第18話 SIXTH = Cockatrice


 ――その昔、とても腕のいい暗殺者の女性が居た。その名前を知る者は無く、血筋も不明。金髪碧眼という事以外は何も知られていない。そして、その地に住まう人間にとって、金髪碧眼という見た目はごくありふれたものであった。


 無辜の人に紛れ、仕事を繰り返す女性。仕事が絶えることは無く、年中世界を飛び回った。貰った金で豪遊する訳でもなく、のし上がった地位を振りかざすわけでもなく、その日暮らしがどうにかできる程の報酬しか受取ろうとせず、故に何度も行き倒れ、多くの人間の世話になった。


 女性は決して殺人鬼では無かったが、殺すことに関しては誰よりも優れていた。刺客を返り討ちにして、夜が明けない内に首魁を切り裂き、仕事の為であるならば友人を装い近づくこともよしとした。


 誰の為に殺すわけでもなく、誰の為に稼ぐわけでもなく、ただ粛々と頼まれた分だけ人を殺し。……しかし望まれた死を受け入れなかった。


「私にはこれしかないから」


 彼女の口癖である。そして、この言葉を耳にした人間は依頼が無くとも命を奪われた。


 女性は傲慢な事に、死んでほしいという依頼だけは、金をどれだけ積まれようが、豪華な食事や贅沢な暮らしを約束されようが、受け入れようとしなかった。


 そのつけを、女性は最後に受けた仕事の後に払うことになる。


 とある富豪から受けた依頼。奪われた領地を取り戻して欲しいのだという。誰がその土地を占拠したのかは知らされていなかった。「標的は男性だ」という事しか分かっていなかった。

 女性は異形の領地テリトリーへ殺気に塗れた土足で踏み込み。


 死んだ。食い殺された。


 彼女はそうして、人間を辞めた。







(ずっと、ずっと後悔してる。あの時にどうして死のうと思わなかったのか。死なせてくれと言えなかったのか。助けて欲しいなんて言ったのか)


 黄金に染まった獣の瞳を細め、青年の腕に抱かれた少女は走馬灯を振り払う。今はこんなことをしている場合ではない。けれど、流した血が多すぎて、意識をはっきり保つことは困難だった。


(けど、昔と今は違うんだ。アタシは、アタシが今ここに居る事に、意味があると思ってる。どうして今日ここに生きているのか。どうして今、カラベル君と逃げているのか。……どうして自殺しようとしたあの日に、カラス君を拾ったのか)


 ――がっくん。


 唐突に抜けた力に、少女自身が驚く。首の位置を固定する体力が無い。再生が異常に遅いのは飛散した血液から離れたことも理由の一つだろうが、それ以外の選択肢が無かったことも分かっている。


 理解の範疇だ。だが、それ以上に青年の顔のこわばりが目に付いた。


(走るペースは落ちていない……数日前に銃に撃たれた筈の足も、連れて行った病院であらかた直してもらっていたし、機械仕掛けなんだから当然と言えば当然なのかもしれないけれど。しかし彼は「痛み」を知っている人間の筈なんだ)


 ああ、そうだ。道案内ガイドをしないと……。


「カラベル君」

「――!! 意識が戻ったのか、ローラさん」

「君は一人で行くべきだ。アタシを置いて逃げて欲しい」

「それは、さっき断った筈」

「違う。違うよカラベル君。アタシは望まれない限り、この街から出られないんだ」

「……!?」


 青年は足を止めようとしないが、街の端までは距離がある。


「っ、人間の俺が望み続けても難しいっていう事か……!?」

「……言っただろう? 君はもう人間離れし始めているんだ。雛が巣立つように、君は人間であることから離れようとしている」


 瀕死の吸血鬼――異端のローラは呟くと、首に力を入れて身を起こした。ほんの少しでも、青年の負担を減らそうとしての行動だ。


「アタシやカラス君は長く生きすぎているんだ。異端として、限りなく異形に近い線をまたがないように生きているだけ。だから、君の異常に気付くのが遅れた」

「ローラさん、今はそういう話をしてる場合じゃ」

「今じゃなきゃ駄目なんだよカラベル君。アタシの予想だが、君が君であることを手放した瞬間、君は異端を飛び越えて異形になるだろう」


 異形になったら、戻って来られなくなる。


「異形になるということは、つまるところ君が『無理をする』こととイコールなんだよ――これじゃあ、相手の思う壺だ」

「あ、相手?」

「うん……正直、そんな馬鹿な事する奴が居るとは思いもしなかったけど――エドのような人間を異形化させられる奴がいるとなると、話は違う。君はきっと、人間の意図で異端に近づけられた人間なんだ」


