第17話 Penetration rate !!


 まだらの石畳に、街灯がポツリポツリと輪を描く。

 街並みの主な外壁は漆喰と石材による加工が成されている。年代と暮らしの爪痕を残す壁面、味のあるクリーム色。


 夜が更けても家庭や酒屋の灯りで十時頃までは騒がしい筈のこの街も、賑やかす人間がいなくなれば静まりかえるものである。


「……」


 見慣れた夜の人間たちは、皆して無彩色の沈黙を保っていた。酒を飲んだあとに広場で夜を明かす筈だった若者も、仕事終わりに家族の元へ帰る途中の働き者も、リビングではしゃいだ顔をして諸手を上げた子どもすら、例外無く灰色。


 眠っている訳ではない。死んでいるわけでもない。

 ただ、この瞬間だけは確実に生きていないことだけが分かる。


 街の人間は、一人残らず石像と化していた。







 瓦屋根の上に止まったカラスも、人と同じ灰色である。


「うぉっとお……予想外の展開っつーか、大ピンチじゃねぇのこれ」

「うーん、そうだね。というかアタシらがここにいるせいでこうなってるとしたら死んでも詫びきれない量の人間が目の前で生命活動を停止しているような気がするよ」


 ローラは義爪に歯を立てると、目を閉じる。


 領域把握――吸血鬼に成る代わりに彼女が手にした異能である。彼女が「領地テリトリー」だと判断した区域の魂の数、一度出会った事のある人間や、新たに発生した異形を察知することができる。


 同心円の波紋が意識に波を打つ。石と化した住民からの反射はどれも変わらず冷たい無機質な音。その中に、コルヴォとカラベルの熱を捉える。


 そして、彼ら以外の唯一の熱源。人間のパターンとはかけ離れた心音。


 見つけるなり少女は石畳を蹴り砕いた。隕石が落ちたかのようなクレーターができる。爆音が二人の耳に届く頃には、少女が数百メートル先にある石像の一体に腕を振りかぶっていた。


「お前が首魁かぁアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」


 確かな怒りと共に銀の爪が石像に叩き付けられる。圧倒的な暴力をもってして、石は粉々に砕け散った。


「!!」


 そして。


 


「――!! ローラさん!?」

「……」


 少年は目つきを鋭くさせ、死霊滅殺銃グールガンのスライドを上下させる。加熱開始を告げるランプが青く点灯した。


 飛びかかった少女の足は地に着くことなく、ぷらりと宙に浮いたまま。臓物をかきまわす様に穿たれた手刀は白い執事用の手袋。

 滴る血の色は赤。鮮血は人のそれと同じようにところどころに物理的なきらめきを伴なって地面に散らばり落ちた。


 点々と咲くそれを革靴で踏みにじり――眼帯をした老齢の男性は、緑から赤に変色した右目をコルヴォへ向ける。


「――っつ、う、どうして……!! !!」

『……私は私が仕えるお方の為に生きていますので。ご無礼をお許しください。ロードライト嬢』


 貫通していた掌が半分引き抜かれ、再度内部を直角上部に貫く。

 心臓部分を破壊された少女は糸が切れた人間のように地面に叩き付けられた。声帯まで破壊されたのか、叫び声すらこちらには届かない。


 のたうつ少女を蹴り飛ばし、男性は立ち尽くすカラベルらに正面を向いた。カラベルは半歩下がるが、すんでのところで踏みとどまる。


 コルヴォは青年の掌が固く握られていることを横目に、変わり果てた使用人から目を離すことなく口を開く。


「カーベル」

「お、おうよコルヴォ」

「隙を見て馬鹿娘を回収してくれ。そしてあわよくば逃げろ。いくら異形化しているとはいえ、元退魔士と我々とではいささか相性が悪すぎる」

「退魔士!?」

「退魔は『術者が穢れていると判断したを殺す祈りの力』だ――その証拠に、今のは只のステゴロだしな」

「!?」


 コルヴォはそう言うが、カラベルはローラがどれだけ化け物染みた異形であるかを目にしている。図体の大きい双頭の蛇は相手にした瞬間に瞬殺だったし、最近狩りに行ったというワイバーンに関しても特に苦労したようなエピソードは聞いていない。


 ……その少女を、カウンター一撃で沈めた!? 


