかな?」

「庇う? 身体を弄られたとはいえ相手は異形だぞ、どうして人間のカーベルを庇う必要がある」

「さあ。でも、カラス君が言った通り人魚が精神的に摩耗していて、体力的に限界で、現象の維持に罅が入る程弱っていたのなら――いっそのこと、カーベル君を食べちゃえば良かった筈なんだよ」


 ローラは言うと、少年が青年を見つけた桟橋へと目を向ける。湖は深く、夕焼けを反射して黒々と光沢を放った。


「その理由は、人魚に会った彼だけが知っていることだろうと思うよ」

「どちらにせよ、もう一度会わねば話にならないな」

「そうだね」

「振り出しか」


 重い足取りで街へ戻ると、石になった住民を物珍し気に観察する女性がいた。栗色の髪がサラリと舞い上がり、少年らの接近に気付いたようだ。


 茶葉屋の魔女、その人である。


「おかえりなさい、常連さん。何か収穫はありましたか?」

「……収穫はあったが決定打にかけるというところだ」

「さようですか。では、ワタシからはこちらを」

「?」


 顔を見合わせた少年少女は、魔女が差し出した黒い小箱を受け取る。

 手のひらほどの大きさだがずしりと重たい――中からは、金属がかち合う音が聞こえた。


「……開けても良いものなのかな?」

「ええ。もとよりワタシは預かっただけなので」


 恐る恐る箱を開く。中には親指の先程の大きさの、緑色の宝石――のようなものが転がっていた。


「これ、もしかして傷がないエメラルド? 偽物だよね?」

「さあ。ワタシには鑑定眼はありませんし、貴方たちの問題に関係することかどうかも分かりませんが……手掛かりにはなると思いますよ」


 占いの結果は良かったので。と魔女は言い残し、店へ戻ってしまった。

 音の無い街中に、ぽつりと光が灯る。


 黒い小箱を持て余すローラ。その隣で思案するコルヴォ。


「――エメラルドといえば、エメラルドの都か?」

「ん? 『オズの魔法使い』の話かい?」

「ああそうだ。思えばエドアルドヴィチが口にした名称もOzオズだ。関連性を疑うとなると他にあるだろうか?」

「エメラルドって……この辺りには鉱山なんてないじゃないか」

「……………………」

「カラス君?」

だ」

「はい?」


 義眼が入った左目が、大きく見開かれる。

 オズの魔法使い。物語の中で語られている主人公ドロシーは、案山子とブリキとライオンを仲間にしてエメラルドの都まで旅をする。


 黄色い煉瓦の道を行け――最初の魔女にそう言われたから。


「カーベルが住んでいた村だ」


 青年が住んでいた村の周囲で起きた異形騒ぎ。コルヴォが殺した二体の異形。青年がいた村を襲った異形。蝶の毒に侵されず、双頭の蛇が「うるさい」と言った理由。そして人魚が彼を食い殺せなかった理由――。


「そして今、『約束』を果たしに訪れる主人公ドロシーを青年が待っているとするならば」

「カーベル君は、最初の村で待っていると?」

「お前は銀の靴を履いている様なものだからな」

「アタシは空飛ぶ猿じゃないんだけど」

「ふっ、確かに。どちらかというと人間だ」

「そっちこそ。配役が無いのは悲しいねカラス君」

「辞めろ。そもそも私は最初の異形に始末させる予定だったのだろうよ」


 カラスは確か案山子に殺されるはずだからな。コルヴォはそう言って伸びをした。目の前には事務所の扉がある。


 二人はお互いの顔を見て、それから踵を返す。

 湖のほとりへ行く前に装備を揃えていたかいがあったものだ。


 マジックアワーの紫に、吸血鬼の翼が映えた。




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