 すがるように、言葉を吐き出すローラ。

 金髪の少女の圧に押され、青年の足が止まった。街の出口は目の前である。だが、吸血鬼のルールに縛られている彼女を連れ出せない現実が意味するのは、ここから先を青年一人で行かなければいけないという事で。


「君は、化け物になんかならないでいい。だからこの先を走ってくれ。 君には人間として生きる自由があるのだから」


 無理をしないで。怖かったら逃げて。苦しかったら投げ捨てて。

 それが人間だ。それが生きる知恵だ。立ち向かうだけが全てではない――。


「……それは、違うぞローラさん」


 やんわりと掌を引き剥がし、カラベルは少女を花壇に降ろす。

 糊のような血で貼り付いてぐちゃぐちゃなツインテールを指で梳いた。


「俺は、ローラさんに『お願い』したから怪物殺しブレイカーとしてこの街に居る事を選べたんだ。それは、決して逃げる為に選択したわけじゃあない。例えこの数日で終わるとしても」

「でも」

「でもじゃねーの。聞き分けねぇなぁー、コルヴォに似てら」

「かっ、カラス君ほどじゃないよ!?」

「ははは。だよな、なら俺の選択を飲み込んでくれ」


 喉元過ぎればなんとやら――ってな。


 後ろ髪だけ長い赤毛を振り、その場で身を翻す青年。

 結局のところ、手負いの異端と異端に寄っただけの人間では、逃げる足の速さが足りなかったのである。カラベルの耳には距離を詰める男の足音が届いていた。


 人間離れした聴力は、視力のように器具で抑えられるものではない。それこそゴーグルをかけていようがいまいが、彼は最初から人間離れしていたのである。


 今だって、脅威から逃げようとしない。


「そんなに走って追いかけなくても、俺はここにいるぜ。エドさん」







 石像にした少年を広場に置いて、眼帯を掛け直した老齢の男性は追跡を開始した。化け物狩りを生業としていた若かりし頃の経験が役に立つ。


 吸血鬼の少女に止めを刺せなかったことは想定内だが、異端ではないカラベルがローラを連れて走り去った事に、エドアルドヴィチは少し驚いていた。


 勇気を出す者は勇者になりうる。戦う覚悟を持つ者は英雄になりうる。

 確かに、世の中はそのように甘い言葉をのたまうが。


 元退魔士として、無謀な行動を選択すれば即死ぬ業界の生まれとして、エドアルドヴィチにとって青年の行動は理解不能だった。


 だって、腹をすかせた吸血鬼を抱いて逃げるなど。

 自らを餌にしてくれと言わんばかりではないか?


 ――確かに、ロードライトという吸血鬼は人を食うことを極端に忌避している節があった。だがそれにしても、命の危機に瀕してまで我慢できるものなのだろうか?


 ぐるぐると巡る思考は、一刻前彼らと対面した時よりも鋭さを失くしている。毎分置きに忘却が脳を浸食しているかの様な感覚である。


(……混ざりが甘いと分かった以上、予定を繰り上げなければ)


 街中を縦横無尽に走り続け、まるで追い込み漁をするかのように出口まで誘導した。しかし、青年との距離は縮まる一方である。彼はどうやら街の外へ出る事をためらっているらしい。


 あの事業所に使用人として雇われている間、エドアルドヴィチには最小限の情報しか渡されていなかった。故に彼はカラベルの検診結果を知らない。ローラから任された諜報も、あくまで青年を襲った人間を探すという内容だった。


(……自我が徐々に崩壊しているからには、一刻も早く見つけなければならないというのに――など、本当にこの街にいるのだろうか?)