「お前は何を勘違いしているんだカーベル。この星の生死を握る程に数を増やした種族は何だ? 自らの同種とカテゴリづけした者だけを命の最上位であると考える愚かな生き物は? 意思疎通ができないと分かった相手に、化け物と名をつけて蹂躙するのは一体何処の誰だというつもりだ?」


 義眼の少年は、ランプの色が変わった銃口をゆっくりと老齢の男性に向け。それから引き金に指をかける。


「異形や異端の天敵は、紛れ無く人間ヒトの力であろう」


 コルヴォは言うと、前触れなく自身の右腕に、装填していた五発全てを撃ちこんだ。その光景をはじめて認識するカラベルは一瞬息を止めたが、それは相手の方も同じだったらしい。

 青年はその隙を逃すまいと、明後日の方向へ全速力で駆けだす――!!


 若人の駆け足を、のんびりと目で追うエドアルドヴィチ。


『さてどうしたものか。若い芽を摘むために戻った訳ではないのですが』


 目元の皺が深くなり、今も尚痙攣けいれんする少女の傍に辿り着いた事を確認する。あの様子なら再生にも時間がかかるに違いない。

 例えこのまま遠くに連れて行こうにも、少女のように飛翔能力を持っていないただの人間にできる事は限られている。


 ならば、直ぐに追跡する必要はないだろう。

 エドアルドヴィチはそう判断して、視点を戻した。

 じゃっこん――新しいスティックの融解が始まった事を告げるスライドの音が、目の前に立つ黒髪の少年の手の中から響く。


「その声を聴くのは久方ぶりだな。エドアルドヴィチ――たしか、馬鹿娘に潰されたはずではなかったか?」

『ええ。私のような老いぼれにも若き日の過ちはありましょう』


 エドアルドヴィチは口元の髭をもさもさとさせながら、しかしはっきりと耳に届く声で返事をした。瞳に後悔の色は見えない。


『しかし、いい加減私も年ですので。寿命が尽きる前に余計な世話を焼きたくなったのですよ。私の仕えるお方はそれをお望みのようですから』

「命の恩人にあのような仕打ちをしておいてよく言う」

『はっはっは。貴方こそ錆びて割れたなまくらのようですな。これだけ手がかりをばら撒かれていてもまだ己の理想を語るおつもりですか』


 白髪交じりのオールバックを血に塗れた掌で赤く染め。黒のスーツの襟をぴしりと立てる。


 黒い蝶ネクタイが示すのは鎮魂か、死そのものか。


『私はロードライト嬢に忠誠を誓ったわけではありません。私の仕えるお方はこの世に唯一――Ozオズ様一人です』


 コルヴォは手元のランプが融解完了を告げる赤に変わったことを確認し、顔を上げる。


 人の心を感じられない冷たい視線が、元使用人へと注がれる。


「そうか。ならば容赦なく狩らせて貰うぞ。

『ええ。できるものならそうしてください。


 その言葉を皮切りに、銀弾を放つ銃と赤い手刀が交差した。







「……ローラさん、生きてますか? 生きてますよね?」


 関節のあちこちがあらぬ方向を向いている少女に恐る恐る駆け寄ったカラベルは、壁側を向いた金の双眸を覗き込んで胸を撫で下ろす。彼女が元気に瞬きをしてみせたからだ。


 考えてみれば、蛇を相手にしていた時にも大怪我をしていたローラだ。退魔の力を使われていなければ既に再生は済んでいる筈で、もし使われたとしても死ぬことは無いだろうと青年は踏んでいた。