 結局のところ、目に入る者を石化させていった方が効率が良い。エドアルドヴィチは目元の皺を深くして、眼帯を取り外し胸ポケットに仕舞った。


 曲がり角を抜け、街の出口の正面に立つのは褐色の肌をした赤毛の青年である。その、ゴーグルを外した錆色の裸眼と目が合った。


 緑色の瞳が放つ銀色の閃光――青年はその光線に微動だにせず、光量に瞬くこともせず、足も引かず、目を細める事もしなかった。


 真正面から石化の眼光を目にして尚。人の色をしていた。

 エドアルドヴィチはその光景に目を丸くしたが一転、恍惚の笑みを浮かべる。追い求め続けた理想に巡り合えたことがどうにも嬉しかった。


『ああ――案外身近にいたものですね。まさか貴方だったとは』

「まっぶし……何だよその目。眼帯してる方が似合ってるぞ、エドさん」

『……ははは! そうですか、そうですか。ならば役目を終えた物は封印でもしておきますかね』


 青年に言われた通り、左目に眼帯を掛け直すエドアルドヴィチ。

 カラベルはその場から動かない代わりに、距離を詰めようとした男性を制した。


『いかがしましたか』

を見逃して欲しい。この街の住人が石のまま放置されるのは、あんたにとっても本意じゃないんだろう?」

『構いませんよ。条件はありますが』

「俺があんたに着いていくっていうのはどうだ?」

『いいですね。交渉成立です』

「おっしゃ。話が分かる相手で助かったぜ」


 小さくガッツポーズを取り、背後の花壇に腕を振るカラベル。

 そこには再生が間に合わずに膝を着いた少女の姿がある。


 煉瓦仕立ての花壇を転げ落ち、せっかく治った膝をすりむきながら、血が足りないと飢餓に喘ぐ吸血鬼は、銀の爪で腕を掻き毟り、必死に自我をかき集めながら青年を糾弾せんと顔を上げる。


 その唇が動く前に、青年は少女に背を向ける。


「いーんだよ。それより、ローラさんこそ『約束』守ってくれよな。俺は逃げずに待ってるからさ」

「……!!」


 カラベルはそう言って、首の後ろに手をかけた。

 ハウリングの轟音。人の耳には届かない音の波。衰弱した吸血鬼の意識を奪うには充分だった。


『う、うるさいですね……』

「あっ、すまねぇ。エドさんもそっち側になってたんだよな」

『い、いえ……丁度目覚ましが欲しいと思っていたところですので』


 右目の赤はすっかり引いているようで、赤い虹彩がカラベルに向けられる。カラベルはローラを抱えると、来た道を戻り始めた。


『どちらへ?』

「コルヴォが居たところに寝かせてくる。……音がしないから、あいつも石にしたんだな。どちらにせよ、レディを野ざらしってのは紳士らしくないだろう」

『それならば私がお連れしましょう。此方でお待ちいただけますか?』

「…………ああ。待てる」

『はは、ご安心を。これ以上彼らに危害を加えたりはしませんよ』


 まるで仕えるべき相手であるかのようにカラベルに礼をしたエドアルドヴィチは、青年の腕からローラを受け取ると姿を消した。

 彼がこの場所に戻って来たら、今度こそこの街とはお別れである――カラベルはふいに、星の光を求めて空を見た。


 コルヴォとの旅で、幾度となく目にした星空を、見たいと。

 けれど。


 街灯の明るさに霞む星は、とても見れた物ではない。


「……ははっ、ははははっ……あー。やっぱり俺は、駄目な奴だ」


 ぷつんと電源が落ちるような、何かを手放したような。

 耳元で落ちたブレーカー。


 音も無く戻って来た老齢の紳士の腕からは少女の姿が消えており、その赤い瞳が青年へ向けられる。


『何か、お変わりになりましたかな?』

「――いいや? 。あのジジイにどうにかされてからずっとな」


 青年はそう言って、振り返る。手にしていたゴーグルを石畳に落とし、踏みつけた。割れて砕けた青年の傑作が、灰色の地面に擦られる。


「どうかしたか、案内人」

『いえ。ようやくお目覚めになったのだと、実感しておりました』

「そっか。じゃあ、さっさと俺をあのジジイのとこまで連れてってくれ。どうせまた、変な機能でも押し付けるつもりなんだろうがよぉ――」


 濁った錆色の目。枯れた声。


「ああ、そういやあ。どーせあのジジイに弄られただろうエドさんに混ぜられたその目は、何だ? 石化能力ってぇーと、メデューサとか?」

『これは、コカトリスの瞳だそうです』

「へぇ! それならカラス頭が血眼になってでも探しに来そうだな!」


 嬉々として吐き出される、がらんどうの言葉。

 心を失くした青年は夜の内に街から姿を消していた。






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