 錆色の瞳がアクリル板の反射から見え隠れしたのを見て、ローラは顔を引きつらせた。


「……か、開口一番がそれかい? 一部始終見てたんでしょ? よく、よく吐かなかったね君!?」

「それについては俺自身もびっくりしてるけどよ。っつーかそれどころじゃないだろ。ローラさん、立てそうか?」

「ま、まだ無理だけどさ」

「なら抱えて走るぞ」

「はぁっ!? 何言ってるんだ君は、まさか今の状況を理解していないのかい!? アタシなんかいいから!!」

「おいおい、流石に俺でも逃げなきゃやばいって事だけは分かるぞ」


 抵抗するも空しく抱え上げられる少女。血が抜けているからか、青年の腕にすっぽりと収まる肢体が、とても軽く感じられた。


 ばき、ごり。と奇妙な音を立てて、少女の腕や筋繊維が再生する音が響く。ローラは痛みに顔を歪めたが後方の様子を確認することもせずに顔を上げた。カラベルはすぐにその場から距離をとる。誰も居ない街の、石畳に降りそそぐ僅かな街灯の光を頼りに路地へ入った。


「あ、でも俺この街のことろくに知らないんで、道案内ガイドは頼みたいっす」

「君は上司使いが荒いな……!? ぐぅっ……良いだろうまずは走って! 話はそれからなんだよ!」


 背後では依然、コルヴォとエドアルドヴィチの交戦が続いている。

 ヤケクソの指揮のもとに頷くと、青年は踏み出した指先に力を込めた。







 ――さて、彼らは十分な距離を取ることができただろうか。


 エドアルドヴィチの攻撃を捌きながら青年の姿が見えなくなったことを確認したコルヴォは、今しがた伸びた八重歯で唇を噛みながら飛び退いた。


 黒い髪はウニのように逆立ち、威嚇する猫のように肩を丸めている。張り詰めた糸が千切れるような音が全身から鳴り響いていた。


 掌には死霊滅殺銃グールガン。銀弾はあるものの、装填と融解の間に明確な隙ができる事を考えれば、少年にリロードの余地はない。


 既に一発発砲し、装填済みの残弾は四である。


(しかし、血清を月に二度も使うことになるとはな)


 痛みすら知覚しない右腕は先程撃ちこまれた弾丸のせいで赤く染まっていた――とはいえ、あまり血が飛び散っている様子も無い。


 むしろその腕を中心にして、常人なら気圧される程の威圧が感じられる。エドアルドヴィチが無策に特攻してこない事がその危険性をより明確にしていた。


『そういえば私は、貴方がどのような異端なのか知らないまま十五年ご一緒してきましたね。貴方は熱を出そうが倒れようが、「触れるな・近づくな・聞くな」の三段構えでしたし』


 エドアルドヴィチはそう言って、口元の髭をもさもさと動かした。声は脳に響くようなそれであるのに対して、きちんと声帯も機能しているようである。


 コルヴォは耳元で鳴り続ける異音を聞きつつ、口を開く。


「別段珍しいことではない。――のお前と同じくな」

『……ほう?』


 首を傾げた老齢の男性。エドアルドヴィチの目元は笑っているが、少年の背骨には悪寒が走った。コルヴォは口を愉快そうに歪める。


「は、どうしたんだその顔は? 自分こそは純粋な理性と記憶を引き継いで異形化できたとでも思ったのかエドアルドヴィチ。確かに今のお前の理性は人間で会った時よりも削がれているだろうな。が、それだけが指標という訳でもない」


 黒髪の少年は、左目の義眼を爪でなぞる。次に指先が滑るのは右の目だ。ネコのように細い瞳だが、黒い虹彩と白目部分が端から赤く染まっていく。涙のように赤い血が頬に溢れる。


「お前の赤い眼は、私のそれと変わらんよ」

『……!』


 スーツの胸元にパタリと血が落ちる。

 眼帯をしていない方の赤い瞳はコルヴォのそれと同じように酷く充血して、白い頬には黒いヒビが走った――それは、この街の外れで死んだ人魚の身体が割れたのと、全く同じように!


「では仕切り直すとしよう、お互いに失敗作の異端として」


 死霊滅殺銃グールガンを右腕に、獣が爪を立てるが如く左掌を構え、血の涙を流す少年は低く腰を落とす。


『不完全……まさか、そんなはずは……いえ、それよりも早く仕事を終わらせなければならなくなったようですね。……気が変わりました。温情も慈愛も容赦をするほど猶予もありません』


 エドアルドヴィチの呟きは、彼の懐に入った少年の耳には届かない。


『申し訳ありませんが――しばしお休みください、コルヴォ殿』


 落ちた眼帯の先。緑色の瞳が銀色の閃光を放った。




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